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ラスコーリニコフの孤独―『罪と罰』私論―(11)

目次
問題の所在
様々な解釈
仮説
断ち割る者
糸杉と銅の十字架
ギリシャの神々

ソーニャの直観
アリョーシャの絶望と再生
ラスコーリニコフと神
リザヴェータはなぜ殺されたのか?
エピローグ
終わらない「問い」
前回までの要約
ラスコーリニコフの「無限の孤独と疎外の感覚」の正体は、自ら神との絆を断ち切った結果として、必然的に世界の誰ともつながることができなくなったことを、直観的に、皮膚感覚として突きつけられたものであった。
この「仮説」を裏付けるものとして、筆者は、「ラスコーリニコフ」という姓から読みとれる暗示、ラスコーリニコフが老婆の死体の上に投げすてた十字架と聖像の暗示など、5点の根拠を示した。
さらに、筆者は、ラスコーリニコフと「神」の関係、リザヴェータが殺された意味等について考察した。
前回は、エピローグの内容に言及し、監獄におけるラスコーリニコフの描写に、作家自身の監獄体験が反映されていた可能性を指摘した。

終わらない「問い」

『罪と罰』のエピローグで、作者は、ラスコーリニコフの更生が徐々にはじまりつつあることを述べて、小説を終えた。

このラスコーリニコフの更生の過程は、作家自身の監獄での体験から生じた精神的過程、おそらく自己と民衆とを隔てる深淵の超克に向けた自己変容の過程と重なるものであったのではないか?

筆者は、前回の最後にそのような推測に言及した。
そのように推測する理由のひとつは、監獄内のドストエフスキーが、ラスコーリニコフと同様に、囚人たちとの隔絶を経験していたらしいという伝記的事実(同時代人の証言)だった。

この点に関して、もうひとつ興味深い証言をお示ししたい。
以下は、刑期を終えた直後の作家本人が兄のミハイルに宛てた手紙からの引用である。
監獄内での、汚物と悪臭にまみれた生活環境の劣悪さ、耐えがたさを綴った文面とあわせて、次のような一節を読むことができる。

……もっとも、人間はどこへ行っても人間であることには変わりがありません。監獄で強盗どもに囲まれて暮らしていても、僕は、この四年のあいだに、とうとう本当の人間が見分けられるようになりました。あなたは本当になさらないかもしれませんが、その中にだって深みのある、強い、すばらしい性格の持ち主がいるのですよ。そして、粗野な殻の下にかくされた黄金を発見することはどんなに嬉しいことでしょう。〔僕は〕しかもそれがひとりやふたりではなく、何人もいたのですからね。<中略> 僕はこの徒刑生活の中から、どれだけ民衆の生活やタイプを学び取ったことでしょう! 僕は彼らと一緒に暮らし馴れ親しんできました。ですから、彼らのことはかなりよく知っていると思います。<中略> それにしてもなんというすばらしい人たちでしょう。全体としてこの年月は僕にとって決して無駄に失われたものではありません。たとえロシヤそのものではないにしても、僕にはロシヤの民衆がよく分かりました。しかもきっと知らない人が多いだろうと思われるくらい、彼らのことがよく分かったのです。これが僕のささやかなうぬぼれです! これぐらいのことは許されてもいいだろうと思います。(兄ミハイルへ オムスク、一八五四年二月二十二日)       
小沼文彦訳『ドストエフスキー全集 第15巻』筑摩書房, 1972 pp.189-190.

上の引用の中で、特に注目すべきことは、ドストエフスキーが、徒刑生活をともにした囚人たちをまぎれもない「ロシアの民衆」であると見なしていた点である。

兄宛の感激口調の手紙の文面を読むと、作家は、すでに徒刑期間中に、民衆との間の「深淵」を越えてしまったかのようにも思える。
だが、監獄における「民衆との出会い」が作家にもたらした精神的変容の過程は、より長期的な、本質的なものであったようだ。

『作家の日記』の中のある文章によれば、この「民衆との接触」は、彼の思想上の転向をすら導いたのだ。

……流刑の幾年間も、苦痛も、われわれの意志を砕きはしなかった。それどころか、われわれはなにものにもひしがれることなく、その信念は義務遂行の意識によって、われわれの精神を支持してくれた。いな、なにかしらある別のものがわれわれの見解、われわれの信念、われわれの心情を一変さしたのである(私はもちろん、所信を変更したことがなんらかの方法で世に知られ、当人によって証明された人々のことのみをいっているのである)。このあるものというのは、――民衆との端的な接触であった、共通の不幸の中における彼らとの同胞としての結合であった。自分も彼らと同じような人間になった、同等なものになった、いな、むしろ彼らの最も低い段階と平均されてしまった、という観念なのである。
 繰り返していうが、これは一朝一夕に起こったことではなく、きわめてきわめて長い時日をへて、漸次に行われたことである。……(一八七三年 一六 現代的欺瞞の一つ)
米川正夫訳『作家の日記(一)』岩波文庫, 1991(復刊) p.298.

