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孤独と同じ数の邂逅、失望と同じ数の希望【ハイダグワイ移住週報#14】

この記事はカナダ太平洋岸の孤島、ハイダグワイに移住した上村幸平の記録です。10/31(月)→11/14(月)の二週間分をまとめてお送りします。

10/31(月)

新しいカヤックギアが届いた。支援いただいた会社から日本の実家に送られてきたものを、昨日まで島に遊びにきてくれていた村田さんに持ってきてもらったのだ。

株式会社モンベル様の「チャレンジ支援プログラム」に採用され、ギアのご支援をいただきました!

「チャレンジ支援プログラム」とは、日本が誇るアウトドアブランドのひとつであるモンベル様が提供する冒険・探検ファンド。日本国内・国外の自然を舞台とした活動をさまざまな形で支援するというプログラムです。

「辺境・未踏の地へ、それぞれの夢を抱いて多くの人たちが冒険・探検の旅へと出かけていきます。モンベルはその目的達成をサポートするプログラムを提供しています。
「チャレンジ支援プログラム」は、モンベルクラブ・ファンドを原資とし、冒険・探検活動、自然保護活動、社会福祉、野外教育、地域貢献など、自然と関わりがあり、社会的貢献度の高いさまざまな取り組みを支援するプログラムです。」(株式会社モンベルHPより)

このプログラムのことを知ったのは今年の春。西伊豆のカヤック大将である村田さんが教えてくれたモノです。それから二ヶ月かけて企画書・渡航計画を練り上げ、五月末の締切の際にギア支援の申請をしました。

無事採用いただき、シャツなどを提供いただき、テントなどの特別価格での購入をさせていただきました。ご支援いただいた物資、大切に使わせていただきます。ありがとうございました!

さっそくタープとテントを設営する。

テントは「ルナドーム二型」。これまでは五年前に買った山岳用オールシーズンテントを使っていたのだが、海岸でキャンプするにはどうしても暑すぎて困っていた。このテントは換気部分も多く、なにより居住空間がとても広い。停滞時にぴったりだ。

タープは「ミニタープHX」を選んだ。これまで自分のアウトドア・フィールドは主に山であり、タープを持っていくなんて考えもしなかった。ただ、これから次のシーズンにかけて僕がやろうとしているのは、雨の多いベア・カントリーにおけるカヤック旅。匂いに敏感なクマを引きつけないために、テント以外の場所で食事しなければならない。タープで小さな屋根を作れることで、いわゆる独立した炊事場を設けることができる。

アウトドア用のギアはこの世にごまんとあり、それぞれに一長一短がある。安い買い物ではないからこそ、日本から何を持って行き、カナダで何を調達し、スポンサー企業から何を支援していただくか、とても頭を悩ませた。

カヤック旅用の新しいギアを数点取り入れ、とりあえず物資における準備は一定の満足を得た。これらの道具が、いったいどんな場所に僕を連れて行き、どんな景色を見せてくれるのか、今からとても楽しみだ。

11/1(火) 

ご近所さんのミドリの兄、タモが島に帰ってきた。もはや隔週開催となってきたミドリの家でのディナーに誘われる。

タモはミドリの兄。日系の母とチリ人の父のもとで育ち、若くしてスノーボーダーとしてキャリアを築き始める。22の時にドキュメンタリー撮影をはじめ、今ではハイダグワイとイスキートというブリティッシュ・コロンビア州北部に位置する先住民コミュニティを行き来しながら映画づくりと上映会を行なっている。カナダ仕様に改造されたスズキの軽トラを軽やかに乗りこなす33歳のナイスガイだ。

彼と彼の祖父デイヴィッド・スズキ(カナダで最も有名な科学者のひとり)が日系人としてのルーツを探るドキュメンタリー。ハイダグワイと北海道の自然を繋ぐストーリー。

「今はオンラインでとある財団の仕事をしているんだ。楽しいことをするにはお金もかかるしね」リモートのフルタイムの仕事をこなす傍ら、守るべきコミュニティで映画を撮り、その上映を通して人々とのつながりをより強固なものにしている。素敵な生き方だ。

タモは僕の家からは二軒隣の敷地に四人共同の土地を持ち、「セントー・プロジェクト」と称してサウナ、薪風呂、水風呂を揃えたリラクゼーションエリアを建築中。日本人アドバイサーとしての参画が決まる。楽しくなりそうだ。

