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原宿 1980 夏_39
No.39 oclok
本当のドラマのクライマックスはここからだった。
成金おぼっちゃまとツーレディーはお帰りになりBBSの演奏も終わり時計を見るともう4時を回ってる。
お客さんもオレたち以外はいなくなっていた。
アンベは右手をボクサーのバンテージのように包帯をぐるぐる巻にして左手にウイスキーグラスを持ち目だけはギラギラしていてまだ怒りは収まらないようだ。
『そろそろ行こうぜアンベ
もう
原宿 1980 夏_38
NO. 38 oclok
横浜のフライデーにアンベと飲みに行った。
オーナーの磯原さんともすぐに仲良しになってアンベちゃんと呼ばれていた。
ハウスバンドのBBSのロックンロールナンバーを聴きながらウイスキーをアオリーのツイスト踊りーので二人ともご機嫌マックス。
BBSのメンバーとも仲良しになりバンドのメンバーの将来の夢と不安の話を聞いたりした、いわゆる光と影、スポットライトを浴びた分だけ影
原宿 1980 夏_37
No. 37 oclok
13年前の東北大震災あの津波の映像はあまりに衝撃的すぎてこの世の終わりかと思ったものだった。
岩手県の宮古市、津波の直撃を受けた。
オレのマブダチの安部ミサト
そこにヤツが住んでいた。
ハワイアンリーゼントを自慢してた、酒癖が悪いが憎めないヤツ、おっちょこちょいだけどまがったことが大嫌いなヤツ、ツイスト踊るときみんなを笑わせようとオカマツイスト、芸者さんツイス
原宿 1980 夏_36
No. 36 oclok
それからオレのアパートは
チームのメンバーのたまり場になっていった。
毎日のように何人かが入れ代わり立ち代わりあーでもないこーでもないと、
酒とタバコとロックンロール
う〜んパーフェクト!
多いときは男女あわせて
15〜16人で飲んでダベって踊って倒れるように全員泊まってく。
台所までぎっしり男女入り乱れて雑魚寝ときてる。
夜中トイレなんてときは
踏まないよ
原宿 1980 夏_35
No 35 oclok
辛いことがあるとオレはそのことを他人には話さない。
人の不幸で酒は飲まない。
辛い気持ちを薄めるのにイロイロとアタマの中で格闘するが結局時間が経つことに身を任すしかないんだよね。
逆にこんだけ時が経つとヤスエちゃんを思い出してあげたいから話したかったのかも。
それからヤスエちゃんの自殺の原因が少しずつわかってきた。でもそのことをここで書くのはよそう。
噂話に想像を加え
原宿 1980 夏_34
No. 34 oclok
ヤスエちゃんが昼メシに行こうと横浜中華街に連れていってくれた。
お店の人とかバンドのメンバーの行きつけらしく慶華飯店のチャーシュー飯に海老ワンタンがオススメらしい。
ほんとだ、こりゃ上手い!