ドストエフスキーは、ここで、かつての自分自身の「見解、信念、心情」が徐々に変わっていき、ついには「一変」したということを告白している。
それは、図式的に言えば、作家が、青年時代に信奉した、西欧を起源とする社会主義的、自由主義的な思想から離れ、しだいに保守的な、どちらかと言えばスラヴ主義的な、つまりは、民族の統合を志向するような傾向へと右傾化していったことを意味するものである、と考えて差し支えないだろう。

この「告白」中で言及される「われわれ」とは、ドストエフスキーと同様にペトラシェフスキー事件に連座し、徒刑に処せられた知識人たちを指すと思われる。
ドストエフスキーが、あえて「私」ではなく「われわれ」とひとくくりしたのは、彼の「転向」が「個人的」な、恣意的な過程ではなく、半ば必然的なものであったことを強調したかったのではないだろうか。

・ピョートル大帝の改革以来、ロシアの知識階級が西欧志向を強め、母国の大地から遊離してしまったこと
・その結果として失われてしまったロシアの一体性を回復するために、知識人が民衆の前に屈して、民衆の真理を共有せねばならないこと
・さらに、民衆の真理は正教の中にのみ存在するのだということ

煩雑になるため、あえて引用を避けるが、これらは、『作家の日記』の中で主旋律のように繰り返されるドストエフスキーの中心的な論点である。

(たとえば、以下の記事を参照)

おそらくドストエフスキーの転向の過程は、ロシアの国民性の再統合を追求する過程であり、それは知識人が正教の信仰を回復する過程と重なるものであったのだろう。

このように考えてくると、「ラスコーリニコフの更生」が意味するものは、作家自身の思想上の転向という個人的な問題すらも越えて、ロシアという国家の社会的、歴史的な運命にまで広がっていく可能性がある。

つまり、ラスコーリニコフの更生は「ロシアの知識人と民衆との再統合の暗示」であるという解釈が成り立ちうる、ということだ。

もっとも、ここまで書いておいて自分で言うのもなんだが、正直なところ「そんなことはどうでもいいことだ」と思う。

『罪と罰』が書かれた動機が、作家の思想上の転向と関連があったとしてもなんら不思議はないし、ましてや、それが当時のロシアの時代状況と深く結びついていたことはむしろ当然のことだろう。だが、そうした事情は、この作品が時代や国を超えて綿々と読み継がれている理由にとっては、おそらくさほど重要なことではない。

この作品が、書かれてから150年以上経ってもなお価値を失わず、現実に読み継がれている理由は、そこに、作家本人が生きた局限的な時代や場所を超えた普遍的な、人間存在にとって根源的な意味があるからにほかならない。

「ラスコーリニコフの孤独」が時代を超えて読者に突きつける問題は、「人はどのようにして他者とつながることができるのか?」という問いである、と私は思う。
ラスコーリニコフの苦悩は、他者とつながるための回路を見失った合理的な近代人にとっての実存的な絶望、恐怖の象徴なのだ。

「人はどのようにして他者とつながることができるのか?」

おそらく、ドストエフスキーにとって、彼が生きた時代状況の中で、この問いは、いかにして知識人が民衆との断絶を越えて、ロシア国民としての一体性を回復しうるのかという問題と限りなく近いものであり、その答えを突きつめようとするとき、作家は、必然的に「正教の信仰」や「神の存在」に直面せざるを得なかった。
私にはそのように思われる。

もう一度、この小論で『罪と罰』の中心命題として提起した「仮説」を繰り返そう。

人と人との絆は、水平的な横のつながりではなく、天上の神を仲立ちとした、垂直的な縦のつながりである。

「もし神が存在しなければ、すべてが許される」とは、『カラマーゾフの兄弟』でイワン・カラマーゾフが言った(とされる)有名な言葉である。
この言葉が、別の登場人物に影響を与え、重大な犯罪が引き起こされる。

「すべてが許される世界」、それは、まさにラスコーリニコフが陥った世界であり、必然的に、人間たちを分裂や、断絶や、孤独に追いやる世界だ。
それは、旋毛虫に媒介された疫病がいたるところに蔓延する悪夢のような世界だ。

私がドストエフスキーの作品を読んで感じるのは、この十九世紀文学の巨人は、「神が存在する」ことを証明しようとしたのではなく、「神は存在しなければならない」ことを証明しようとしたのではないか、ということである。
そして、それは、ドストエフスキーが、人間存在の根源的な意味を見出そうとぎりぎりまで苦悶したあげく、最後にたどり着かざるを得なかった唯一の「答え」だったのではないだろうか。

もちろん、それが「正しい」答えであるという保証はどこにもない。問題は、正しいか否かではなく、「信じる」ことができるかできないか、なのだ。

「人はどのようにして他者とつながることができるのか?」

ドストエフスキーの文学が、現代の読者に問いかけるこの「問い」は、人間がこの世に存在し続ける限り、そこからのがれることのできない、終わることのない「問い」であるように思う。

(了)

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