11/4(土)

レストランに新しいスタッフが入る。ソフィーは21歳の学生。ブリティッシュ・コロンビア大学(UBC)で林業について学んでおり、今年の秋学期の期間だけハイダグワイに国内留学しているのだという。

ビストロからの景色。ときどきクジラも通りかかる。

「林業って都会で学ぶものじゃないのよ。こうしてフィールドにこれて、とても新鮮」僕たちのビストロが入居しているハイダ・ヘリテージ・センターは高等教育機関でもあり、カナダ各地の大学と提携した数々のコースが開講されている。特に森林保全を専攻している彼女にとって、先住民ハイダ族が連邦政府や林業企業から聖なる森を守ってきたハイダグワイで直に学べることはとても魅力的だったそうだ。

ブリティッシュ・コロンビア州のひとびとにとっても、ハイダグワイは楽に来られる場所ではない。バンクーバーから来ようと思えば車で往復3000キロ超、飛行機では往復で十万は下回らない。メキシコやヨーロッパ、時には日本に行く方が安くて手軽な場合だってある。そんな辺鄙な場所においても、立派な教育機関があり、現場における知を吸収できる機会があるなんて、なんて贅沢なことだろうか。

11/5(日)

「noteを読んで、とてもわくわくし、詳しくお話を伺いたく思い、ご連絡させていただきました!」

ビストロでの仕事が終わってSNSを開くと、知らないアカウントからメッセージが来ていた。どうやらnoteの記事から僕のことを見つけてくれたみたいだ。ふたつ返事で快諾し、日程を合わせる。Zoomを使うのも久しぶりだ。

連絡をくれた夏々花さんは秋田県にある国際教養大学の三年生。ケベック州の大学に留学中の彼女も僕と同じくファースト・ネーション(カナダ先住民)の文化に興味をもったところ、僕の記事にたどり着いたのだという。僕自身もケベックでの生活に興味があったので、太平洋側と東部におけるお互いのカナダ生活を楽しくシェアしあった。

「わたし、第一希望でケベックに来たわけじゃないんです」そう彼女が口にした時、僕も思い出した。そういえば僕がはじめての留学でスウェーデンに行くことになったのも、第一希望の選択ではなかったはずだ。なんなら書類提出前に滑り込みで第七希望に書いた大学名だった。そんな願いもしなかった場所に、運命のいたずら(主に大学職員の仕業)で僕たちは飛ばされたのだった。夏々花さんはケベックへ、僕はウプサラへ。

外国に住むということは、いつでも快いものではない。海外生活においては楽しいこと、嬉しいこと、驚くべきこと、目を見開くようなことは日々の中にたくさん転がっている。そして同じ数だけの失望、孤独、不安も押し寄せる。僕も初めての留学から三年が経ち、またこうして日本の外で生活をし始めて、そのことをやはり日々痛感させられる。

それでも僕が新しい場所に、海の向こうに惹かれ続けるわけは、やはり交換留学のあの一年間に尽きるだろう。たくさんのものを失い、新たなものを手に入れること。不安を抱えつつも日々に目を開き、耳を傾けること。そんな日々の営みを求め、僕はまたこうして北の地にいる。彼女のケベックでの日々に、孤独と同じ数の邂逅が、失望と同じ数の希望が、不安と同じ数の幸せがあることを願ってやまない。

11/6(月)

家の敷地で夏から作っていたキャビンに初めての長期滞在客が来た。ネイトはタモの十年来の友人で、11月の一ヶ月間、休暇をとってハイダグワイまでサーフ・トリップに来ている。

「波がある日は毎日海に通う。これが手っ取り早くサーフィンを身につける方法だよ」

そうネイトが言うので、三日前に彼が来てから僕も精力的に海に出ている。家にある7ミリのフード付きウェットスーツ、グローブとブーツに身を包み、波立つノース・ビーチに向かう。とはいっても他のサーファーのように沖に出て大きな波に乗るなんて出来るはずもなく、手前の小さな泡波で波を掴む練習をする。ボードを安定させることがやはりまだ難しく、完全に立つまでは至ってはいないが、膝立ちできるまでは成長した。波に押される感覚が掴めてくると気持ちがいい。