後々に横山剣さんが自伝の本でこの店とこのメニューのことを書いてました。
よしこれで午後も頑張るぞ。
夕方頃になるとお客さんが作業するオレの後ろの階段をのぼりお店へ入ってゆく。
原宿 1980 夏_33
No. 33 oclok
フライデーは老舗のオールディーズライブハウス、ケントスのデザイナーが次に手掛けたライブハウスらしい。
そういえばまだ六本木のケントスがちっちゃなビルの地下でお店を始めた頃バッチリきめて螺旋階段を降りていったらいきなり店員に止められて入店拒否されたことがあった
その後のケントスが全国的に店舗を増やせていけたのは
そういうオレ達のようなリーゼントでガンガン踊るようなヤツ
原宿 1980 夏_32
No.32 oclok
若者は皆、自分の未来を想像する。
いいほうにも悪いほうにも想像する。
ああなりたいこうなりたいと
イメージする。
それを具体的に人生のタイムスケジュールを立てて目的に向って努力するヤツ、周りに
流されてただぼんやりと、酔っぱらったときだけ熱く夢を語るヤツ。
オレは後者だったね。
人生には思いがけない事が何かと起こる。
良い方にも悪いほうにも予期せぬ出来事が待って
原宿 1980 夏_31
No. 31 oclok
Part 2
オレはそれからカルメンの
レコードを探しまくった。
当時レコードといえば秋葉原の石丸電気レコード館、実はオレが高校を卒業するとき石丸電気を就職試験で受けて落ちています。頭悪かったからねオレ、ハハハ。
店員さんに聞くとその時は
カルメンの涙の紅バラ?のB面の曲で、すでに廃盤になってるとのことでした。
それから中古レコード屋さんを探しまくったけ
原宿 1980 夏_30
No. 30 oclok
Extra edition
First part
ツイストが個人プレィだとしたら男と女が向かいあってステップを合わせて踊るダブルはチームプレィ。
ダイアナ、カレンダーガール
オーキャロル、イッツマイパーティーなどなどミディアムテンポの四拍子、三角ステップに合うそんな曲で踊る。
オレのセーノの掛け声でみんな合
原宿 1980 夏_29
No. 29 oclok
そんなこんなでイロイロあってオレは新宿のアパートを後にした。
大家さん住民の皆さん何かとご迷惑お掛けしました。
そして新天地は埼玉県の西川口の青木公園のそばのアパートに引っ越した。
畳の部屋が2つ風呂トイレもある。ポマードヘアーも今度は共同炊事場じゃなく、風呂場で気兼ねなく洗える。
新宿のアパートのときは炊事場でオレが頭を洗ってる横で
印刷所に務めてるお兄さんが共
原宿 1980 夏_28
No.28 oclok
チームのメンバーもどんどん増えてゆき、踊り終わったあとに表参道を徒党を組んで駅前から降りてゆきキティランドの先の喫茶店の二階にある
会議室のようなところでミーティングをやったりしてた。
何を話したかというと、もっと気合いを入れて踊れとか
掛け声が小さいとかヘラヘラしてんじゃねえとか終いには
男女交際のノウハウまでも
今思うと赤面ものですハイ。
まあ世の中、子供も大人
原宿 1980 夏_27
No. 27 clock
その頃の東京はテレビや街角から百恵ちゃんのロックンロールウィドウが流れていた。
モテたいための
ロクンローラー
あなた動機が
不純なんだわ〜
作詞の阿木燿子さん、さすが鋭い! そのとおり。
テレビドラマ、刑事よろしくに原宿のジャンボやミッキーとかが出てたらしい。
テレビ東京ではシャナナのオールディーズ、ロックンロールショーなんてのもやってたらしい
原宿 1980 夏_26
No.26 clock
原宿ーはらじゅく〜
ホームに降りたつ。
ヤバイこのビョウ打ち革ジャン、ちょっと目立ち過ぎる。
ここに来るまでの電車の中でも全員がオレをガン見してた
ちっちゃい男の子がオレを指さしそれをお母さんがとめてた。かなりヤバイ人の域に達しているらしい。ハハハ…
それに完成までに日にちが掛かりすぎて超真夏真っ盛り、
身体中汗が滝のように流れている。なんか腹が痛くなってきた。
原宿 1980 夏_25
No. 25 clock
今思えば若い時の情熱というのは正しく生きるとか将来のためにいろんなことを我慢して生きるとかそういうことを考えもしない。
それを時が過ぎ振り返った時にあれで良かったんだとか
オレは何をやってたんだとか思い返したとき想うのは
自分がその時どんな人生を送っているかという結果論からの自問自答であって若かりしその情熱が燃えている時は突っ走るしかないと自分を奮い立たせて行くこ
原宿 1980 夏_24
No. 24 clock
原宿のホコ天は夏を迎え更に盛り上がりを見せていた。
歩道橋の手前がロックンローラーで奥は竹の子族だ。
いろんなチームがそれぞれのチームカラーを出そうと選曲ステップ、そしてファッションと競いあっていた。
やっぱオリジナリティがないと他のチームには勝てない。
そんなとき上野のアメ横の革ジャン専門店で袖が脱着できるダブルの革ジャンを買った
このままでもカッコイイけど
な