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老化とアンチエイジングの人類学—”淘汰”にあらがう意義とは

東大・九大・新潟大などの研究グループが、老化細胞を選択的に除去するGLS1阻害剤が、加齢現象・老年病・生活習慣病を改善させることを証明したというニュースが今朝、話題になっていましたね(1)。

このような研究は、老化の防止を助け、加齢によって自然に起こるシミやシワ、骨や筋力の衰え、動脈硬化や癌 (がん) をはじめ、生活習慣病の影響でリスクが高まるさまざまな病気など、その原因を抑制することを手伝う「抗加齢医学」の一種であると言えます(2)。ビジネスの文脈では「アンチエイジング」などと呼ばれ、日本でも2003年4月に日本抗加齢医学会が発足したことを皮切りに、急速にアンチエイジング・ビジネスが広まってきているといえます。

ある種、流行ともいえるアンチエイジングですが、このような医学研究やビジネスが急速に広まっている裏側には、およそ現時点で人類に普遍的であるといえる「老化」という現象が存在することは疑いようがありません。

そもそも、人間をはじめとする動物に、老化という生理機能の衰えが備わっているのは、ちょっと不思議なことではないでしょうか。

老化なんてしなくても、単細胞生物の細菌のように、次々と新しい個体に分裂することで、限りなく生命を存続させることだってできたはずです(3)。にもかかわらず、「ある程度のタイムスパンで、一生物個体の生命活動を完結させる」という選択を多細胞生物が選択したことには、なにか理由があるはずです。

今回の記事では「老化研究」の変遷から、動物やヒトになぜ老化という現象が備わったのかを、歴史学、生物学などの視点から考えます。

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「なぜ老化するのか」を探る老化研究の歴史は非常に古く、現在に至るまでさまざまな老化仮説が提唱されてきました(4)。

老化研究は1882年、ドイツの生物学者ワイスマンの提唱した「消耗説」によって始まります(5)。ワイスマン曰く、食品や環境、その他身体の酷使によるストレスにより、消耗します。若いうちはそのような損傷から回復する力がありますが、年を取るとその能力が低下し、難しくなる。それが老化だという考え方です(後述する「ホメオスタシス説」「エラー説」と言われる現代の老化仮説につながったと言われています)。

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フリードリヒ・レオポルト・アウグスト・ワイスマン
——(Friedrich Leopold August Weismann, 1834年 - 1914年)

一見もっともらしく聞こえますが、消耗や回復という言葉は、曖昧で具体的なイメージが湧きづらいものでした。

1920年代には、アメリカの生物学者パールがよく似た「生命活動代謝速度仮説」を提唱しましたが、これもやはり生命維持に関わる「生活物質」の存在を、具体的に同定できなかったと言われています。

1960年代からは、老化研究が進む一方、そもそも「老化とは何か?」を定義するところから研究を始める、認識論上の議論が提起されました。

イギリスの著名な医学者アレックス・コンフォートは、老化とは「死にやすくなること」であると定義します(6)。これは、1825年ごろ、既に年齢と死亡率の相関関係を示していた数学者ゴンぺルツの提唱した仮説(通称・ゴンペルツ仮説)にも沿うものでした。これ以降、老化研究には「身体的な機能の衰弱」に加え、「死」というタームが加わったことで、生物学的な視点だけではなく、医学的/病理学的な視点からの研究が盛んになっていったそうです。

「老化とは死にやすくなること」という基本的な前提が定まった1960年代からの老化研究により、現代の研究に通じる具体的な仮説が提唱され始めました。

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そこそこ多くの仮説があるわけですが、ここでは代表的なモノをとりあげます。

①フリーラジカル説(遊離基説)
②クロスリンク説(架橋結合説)
③プログラム説
④エラー説(7)
⑤ホメオスタシス説(8)

上にあげたものは、老化研究においてそれぞれが補完的であり、どれか一つが絶対的に正しいと言えるものではありません。それぞれの説に強みと弱点があるので、比較しながら「老化という現象」を考えてみましょう。今回は①~③の説を検討します。(④、⑤を知りたい方は、記事の一番下にある註(7)と(8)をお読みください。)