海で数時間遊んでへとへとになって帰ってきた後は、タモの家でタコス・パーティをする。同じく一ヶ月のサーフトリップに来ているジョンとヘザーも一緒だ。鹿肉でタコミートをつくり、小麦粉からトルティーヤをつくる。ネイトは野外教育に携わっており、夏にはBC州各地のみならず海外にも子供達を連れて行く。メキシコにも何度か長期滞在したことがあるという彼は、鮮やかに生地をこねてもちもちのトルティーヤを作ってくれた。

「マセットの自然は明らかに鹿たちによって作られた環境だね。サラルベリーがあんなに低く、ハックルベリーがあんなにも枝をつけるのは珍しいよ」ネイトもUBCで林業や生物学を学んでおり、森に対する造詣が深い。

ハイダグワイは道を走っていると10分に一度は道路脇に見つけられるほど鹿の多い場所だが、獣害に苦しむ他の地域同様、この島にはそもそも鹿はいなかった。鹿は二十世紀前半にヨーロッパ入植者によって娯楽のために数十匹持ち込まれたのだが、本土のようにクーガーやオオカミといった捕食者がいないことをいいことに、我が物顔で繁殖を続けてきた。そのためか、本土では一年間で狩っていい鹿の数は三匹までなのにもかかわらず、ハイダグワイにおいては十五匹まで許可されている。「鹿のステーキでクーラーボックスを満タンにして帰らないとね」

「なにも科学者になりたくて生物学とかを学んでいたわけじゃないんだ。森林のこと、生態系のことを深く知ることで、自然をもっと自分の目で読み取ることができる。子供達に自然の中で教えられることも増えるしね」
それまでただただ樹木の巨大さ、ふかふかに育った苔、それらを纏う空気感に魅了されてばかりで、獣害というものを意識したことはなかった。鹿という生物の目線で、鹿がもたらすメリットとデメリットの文脈を踏まえた上で森を歩くと、自然はもっと多くのことを訴えかけてくる。もっともっと読まなければならない本がありそうだ。

11/9(木)

先月からミドリと彼女のボーイフレンドであるダンに日本語のレッスンをはじめた。ふたりは来年一月に六週間日本を旅する予定で、それまでに少しでも日本語を話せるようになりたいのだという。僕が隔週で観光客が使いそうなフレーズを教え、彼らがディナーとビールを用意してくれる。素晴らしい対価である。

今日のメニューは鹿肉のローストにマッシュポテト。外さない。

今日のレッスンは時間やお金の数え方。英語話者に教えることを試みて初めて、日本語と英語がいかに異なる考え方をするのかを再認識している。

特に二人が苦労していたのは、日本語におけるケタの数え方。英語では100,000のようにthousandやmillionで区切って数を数えるのに対して、日本語では10,0000のように万、億の単位で数える。僕自身が英語の数え方に慣れるのに非常に時間がかかったのと同じように、英語話者にとって日本語の数え方を習得するのは至難の業のようだ。よく考えれば当たり前の話であるが。

奥がミドリ、手前がダン。

それでも日本語話者として、日本語を愛する一人の語学好きとして、なんとか挫けないように、興味を持ち続けてもらえるようにレッスンを考える。「居酒屋フレーズ」「温泉フレーズ」と称してロールプレイをしてみたり、数当てパズルみたいなものを考案してみたり。

僕にとって、英語ネイティブに囲まれて生活するのは今回のハイダグワイ滞在が初めてである。やはり第二言語として英語を使う人々と過ごすのとは大きく異なり、特に日常における感情やシーンの表現の言葉をたくさん吸収してこれている感覚がある。日本から持ってきた本をほとんど読んでしまったため、もっぱら村の図書館で借りてきた本を読んでいるのも大きい気がする。

改めて英語という言語にどっぷりと浸かることで感じるのは、日本語——特に日本語における文章表現の豊かさ、美しさである。日本語の読み書きにはひらがな、カタカナ、漢字があり、中華文化圏や西洋からもたらされた概念や発音も多分に含まれている——日本語における読み書きの難しさをこのように説明するたび、非日本語話者のだれもがしかめた顔をする。なんだってそんなに物事を難しくする必要があるんだい?といわんばかりに。

