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ラスコーリニコフの孤独―『罪と罰』私論―(5)

目次
問題の所在
様々な解釈
仮説
断ち割る者
糸杉と銅の十字架
ギリシャの神々
ソーニャの直観
アリョーシャの絶望と再生
ラスコーリニコフと神
リザヴェータはなぜ殺されたのか?
エピローグ
終わらない「問い」

前回までの要約
ラスコーリニコフは老婆の殺害の直後から「無限の疎外と孤独の感覚」に苦しめられる。
主人公が陥った、この「感覚」の正体は果たして何だったのか?
筆者は、作者の隠された意図について、次のような仮説を立てた。
この世界の、あらゆる人と人とのつながりは、水平的な横のつながりではなく、すべて天上の神を仲立ちとした垂直的な縦のつながりである。従って、老婆を殺害することで、神に背き、自ら神との絆を断ち切ったラスコーリニコフは、もはや、必然的に世界の誰ともつながることができなくなった。
そのことを直観的に、皮膚感覚として突きつけられたものが、彼の絶望的な孤独の正体であった。
この仮説のための第一の傍証として、筆者は、「ラスコーリニコフ」という主人公の姓に「神との絆を断ち割るラスコローチ者」という暗示が読みとれることを指摘した。

糸杉と銅の十字架

ラスコーリニコフは、自ら神との絆を断ち切ったために、この世の誰ともつながることができなくなったのだ。そのような仮説の「裏付け」となるようなディテールを、さらに一つ一つ積み重ねていくこととしよう。

 前回に続いて、犯行の現場に注目したい。

ラスコーリニコフは、老婆を斧で撲殺した後、室内で金目の物を物色しながら、不意に不安に襲われ、老婆が間違いなく死んでいるか、かがみこんで検分する。このあたりの描写は実にリアルだ。
次に引用する箇所は、それに続く場面である。

 ……ふと、老婆の首にかかった紐に目がついた。ぐいと引っぱってみたが紐は強くてちぎれなかった。それに血でべとべとになっていた。そのまま胸から引っぱり出そうとしたが、何かにつかえて出てこない。彼(ラスコーリニコフ)はじれったくなって、もう一度斧振りあげ、死体を台にそのまま紐をたたき切ろうとした。だが、さすがにそれもできず、手も斧も血だらけにして二分ほどもごそごそやったあげく、死体に斧がふれぬようにして、ようやく紐を断ちきり、首から紐をはずした。思ったとおり財布だった。紐には、糸杉と銅の二つの十字架と、ほかに七宝細工の聖像がついていた。そして、それといっしょに、鉄製の縁と輪がついた、かもしか革の小さな財布がつるしてあった。財布ははちきれそうにふくらんでいた。ラスコーリニコフは中身をあらためもせずに財布をポケットにねじこみ、十字架は老婆の胸の上に投げすてた。……(第一部 七)

江川卓訳, 岩波文庫, 上巻 pp.162-163.

ラスコーリニコフは、老婆の首にかけられた財布を盗むために苦労して紐を切り離す。そして、その紐には、財布とともに二つの十字架と聖像がくくりつけられていたというのだ。

老婆が財布を首にかけていたのは、それを置き忘れたり、ひったくられたりしないように、肌身離さず身に着けていたということだろう。財布といっしょに十字架と聖像をくくりつけていたのは、もちろん老婆がキリスト教徒(ロシア正教徒)であったからだ。

江川卓は、訳注において、正教徒は、洗礼の際に木製ないし金属製の十字架を首にかけ、これを生涯身に着けるならわしになっていたこと、また、七宝細工の聖像は十九世紀にかけてロシアで広く用いられていたことを解説している。

首にかけられた二つの十字架も聖像も、ロシアの正教徒にとっては、一般的な習俗であり、読者はなんら違和感を持つことなく読み過ごすところかもしれない。

しかし、ドストエフスキーが、あえて(ロシア語原文で)百語以上も費やして、わざわざこのような場面を詳述したのだとすれば、その場面に作者がなんらかの「暗示」を意図的に仕掛けた可能性を疑うべきであろう。

どのような暗示かは、もうお分かりのことと思う。

十字架と聖像が、キリスト教徒の証しであり、神に対する信仰のしるしであるとすれば、ラスコーリニコフが悪戦苦闘の末に切り離して、老婆の死体の上に投げすてたものは、「神との絆」であった、という暗示である。

 ギリシャの神々

ラスコーリニコフが殺人を犯したことによって、「自らと神とを結ぶ絆を断ち切った」のだとして、では、そのことが、彼とあらゆる他の人間を切り離すという事態をもたらしたのだと、果たして言えるだろうか? 

