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新卒写真家、はじめての写真集をつくる

 「遠野酒花」は、半年間にわたる岩手県遠野市のホップ農業のドキュメントである。この写真集には僕がシーズンに渡って撮影してきたホップの圃場や農家さんの写真の数々が収められているが、実のところこれらの写真は写真集として発表されることを前提として撮られた写真ではない。そもそも、題名では「写真家」という一人称を使ってみたが、それもいまいちピンとこない。

 ただ、今年の一つのマイルストーンとして「本を作る」ということはずっと頭の片隅にあった。自分自身の作品を、一つの印刷物として発表したいと思ってきた。別にあらためて書くことではないが、僕は画面に表示される情報や、言語情報だけをたよりに考え、実感を得るということが得意な人間ではない。フィジカルに体を動かし、自分の目でものを見て、手で触れてはじめて物事を整理して理解し、実感することのできる人間である。だからこそ、僕はあくまで実在を持った本を開くこと、実在を持った世界を歩くことによって、表現や生のインスパイアを受けてきた。自分で生きていくということを選んで半年が経とうとする節目において、僕の現在地を実在をもった印刷物として残しておきたい。そう思っていた。

 もちろん、ネットプリントといったツールの普及や、SNSによって「作品を発表する」という行為の規制緩和が進み、Zineなどの個人出版はじわじわと市民権を得ている。それでも、本という形で写真や文章に物理的な実在を持たせること — ひいては、商品を作り、発注し、在庫を持ち、販売するということは、何かひとつの関を越えるような感覚がある。自分で働き、商売をするということには、「フリーランス・ハイ」のような突発的な高揚感と漠然とした不安が交互に入り乱れる。

 『クイック・アンド・ダーティ』 — 僕が大学生の頃に少しばかりお世話になった会社で、代表がよく口にしていた言葉だ。100パーセントを目指さなくていい、今の最高の状態で素早く壁打ち・プロトタイプをし、アップデートを続けよう — これが正しい理解だったかは分からないが、とりあえず僕はこう受け止めていた。その会社での経験は「会社で働くということは僕が今すべきことではない」という確信をもたらしただけでなく、「一度現状を肯定し、とりあえず何かを作り、とりあえず周りに見てもらう」という、自分の中にいる完璧主義者を牽制するメンタリティを与えてくれた。その意味で、極めて意義深い時間だった。

 「まだ開業1年目なんだし、とりあえず一冊作ってみてもいいじゃないか。もちろん名刺がわりになるような作品になるなら最高だけど、そうじゃなくても自分の現在地を確認するプロトタイプになれば儲けもんだろう。」そう自分に言い聞かせたのが、発表予定日の1ヶ月前だった。冬の香りのする、キリリと刺すような風が吹き出したころだ。

 しかし、本を作るということはクイックといえるほど簡単なものではない。工期も予算も、僕の印刷についての知識も限られ過ぎている。その現状で、僕が生み出せる最高の写真集は、誰と、どうしたら作れるのだろう?そこで出会ったのが、長野県松本市の印刷会社、藤原印刷さんだった。

 直接的なつながりがあった訳ではない。遠野で住んでいたシェアハウスの同居人が自身のギャラリーで開催していたグループ展で、ひとりの写真家に出会った。陸前高田と東京を拠点に活動するさみちゃん(飯塚麻美)だ。僕がギャラリーを訪れた時に運良く在廊されていて、彼女は陸前高田のおばあちゃんを撮影した写真集を展示していた。印刷も、写真も、ストーリーも、宝石のように美しい本だった。聞けば、少部数の印刷でも丁寧に対応してくれる印刷会社さんがあるとのことだ。教えてもらったその日に、お問合せフォームからメールを送った。

↑とても素敵なので一度読んでほしい

 そこから怒涛の日々が始まる。そもそもイラストレーションの個展を控えており、その場所で同時に写真集も発表するという極めて欲張りなスケジュールにしてしまったために、個展の作品作り・DMなどの細々とした制作、そして本を作るという大仕事がたった3週間のなかに詰め込まれることとなった。さまざまなデッドラインに泣きそうになりながら制作を続けた日々の中で、本当にありがたかったのは藤原印刷の方が僕の状況 — 予算だけでなく、プロトタイプという位置付け — を理解してくれ、その中で最高な印刷の提案をしてくれたことだ。印刷知識ゼロの人間とほんの少しの工期で仕事をするのは、手間もかかるし大きな利益も産まないはずだ。それでも親身に相談に乗っていただき、印刷という世界の奥深さをゼロから教えていただいた。プロの方々と共に仕事をするのは、本当に光栄なことだと思った。

 写真はモノクロームで現像すると決めていた。グリーンカーテンが映える、鮮やかな現像がされがちなよくあるホップの写真ではなく、現場にいた自分だからこそ伝えられる雰囲気やテクスチャを楽しんでもらえるようなレタッチをしている。ギリギリの日程で仮入稿、校正、最終データの入稿を済ませ、あとは印刷所に任せる。

 イベントの前々日、大きな段ボールが届いた。70部の「遠野酒花」が詰められた段ボールは、ずっしりと、それでいて心地いい重さを持っていた。何か実在を持つものを創り出したときの喜びは、簡単に忘れられるものではない。自分の作品が緻密に製本され、冊子として印刷されたものを手に取る時の、あのヒリヒリするような、ゾワゾワするような感覚。

 みんな忙しいし、お金にもならないのに、ちょっとずつ力を出し合ってとにかく続けたあのような企画は今の時代に逆行していて、まるでお遊びのように見える。でも、そういうものを作ることこそが小さな反逆であり、自由であり、私たちがいかにこれまで心の筋肉を余分につけてきたのかを表す大事なことなんだと思う。

「下北沢について」吉本ばなな

 この本は、あくまでプロトタイプだ。これで何かを儲けようとか、何かを成し遂げようとか、そんなものは一切ない。ただただ、僕の現在地に実在を持たせたのみだ。部数も部数なので、地道に手売りしていくしかない。ただ、この初めての「小さな反逆」が、僕をどこに連れて行ってくれるのか、軽い興奮を抱いている。

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遠野酒花 / HOPFEN AUS TONO
並製本:A4変形サイズ 縦210mm*横210mm:50ページ
写真・文・デザイン・装丁:上村幸平 印刷・製本:藤原印刷株式会社
70部限定

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