ひとは自分が生まれる場所、生まれる家族を選ぶことができないのと同じように、何を母語として成長するかを選ぶことはできない。今ハイダグワイで生活し、未だ見ぬ英語の可能性を発掘し、文字を持たない言語であるハイダ語を先住民たちとともに学びながら、こう思っている。日本語を母語としてものを考え、ものを書けるということは、とても幸運なことである、と。

11/12(土)

家出した猫が二週間も帰ってきていない。一週間前に近所の家の監視カメラに映り込んでいたので生存確認は取れていたが、さすがに外猫としてもこれだけ帰ってこないと不安になる。日々餌を持ち歩いて近所の森を歩き回っていたが効果はなかった。

今日家の窓際で作業していると、外になにやら動くものが。グレーのロングヘア、白い靴下を履いたような前足。サミーだ!

確保直後

刺激しないように、好物のおやつをかかげてゆっくりと近寄る。お腹が空いていたのか、大きな声で鳴きながら近寄ってきた。餌を貪り始めたところを確保。おかえり!鹿の血のようなワイルドな匂いはするが、ひとまず怪我もなく元気そう。よかった。

***

夕方はまたタモの家に向かう。今日は寿司パーティだ。すでに会ったネイト、ジョン、ヘザーの三人に加えて、彼らの幼馴染が五人もやってきた。みなそろって一ヶ月の休暇をとって同じキャビンに住み、ひたすらノース・ビーチでのサーフィンとハンティングに繰り出すのだという。

十五年以上の旧友の集まりに僕も混ぜてもらい、お昼のサーフィンで冷え切った体をサウナで温める。タモは母親仕込みの焼きおにぎりをつくり、僕は家の冷凍庫からマグロとサーモンを提供し、皆でロールにして食卓を囲んだ。それにしても、高校時代の友人たちが揃ってひと月レベルの長期休暇を一つ屋根の下で過ごすなんて日本ではあまり考えられない。

聞いてみると、みなオンシーズン・オフシーズンのある仕事をしているようだ。ひとりは農家、ひとりは大工、ひとりはネイチャーガイド…というように。
「州の各地でおのおの仕事をして、こうして数年に一度、みんなで一ヶ月ほど休みを取って一緒に過ごす。僕にとってそういう時間が一番大事なんだ」笑顔が素敵な農家のジェイはそう語る。

散らばった友人たちと、どうつながり続けるか——これはずっと僕にとってひとつの大きな問いである。自分には思い入れ深い場所が日本にも世界にも少なからずあり、恋しい友人たちもこの地球の各地にいる。幸運なことだと思う。テクノロジーのおかげでいつでも気軽にテキストを送ったり電話をかけ合ったりすることもできる。友達を持つにはいい時代に生まれたと言えるのかもしれない。

それでも、直に彼らに会えないのはやはり大きな寂しさがある。旧交を温めあっている彼らを横目に、地元の、高校の、大学の、東京の、大阪の、遠野の、長野の、スウェーデンの、それ以外の各地の友人の顔を思い浮かべた。

11/14(月)

「こちらはロバータ。家が隣の幼馴染で、小さい頃からわんぱくした仲なの」村の仲良いおばちゃんであるデラヴィーナが親友を連れてきた。今日は三人で近くのボグ(湿地)にクランベリー摘みに行く。

ベリーシーズンは初夏のサーモンベリーに始まり、ワイルドストロベリー、ブルーベリー、ハックルベリー、グースベリーなどが続く。もう十一月なのに島のベリーシーズンはまだ終わらないらしい。今日は祝日、ふたりのおばちゃんズも意気込んでいる。「やっとクランベリーが良いサイズになってきたのよ」

平坦なトレイルを歩き、沼に足を取られないように慎重に進む。ふかふかの苔が気持ちいい湿地だが、ところどころ底なしの穴があるので油断できない。熟練のベリー・ピッカーのあとに続きフィールドに出る。

ふたりのお気に入りという場所には、そこらじゅうにクランベリーが実をつけていた。クランベリーは非常に丈の低い枝になる果実であり、その多くは苔に埋もれてもはや地面に落ちているのかと思うくらい。

