見出し画像

百鬼夜行、なぜ起こる

「かたしはや えかせにくりに ためるさけ〜」

平安時代から室町時代、夜に一人歩きをする人たちが、こんな呪文を唱えていたという。

これは、百鬼夜行を恐れての行動だった。


「百鬼夜行」とは、文字通り、多くの鬼が行進すること。

平安後期の『今昔物語集』に、書かれている。『口遊』や『袋草紙』には、この呪文が載っている。

『口遊』(くちずさみ)は、平安中期にまとめられた子ども用の学習書。
『袋草紙』は、平安後期に公家の歌人が残した歌論書。


「かたしはや えかせにくりに ためるさけ てえひ あしえひ われしこにけり」

「難しはや 行か瀬に庫裏に 貯める酒 手酔い 足酔い 我し来にけり」

こんな感じだと解釈されている。

自分は酒に酔った者である〜という、主張 (?) 
。これがどう魔よけになるのか。

百鬼夜行に遭遇してしまった場合にそなえて、自分を酔っぱらいであると強調していた。酔っていて見えていない・覚えていないと、表していたのだ。

鬼たちは、人間に行列を見られるのをひどく嫌うと、信じられていたため。


今昔物語の中のひとつ。

大納言左大臣の、藤原常行(ふじわらのときつら)には、夜ごと、通いつめる女があった。

その道中に、常行は、火を灯しながら歩く大集団を見た。それは、異形の者たちばかりの行列だった。

常行は、朱雀門の東に身をひそめたが、鬼たちに見つかってしまった。ところが。目の前までせまった鬼たちは、なぜか、立ち去った。

常行の服には、「尊勝陀羅尼」(そんしょうだらに)という真言密教の呪文が、ぬいつけられていた。鬼たちは、その呪文を恐れて、近づけなかったのだ。

これは、今で言うところの「困った時にはこの商品!」的な、宣伝の一種だったのだろうか。

なんにせよ。

当時の人たちは信じ込んだ。鬼が出没しやすい日まで定められ、該当日の夜には、誰も出歩かなかったという。


そんなにも人々に恐れられた、鬼たち。意外にも、滑稽な見た目だった。

それが描かれているのが、百鬼夜行絵巻だ。

これが、「百夜行絵巻」と題されることもあった。

最も有名なもの
京都の真珠庵に所蔵される『百鬼夜行図』
河鍋暁斎の『百鬼夜行』(真珠庵の作品とは別)
河鍋暁斎は自らを「画鬼」と称する人物

鬼と言うか、妖怪と言うか……。

鬼 ⇆ 器の理由はこうだ。

傘・草履・ごとく(コンロの置き台)・はさみ・扇・琴・琵琶といった日用品や楽器が、鬼になる。時を経た古い道具には、霊が宿るとされていた。その境目が、99年だとも。

九九(つくも)神である。


元は人間とともに暮らしていた道具たちが、乱雑にあつかわれたり・捨てられたりすることによって、悲しみや憎しみを覚える。

人間に復讐する策を練るために、集結する。

鬼たちの真の目的は、パレード自体にあらず。


個性的な妖怪たちがたくさん出てくる『うしおととら』の中でも、最も目立たない妖怪だろう。きっとみんなに忘れられている。針の変化(へんげ)。

『鬼滅の刃』の、太鼓と響凱(きょうがい)や琵琶と鳴女(なきめ)。

『呪術廻戦』の夏油傑。


「どこにでもあるようなものが、ここにしかないことに気づく」そういう大切さに気づかないとーー。本質的には、こういう話なのだろう。

リコちゃんかわいそう!夏油さんの気持ちわかるよ!これなら全員思うが。使えなくなったハサミに、今までありがとうなどと思いながら捨てる人は、まれだろう。私も違う。

視点の違いや線引きの違いが、世界に、“百鬼夜行” を起こす。