①フリーラジカル説
…フリーラジカルとは、不対電子(9)を持つ原子・あるいは分子のことで、その不安定性によってDNAやタンパク質、脂質と反応しやすいため、それらを傷害すると考えるのがこの説です。この節を提唱したデナム・ハーマン博士は、紫外線などの外部刺激による酸化ストレスがそれにあたると言いました(10)。ですが、のちにヒトの体にそもそも存在するミトコンドリアが活性酸素と呼ばれるフリーラジカルを形成することが判明し、それが現在のフリーラジカル説の主流になっているそうです。
②クロスリンク説
…酸化によるストレスとは別に、DNAやタンパク質をつなげる架橋反応(クロスリンク)が機能以上を起こし老化に至るという説。皮膚のコラーゲンどうしがくっついてしまうこともクロスリンクですので、皮膚が硬くなったり、シワができたりするタイプの老化を説明するものです(11)。

上にあげた二つの説はいずれも、”個別の動物自体”に現れる老化現象が、どのような化学的変化によってもたらされてきたかを説明する説です。

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一方で、三つ目のプログラム説は少し様子が異なります。

③プログラム説
…動物の発生過程で次々に起こる分化と同じように、成熟、老化、死という不可逆的な進行は、あらかじめ遺伝情報としてDNAに組み込まれたプログラムにしたがって、一定の順序で起こるように定められているという考え方(12)。

プログラム説は、動物の”個別の体”よりかは、より普遍的に、”動物種全体”について、老化がなぜ進行するのかを考える、比較的新しい仮説です。

なおかつ、学術的な辞書の中でも一番最初に書かれるだけあって、かなり有力な仮説ではないかと近年言われているものです。進化生物学・遺伝子学などの知見も生かしている学際的な研究のためまだまだ未発達ですが、だからこそ、ここでは詳細に検討してみたいと思います。

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以下、ちょっとショッキングな話になるのですが、ビックリしないでくださいね。

プログラム説が有力と考えられるようになった理由は、「老化が動物種ほぼすべてにとって、集団での生存に有利になることの説明ができるから」というものです。生物にとっては、種の保存が最優先事項であるため、生殖年齢に達するまでの生存は、遺伝的に保護されています。

ところが、次の世代をこしらえた(子供を作った)個体は役目を終えるので、次代の若い個体にとっては限られた食物資源の競合者として、かえって有害な存在になってしまうのです。

そういうわけで、生殖機能を使い終えた個体は、保証機構が解除されるか、老化遺伝子が発現することによって、親世代の排除が行われることが生物全体にプログラムされている、ということです。生物の寿命がそれぞれの種に特有であること、年を取るとガンや種々の病気にかかりやすくなることなども、この節を支持する証拠としてあげられます。

先に、それぞれの説に強み・弱みがあると言いました。プログラム説以外の説は、生物の個体それぞれになぜ老化現象が起こるのかを、化学反応などから説明するものでしかないのが弱みといってよいでしょう。一方で、プログラム説は老化現象のもっと源流にまでさかのぼり、生物種全体に当てはまる普遍的な説明が可能と言えるもので、一見、研究自体・仮説自体には弱みがないように見えますね。

ですが、プログラム説にも当然弱みはあります。多細胞生物の種ほぼ全てに「成熟(生殖)→老化→死」というプロセスが決定づけられているのであれば、「生殖」あるいは「次世代個体の育成/保護」を終えた個体は、種の存続に必要でないという、極めて差別的な言説を許すことになってしまうのです。倫理的に大問題だと言っていいでしょう(13)。

「例のパンデミックは、人類に必要のない老人たちを淘汰してくれるものだ!」みたいなヤバイ言説や陰謀論をまき散らす人は、ネットのアンダーグラウンドな部分にいっぱいいますが、そのような老人差別は最近始まったものではありません。1960年代以降、アメリカではグレイパンサーや全米退職者協会といった老人たちの当事者組織が、高齢者に対するステレオタイプなイメージを批判しましたが、このような運動が巻き起こる背景には「年齢差別(=エイジズム)」が根深くアメリカに存在したことが関係していました(14)。

このような社会的な趨勢に合わせ、一部の社会学研究者などが「老いを生きる」論として、老いが人間の「生涯発達」の一段階であるという主張を大々的に展開し始めたのが、1980年代のことでした(15)。「生涯学習」といった言葉の定着も、この運動に端を発したものです。冒頭で説明した「抗加齢医学」が1990年代にアメリカで始まり、日本で2003年に始まったのは、そのような社会的な流れによるものでした。

老いは、およそ人類に普遍的な現象であると言ってよいし、進化生物学/病理学の知見を学べば、それがある種、人類の普遍的な生存戦略の一つとして、必要なものであったともいってよいでしょう。