時間を忘れてベリーを摘んでいると、あっというまに陽が傾いてきた。熟練の二人はバケツいっぱい。僕はやっと半分ほど。やはりおばちゃんたちにはかないません。

***

追記 2023年11月20日

こんにちは。

ここまでで七千字になるそうです。今これを読んでくれたあなたは、きっと毎週僕の記事を確認してくださっているのかもしれません。もしかしたら、ふと流れ着いたnoteの民かもしれませんね。
どちらにせよ、ようこそ。そして、本当にありがとうございます。あなたに読んで欲しくて、毎週記事を書いているのですから。

さて、僕のカナダ・ハイダグワイにおける冒険は皆様のご協力で成り立っています。今年春に北の孤島へ移り住むこと、そしてその資金をみなさまからの協賛金というかたちで集めることを決めました。周りの人々からいわゆる「フル・タイムで雇用」されるストーリー・テラーとして活動する——ずっと温めていたアイデアをついに実行に移そう、そう思ったのです。

本当にありがたいことに、想像以上のご協力をいただきました。僕のプロジェクトに支援をするという、資本主義のシステムにおいては説明できない判断を下す少し変わった人々は113という数となり、120万円を超える協賛金が集まりました。

身が引き締まる思いのもと、しかるべき用途のために大胆に使わせていただき、とりあえず現地ですでに四ヶ月近くドキュメント活動を行っております。一個人のプロジェクトに想いを託し、すでに協賛をくださったみなさまの力なしでは、絶対にここまで来ることはできませんでした。本当に、本当にありがとうございます。

協賛金使用用途の主な内訳(カナダワーホリ・辺境地移住の初期費用)
・車購入代:50万円
・自賠責保険:月2万
・海外旅行保険代:20万
・航空券:15万
・カヤックギア:30万

今回このような追記を書いているのは、今一度このプロジェクトへの支援を募るためです。協賛金募集の大々的な呼びかけは出発とともにやめましたが、募集自体は引き続き行っており、出発後に「記事読んだ代ね」と協力してくださるかたも数知れません。

お金を稼ぐことを目的としてカナダに来たわけではないので、協賛金を崩しつつ、週二のビストロでのバイトをしつつ、「この島での営みをドキュメントする」ことに重点をおいて活動しておりました。ただ旅というものにはハプニングはつきもので、思った通りに行くことのほうが少ないようです。

現地では主にワーク・トレードという形で家仕事を手伝う代わりに寝床と食事を提供してもらっておりましたが、その頼みの綱のオーナーが緊急手術で本土に戻ってしまったこと。オフシーズンのハイダグワイで仕事を見つけることが想像以上に難しいということ。そして、ライフラインであり週2のレストランでのバイトに通うのにも必要な車がエンジントラブルで使用できなくなってしまったこと。どうしても自分の力ではカバーできないところがあり、再度この場で募集の呼びかけをするに至りました。
ハプニングの連続で、文章を書くことやドキュメントをすることに神経が回らなくなってしまっていたのも、週報が後ろ倒しになりつつあった理由です。

今後とも、僕の書くものは基本的にすべて無料で公開していくつもりです。25歳の人間が自分ひとりで紡げるものなんて何もありません。今僕がここに書き連ねているのは、僕が通り過ぎてきた場所、開いてきた数々の本、出会ってきたすべての人々に授けられたことばたちの断片です。僕はただの翻訳者、記録者、伝達者にすぎません。

もしここまで読んでいただいて、何かを感じた、何かを学んだ、興味深く読んだ、心が動いた——そんな部分がひとつでもあり、かつもし手元に一握りでも分けていただけるものがあるなら、当プロジェクトに貢献いただけると幸いです。

なんと、ここまで九千字弱。今週の週報は特に長かったですね。ここまで読んでくださった皆様に心からの感謝を記し、筆を置こうかと思います。

上村幸平

協賛金は日本の銀行口座・カナダの銀行口座への振り込みという形で受け付けております。
もし当プロジェクト「A WILD RAVEN CHASE ワタリガラスをめぐる冒険」へのご協力を検討されているかたは、僕のインスタグラムDMFaceBookメッセンジャー、もしくはメールアドレス(siroao.studio[at]gmail.com)までご一報くださいませ。匿名希望のかたは以下のGoogleフォームをご記入ください。どうぞよろしくお願いいたします。

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🏝️カナダ最果ての地、ハイダグワイに移住しました。

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📚写真集を出版しました。

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