 江川卓の『謎とき『罪と罰』』は、この問いを検討する上で、たいへん興味深いエピソードを伝えている。

 江川は、ラスコーリニコフのファーストネーム「ロジオン」の命名の由来について、「ロジオン」は即ち「イロジオン」であり、「イロジオン」の語源はギリシャ語の「へーロース」(英雄)であるとして、「ロジオン=英雄ひでお」説を唱えている。
(したがって、江川によれば、ロジオン・ラスコーリニコフの日本名は「割崎わりさき英雄ひでお」となる。)

江川は、この「ロジオン=英雄ひでお」説を補強するための根拠として、ドストエフスキーが若い頃から愛読していたシラーの詩「ギリシャの神々」の次の一節に着目する(訳は江川の著書による)。

エロスは人間と神と英雄へーロースのあいだに
いつでも愛のきずなを取りもった。
そして人間が神や英雄へーロースとともに
美の女神にいけにえを捧げたものだ。

江川卓『謎とき『罪と罰』』新潮選書, 1986 pp.111-112.

江川によれば、この詩は、ドストエフスキーの兄ミハイルによって、「おそらくドストエフスキーのすすめで」、『罪と罰』が書かれる五年前にドイツ語からロシア語に訳されているとのことだ。
ここから、江川は、「この詩こそがドストエフスキーに初めて「英雄」(へーロース)への文学的関心を喚び起し、独特の「英雄」物語を発想させた最初の源泉ではなかったか」と推理する。そして、ラスコーリニコフを「英雄」(へーロース)に擬すことによって「ドストエフスキーは、人間が神とも対等に付き合うことのできた時代への憧憬を語りたかったのかもしれない」と論じている。(同上 pp.111-112.)

江川の論点を整理しよう。
①    ラスコーリニコフのファーストネーム「ロジオン」はギリシャ語の「へーロース」(英雄)に由来する。
②    ドストエフスキーが愛読していたシラーの詩「ギリシャの神々」の一節に「英雄」が登場する詩句がある。
③    ドストエフスキーに独自の英雄物語(すなわち『罪と罰』)を発想させた源泉は、シラーの詩「ギリシャの神々」であったとの推理が可能である。

江川の推理のとおり、ラスコーリニコフが、シラーの詩に描かれた「英雄」に擬せられて命名されたのだとしよう。では、その詩において「英雄」は、神や人間とどのように関係づけられているだろうか?
それについて、江川は、上で簡単に要約した以上の考察を特に加えていない。

シラーの「ギリシャの神々」の邦訳は、筑摩書房の『世界文学大系』に収録されている。
全16連からなる長詩であり、全体としては、江川が書いているように、かつての(一神教以前の)、天衣無縫で自由奔放な異教世界に対するノスタルジーを謳った詩のように読める。その中で「英雄」という語が直接出現する詩句は、江川が引用した部分(第5連の後半)のみである。
こちらの邦訳からも同じ箇所を引用しよう。

人間と 神々と 英雄たちとのあいだを
アーモルが美しい紐でむすび
死すべき者たちも神々や英雄といっしょに
アマトゥースの女神に仕えたのだ。

「ギリシャの神々」手塚富雄訳
『世界文学大系 18 シラー』筑摩書房, 1959 p.8.

因みに、シラーによるドイツ語原文は以下のとおり。

Zwischen Menschen, Göttern und Heroen
Knüpfte Amor einen schönen Bund.
Sterbliche mit Göttern und Heroen
Huldigten in Amathunt.

Friedrich Schiller, “Die Götter Griechenlands,” 1788. 
Friedrich Schiller Archiv website.

『世界文学大系』の手塚訳の方が、原文により忠実な翻訳であるようだ。

ギリシャ神話の英雄は、その多くが半神半人、すなわち神と人間との中間的存在である。
例えば、英雄の代表格であるヘラクレスもペルセウスも、ともに主神ゼウスと人間の女性との交わりによって誕生する。そんな異種間(?)の恋愛の成就のために手助けする役どころが、恋の神エロス(別名アモルまたはクピド)であると言えそうだ。

「人間と神々と英雄たちとの絆」を意味するシラーの詩句には、そんな異教世界の自由でおおらかな恋愛への賛美が込められていたのかもしれない。

だが、ここで、私が言いたいことは、そのような詩の解釈とは全く関わりないことだ。

ドストエフスキーが、この詩を愛好していたとしたら、そして、この詩に謳われた英雄からラスコーリニコフの物語を発想したのだとしたら、作家は、「人間と神々と英雄たちとのあいだにむすばれた絆」という詩句から、「英雄(ラスコーリニコフ)と人間との絆を媒介する存在は神である」というインスピレーションを得たのではないだろうか?

残念ながら、この詩の「神」は複数形であり、ラスコーリニコフを罰する一神教の「神」とは相容れない世界の神々であるが、シラーの「詩想」とは別に、単純な「言葉」の連なりからの連想で、作家がそのような着想を得たという想像は、あながちあり得ない話とも言えないのではないか。

以上が、江川卓の独自の卓抜な見解に全面的に依拠しつつ、半ば強引に導き出した私の推論である。
もっとも、これらは、所詮は『罪と罰』という作品の「外側」の事情をめぐる議論に過ぎない。どんなに頑張って主張しても、たかだか「状況証拠」の域を超えるものではない。

次回は、より直接的な「証言」を、作品の主要登場人物から引き出すことを試みたい。

(続く)


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