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「十三月怪談」 川上未映子

「わたしはもっとじゅんちゃんと、いきていたかったんだな。」



「十三月怪談」 川上未映子 「愛の夢とか」より



時子はなんとなく不調になって、駅前の病院で血液検査をしました。


翌日の午後4時、病院からの電話。


「検査の数値に問題があるので、紹介状を書きます」と医師は言いました。


時子は、極度の心配性でした。


何かそれっぽいことがあると、自分の能力の及ぶかぎりの最悪なシチュエーションを想定してそこからとめどもなく想像をふくらませてゆく傾向が時子にはあって、彼女はこのときももちろんその考えにどっぷりと支配されていた。


総合病院で検査を受け、進行性の腎臓病であるとわかり、時子はみるみる弱っていきました。


夫の潤一は、考えます。


時子がそう遠くない時期に本当にいなくなってしまうかもしれない、、、、、、、、、、、、、、、、、という可能性を考えないわけにはいかなかった。


時子にとっては、夫の潤一しかいませんでした。


死んでしまったら、潤一に二度と会えなくなる。


そう思うと時子の胸は黒くうずき
全身には鳥肌がたった。

会えなくなる。
二度と。
会えなくなるのだ。


いや、違う。
実際に会えなくなるのは夫の潤一の方だと。
置いてゆかれるのは夫の方だと。


         ◇


時子の葬儀が終わって一ヵ月たっても、潤一はぼんやりとしていました。


そして時子のことを思い返します。


ねぇ、潤ちゃん、わたし何度も何度も言ったけどさ、潤ちゃんは気にしないで。これからぜったいにしあわせになるんだよ。そう言って時子は笑いながら泣いていた。

潤一は涙でずるずるになった頬や顎を時子の首に押しつけて抱きしめ、馬鹿なことを言うな、そんなことを言うな、と嗚咽混じりの声でおなじことをただくりかえすことしかできず、そうするうちにも夜はいつもどおりに明けてゆき、時子はそのまま目覚めることはなかった。


         ☆


時子は、今自分がいるところが現実とも夢とも違うと感じていました。


死んだっていうよりは違う層にきたみたいな、
そんな感じかもしれない。

(中略)

そっか、これが死後の世界なのか


時子は「自分が死んだんだ」と認識します。


いつもみたいに潤ちゃんがいて、ねぇって呼んだんだけど、ぜんぜん気がつかないの。

聞こえないみたいだから近づいていって、ねぇってさわろうとしても、さわれなかった。


死後の時子の見たままが、時子の視点で語られてゆきます。


潤ちゃんはやっぱりずっと暗くって、もともと友達もいないような人だったけど、さらにずっとひとりぼっちになったみたいだった。

でもわたしは潤ちゃんにしあわせになってもらいたいな。

ずっとひとりで悲しんで、潤ちゃんひとりで生活してるなんてそんなのぜったいにいやだな。

すきな人や支えになる人ができたならいつだって大事にして、やっぱりしあわせになってほしい。


しだいに、潤一には笑顔がもどってきます。


いつしか、女の人と電話で話すようになっていました。


あるとき気づいたら潤一と女の人がソファに座ってテレビを見ていました。


ふたりとテレビの間に時子が立っても、何の問題もなくふたりはテレビを見ていました。


それから女の人は潤一の家に越してきて、結婚し、子どもを授かりました。


潤一にしあわせになってほしいと願う一方、でもやっぱり悲しいようなさみしいような気持ちが時子には拭えませんでした。


そのときに感じました。


死んだ人間っていうのはほんとうに無力なんだって、たぶんそういうことだった。

(中略)

さわることだってできないし、もうなにもできなくって、本当にちがう世界にいるんだなってそう思う。

みえるのにな。生きてるひとをすくうのは、すくえるのは、どうやったって生きてるにんげんでしか、ないんだった。


このあとに続く文字


全部ひらがなになってゆくのです。


ん? どういうこと?


疑問に思いつつ、幽霊になった時子の独白は終わりました。
これは何を意味するのだろう?
そう思いながら次を読み進めます。


         ◇


この物語は、時子が亡くなるまでの話が三人称で語られ、幽霊になった時子の語りが一人称、時子の死後の潤一の話が三人称で語られます。


その時子の語りと、潤一のその後の話はまるで違っていました。


潤一は、土産物屋を営んでいる長野の実家へ帰り、仕事を引き継ぎます。再婚はしませんでした。


六十九歳になったとき、潤一は倒れます。二度にわたる頭部の切開手術を受け、その二週間後に潤一は息を引きとるのでした。


これはどういうことなんだろう?


もう一度はじめからこの物語を読み直しました。


ここからは僕の勝手な解釈なのですが


先程の時子の独白の最後、漢字混じりの文章からひらがなだけに変わってゆくところ。


潤一や彼の奥さんのことを、時子は死後の自分が見ていると思っていますが、実は彼女はまだそのときは生きていて、息を引きとる直前、最後に潤一への想いが意識に流れ込んできているのではないか?その意識が遠のいていくような表現があのひらがなになったのではないかと。


「潤一に幸せになってほしい、でもやっぱり自分だけを愛していてほしい」という時子の夫への想い。それが、瞼のスクリーンに映し出されているのかもしれないと。


そして


時子は、最期に愛の夢を見ていたのではないか?


喪失感ゆえの愛情。
喪失感が深ければ深いほど、
その人への愛が深かったという証。


川上未映子さんの死生観と愛の光を感じた作品でした。


その光は無作為に輝きつづけ、心の深い場所に届きました。


届いた光の残像を確かめたとき、今生きているのは幻影のようなものであると感じました。


だからこそ、しっかりと、大切な人を抱きしめないといけないと思ったのです。生きている、今だからこそ。



【出典】

「十三月怪談」 川上未映子 「愛の夢とか」より 講談社


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