しかし、だからこそというべきか、私たち人間は個体としては死を恐れ、アンチエイジング的な研究や商品、言説に強く惹かれ、それに希望を感じるのかもしれません。

——リリー、 2021年1月15日


さらに発展的に勉強したい人向け

細胞のアポトーシスを含めた、細胞死の視点から老化を考えてみる一般向けの「老化」論。記事内でいえばホメオスタシス説、エラー説を詳しく知れると思います。


人はなぜ太り、歳をとり、病気になるのか。本書は、がんと狭心症を体験した著者が、歴史と生物進化の視点から、遺伝子と病原微生物の狩人たちの人間ドラマを背景に描く、臨場感あふれる医学物語である。


どうして今後人間の寿命が延びるのか、また延びた先の世界ではどのように生きていけばいいかを描いたビジネス書。細胞がリプログラミングできるようになったことから、逆に人類は新たな生き方を模索しなければならないと述べる。


言わずと知れた人生百年時代の名著。教育→仕事→引退という3ステージの人生が崩壊することをいち早く示し、生涯学習が必要になることを経営学的な文脈で初めて提言したと言われている。山口周さんとかこの本結構引用しますね。

参考文献

(1)日経ニュース速報「東大・九大・新潟大など、老化細胞を選択的に除去するGLS1阻害剤が加齢現象・老年病・生活習慣病を改善させることを証明」2021年1月15日,午前4時1分.
(2)"アンチエイジング", 日本大百科全書(ニッポニカ), JapanKnowledge, https://japanknowledge.com , (参照 2021-01-15)

(3)"アンチエイジング[流通産業]", 情報・知識 imidas 2018, JapanKnowledge, https://japanknowledge.com , (参照 2021-01-15)
(4)近藤祥司『老化はなぜ進むのか ―遺伝子レベルで解明された巧妙なメカニズム―』講談社,2009,pp56-64.
(5) Die Entstehung der Sexualzellen bei den Hydromedusen: Zugleich ein Beitrag zur Kenntniss des Baues und der Lebenserscheinungen dieser Gruppe. Fischer, Jena.1883年.
(6)アレックス・コンフォート『人間生物学』新思索社,1991年.
(7)老化や寿命は遺伝的に決められているのではなく,生命の維持に重要な自己増殖(複製)における情報の貯蔵・伝達・発現の過程が,時間がたつにしたがって損傷を受け,まちがいを生じて,秩序が乱れてくることが老化の原因になっているという考え方。
——"老化", 世界大百科事典, JapanKnowledge, https://japanknowledge.com , (参照 2021-01-15)
(8)多細胞動物の体はかなり大きな予備能力をもっているので,少々の数の細胞が減少しても正常に機能が営まれ,それがすぐに個体の老化や死に結びつかず,生体調節機能の失調や衰えを介して初めて個体のレベルに影響が現れるとする説——Ibid.
(9)不対電子とは、一つの原子あるいは分子の中で対を成していない電子のことです。閉殻構造を持った希ガスや多くの安定な分子では、逆向きの軌道にスピンする電子が対を成していますが、それ以外の原子では電子のスピンが平行になり、不対電子を持ちます。奇数個の電子を持つ分子(遊離基など)や、偶数個の電子を持っていても不対電子を持つ例もあります(O2)。一般的に不対電子はほかの不対電子と対を成して共有結合をつくるので、化学反応性が大きいと言われています。だから老化現象に深くかかわっているわけですね。——"不対電子", デジタル化学辞典(第2版), JapanKnowledge, https://japanknowledge.com , (参照 2021-01-15)
(10)後藤佐多良「追悼文 Denham Harman博士の逝去を悼む―老化のフリーラジカル説の誕生・歴史・展望—」,基礎老化研究 39: pp87-92, 2015年.
(11)近藤祥司『老化はなぜ進むのか』.
(12)"老化", 世界大百科事典, JapanKnowledge, https://japanknowledge.com , (参照 2021-01-15)
(13)ここでは倫理的に問題があると述べているだけで、進化生物学/病理学の知見から言えばプログラム説は間違いではありません。ただ、差別的な言説を許してしまう可能性のある点が弱みである、ということです。
(14)越川礼子『グレイパンサー』潮出版社,1986年.
(15)日本社会学会/社会学事典刊行委員会(編)『社会学事典』丸善出版,2015年.pp306-307.

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