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大人も子供も、午後は自由に過ごせたら良いのに。

「えっ、水曜日5時間授業??」

この春小2になった長男。
配布された学年だよりを見ていたら、とても驚いた事がある。

それは、「水曜日が5時間授業になること」だった。

1年生の終わり頃に確かに聞いていた。
2年生になると授業数が増えるって。

だけど、早速4月から全曜日が5時間になるとは予想外だった。


午後の授業の生産性

そもそも論だけど。

給食後の授業なんて集中して聞けるのだろうか?
給食食べて、掃除して、その後の授業なんて頑張れるのだろうか?

仮に頑張れたとしても。

週の真ん中1日位は
「今日は給食食べて掃除したら終わりだー!!」という嬉しい日があっても良いのではないだろうか?

その方が、他の授業を頑張れそうな気がする。

先生だって、5時間目・6時間目まで授業がったら定時まで残り2時間程しかない。

大体、子供によっても必要な時間数とか体力が違う。
一律に「年間授業時間は〇時間」とか定めるのは如何なものか?と思う。

習い事が後ろへズレまくる

こうして、学校の終了時刻が遅くなるから他の予定もどんどん後ろ倒しになる。

通っている民間学童だって、学校が終わる時間が遅くなると滞在時間が短くなって割高。

長男の通うスイミングも、進級した事によって平日は17時半~18時半というサラリーマンの定時みたいな時間になってしまった。
(今は土曜日に通っている)

他の習い事を見ていても、学年が上がるにつれてどんどん時間が遅くなる。「中学受験塾」だって、4年生以上の授業は17時~である。

子供の午後を解放せよ


我が家はスイミングと体操を習っている。
(お勉強系はタブレット教材のRISU算数のみ)

スイミングも体操も、体を動かす事が好きとか、体力作りという側面は勿論あるが、続けている理由は、「小学校の授業で網羅するのは難しそうだ」と感じたからだ。

これは学校を責めているわけじゃない。

小学校の「担任の先生」が全ての授業を完璧にこなすなんて無理がある。

お勉強が得意な先生が、跳び箱8段飛んでみせたり、バック転したり、クロール25m完泳できるとは限らない。

そもそも1人の先生が30人もいる小学生の安全に目配りしながら、技術を教えるなんて難しい。

体育だけじゃなくて、絵の描き方、音楽(特に楽器)、英語、プログラミングなんて「正直苦手です」という先生も沢山いるのではないだろうか?

って言うか、「先生に色々求めすぎ」じゃないか?

体操、プール、球技、ピアノ、芸術、音楽、プログラミング。
どんな分野も「その道のプロ」に習いたい。

各家庭で「ここを伸ばしたい」と思うから習い事をする。

だけど、お金も時間も限りがある。

それなら机上のお勉強は午前に集約して、午後は「選択制」にした上で民間と連携して好きな事を伸ばす事に充てたりできたら良いのに。

幼稚園ではよく採用されている方法だと思う。

大人にも自由時間を


常々「8時間労働撲滅委員会」と言い続けているけれど。
大人も午後の過ごし方が自由なら良いのに。

家事をしても良し。
子供と遊んでも良し。

筋トレも良し。
読書も良し。
人脈作りのお茶会・飲み会も良し。
サークル活動も良し。
リスキリングも良し。
複業も良し。

勿論、仕事をしても良し。


今、世の中はとても残酷だと思う。

大企業の一部が副業を解禁したとは言え、まだまだそれは少数派。
大体「副業」だって、「勤務時間外でやって下さい」という会社が殆どだ。

副業をしなくても
「リスキリングが大切だ!」とか
「〇〇は近い将来AIにとって代わられる仕事だ」とか

このまま同じ仕事を続けられる保障がないのに、1日の多くの時間を拘束する。


業務時間外で副業したり、学び直しをする事が前提。
それでは睡眠時間も、休憩時間も削られていく。
そして健康を害したとしても、「自己責任」である。


この本にも通じる事だけど、私達はもっと自分の人生を長い目で見て選択した方が良いのではないか?


心も体も健康でいるために。
そんな事を最近つくづく感じる。

〈あとがき〉
一部の小学校では水泳の授業は民間のスイミングスクールにコーチを依頼したり、スイミングスクールへ移動して授業をしているみたいです。
「少ない資源と労働力を有効に活用する」という視点に立てば、これは凄く有益な考え方ですよね。
子供にとっても「担任以外」の沢山の大人と接する機会があった方がプラスな気がします。

今日も有難うございました。

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