子供に「ちょうどの刺激」を与えられたと感じる事ができた話。
「プリントを配られたら、表紙に名前を書いてね。
そろそろ自分の名前はひらがなで書けるようにしてねー!」
11ヵ月前。
次男が幼児教室に通い始めて1回目の授業。
私はとてもドキドキしていた。
「自分の名前をひらがなで書く」
当時年中になったばかり、4歳の次男は「ひらがなで名前を書く」どころか、「ひらがなを読む」事さえできなかった。
「あぁ、マズイな。失敗したかも。」
保護者席で中の様子を見ながら、そう感じた。
でも、今はあの時通わせることにして良かったと心から思えている。
放置しすぎた次男
長男は、1歳の誕生日から「こどもチャレンジ」をやっていた。
更には「鉛筆の練習がお箸の練習に繋がる」という発想で、2歳から市販のワーク(運筆)をやらせたり、年中から幼児教室へ行ったり…と
比較的「教育熱心」に長男を育ててきた。
対して次男である。
今思えばとても申し訳ないけれど、長男の小学校受験で家族全員が必死だった時期、次男の事は完全に放置状態だった。
ひらがなを書くどころか、読む事もできないまま年中になった。
「第二子」というフィルターがかかっている為なのか、いつまでも赤ちゃんの様に感じてしまい、できない事が沢山あっても「可愛い」で済ませてしまっていた(笑)
当時、保育園の先生にも何度も話していたけれど
「気が付いたら4歳になっていた」という感じだった。
キッカケを与える事ができた
次男も長男と同じように「小学校へ行く準備」と称して、年中から同じ幼児教室へ入れる事にした。
4月の初回授業で、プリントを配布された直後に
「そろそろ自分の名前はひらがなで書けるようにしてね!」と言われて、勿論書けない次男。
周りをキョロキョロ見て、茫然としていた。
その後も「プリントの3ページを開いて下さい」等と言われても、数字を読む事さえ怪しかったので、ちゃんと指定のページを開けているのか怪しい。
私は、次男が周りに全くついていけない気がしてハラハラした。
それでも、「良い姿勢でお話を聞く」とか運動の時間には先生に褒められることもあり、1回目の授業後「楽しかった!」とニコニコだった。
そして3回目の授業、プリントを配布されて周りの子がスラスラと名前を書き始めた時。
次男は、自分の胸元についている名札を見ながら一生懸命名前を書こうとしていた。
今まで家で何度かやらせようとしても「わかんないもーん!」と乗ってこなかったのに、自ら工夫して書こうとしていた。
1ヵ月経つ頃にはすっかり馴染んできて、得意な事も増えていった。
「始める」「辞める」という選択
そんな幼児教室も、11月からは「新年長クラス」となり「お受験塾」という空気がプンプン漂うようになってきた。
色々考えた結果、我が家は「受験はしない」という選択に至ったので退会する事にした。
クラス内に仲良しのお友達もできて、とても楽しく通っていた。
昨日が最終授業で、先生にもお友達のママにも「寂しい」と言われ、私も「週1の習い事という感覚で続けられる世界なら続けたかった」と何度も漏らした。
でも、そうはいかないのだ。
お友達と仲良くして、一緒に「受験」という本番を目指して試行錯誤していければ戦友になれる。
だけど、「小学校入学の練習で十分」と考えている親と、「志望校に合格したい」と考えている親では、満足できる授業も違うし、ここからの10ヵ月の過ごし方も全く違うものになる。
通い始めた時の「小学校入学の練習」という意味では、十分達成できた。
まだ完璧ではないけれど、読めるひらがなも増えたし、一部の文字は書けるようになった。
椅子に座って先生の話を聞くという経験も積むことができた。
子育てにおいて色々な選択肢がある中で、始めたタイミングも辞めたタイミングも私の中ではとても納得感のある形になった。
「ちょうど良い刺激とキッカケ」を与える事が出来て良かった。
「放置」と「刺激」のバランスを常に取りながら、この先も子育てを楽しみたいと思う。
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