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【『ゆっくり学ぶ 人生が変わる知の作り方』番外編】60歳から韓国語を勉強!②(岸見一郎)

好評発売中の『ゆっくり学ぶ 人生が変わる知の作り方』の「番外編」です。前編では、著者・岸見一郎先生が「韓国語学習」を始めたきっかけ、韓国人の先生との出会い、そして今ではほぼ毎日観ているという韓国ドラマに関するエピソードなどをお届けしました。後編は、韓国文学、韓国語を学ぶ中で感じた他の言語との違い、学ぶ時のコツや注意点、韓国人の先生との別れ、今後の目標などをご紹介します。

こちらから試し読みができます

韓国文学の勧め

『青春の文章+』を読み終えてからも、日本語に訳されていないキム・ヨンスの本を、時間をかけて少しずつ読んでいます。キム・ヨンス以外の作家の本も読んでいます。ハン・ガンの『ギリシャ語の時間』は、言葉を話せなくなった女性が古代ギリシア語を学び始めるという設定に引かれて読み始めました。キム・エランの『外は夏』は「喪失」をテーマにした短編集です。どちらもキム・ヨンスの本とはまた違った味わいがあります。ハン・ガンとキム・エランは今、私が注目する作家です。

『空と風と星と詩』というユン・ドンジュの詩集があります。ユン・ドンジュの残した詩は多くはありませんが、彼は韓国では知らない人がいない国民的詩人です。私は最初、『空と風と星と詩』を翻訳で読みました。岩波文庫には原詩も載っています。韓国語を読めなければ翻訳を読むしかありませんが、原詩で読みたくなる美しい詩です。

なぜユン・ドンジュの詩がこれほど美しいのか。また、彼は同志社大学在学中に思想犯として捕らえられ、福岡刑務所で獄死しています。どうして日本でそんな死に方をしなければならなかったのか。私はユン・ドンジュのことを知りたくなり、彼に関する伝記や研究書も読みました。伝記映画もあります。『空と風と星の詩人〜尹東柱(ユン・ドンジュ)の生涯〜』がそれで、イ・ファンミさんと一緒に観た映画のうちの1本です。

待つか、学ぶか

読みたい本に翻訳がなかったらどうするか。翻訳が出版されるのを待つか、自分で学ぶかですが、私は明らかに後者です。

韓国語に限らず、外国語を学ぶには時間がかかるので、とてもそんなことはできないと思ってしまうでしょう。しかし、翻訳が出るとは限りませんし、それまで待つのではなく、少しでも学ぶことをお勧めします。読みたい本があれば、語学を学ぶ強い動機になります。

ユン・ドンジュの詩には翻訳がありますが、それでも「空」は韓国語ではどういうのかを知るだけでも心が躍ります。

韓国の出版社からプレゼントされた『空と風と星と詩』の復刻初版本

韓国語は日本語と似ていている?

韓国語と日本語は似ているといわれますが、そういわれる理由の一つは、漢字に由来する漢字語に関して、日本語と発音は違うものの同じ単語が使われているからです。しかし、固有語はイチから覚えなければなりません。

韓国語においても助詞が使われることを学び始めた時に知って、こんなところも同じなのだと思いました。助詞は言葉の微妙なニュアンスを伝えるのに適しています。私は助詞がないヨーロッパの言語を学んできたので、韓国語に助詞があると知って驚きました。とはいえ助詞も、日本語と韓国語とでは使い方が違うこともあります。だから、間違うこともあるのですが、どこがどう違うかを知るのも、おもしろいと思います。

英語などでは関係代名詞があって、慣れるまでは前から読み、意味を理解するために後戻りしなくなるのに時間がかかりますが、韓国語は日本語と同じように、前から順番に読んでいっても意味がわかります。

韓国語では発話する場所や相手によって、敬語を使ったり、格式体で話すか、非格式体で話すかを決めたりしなければなりません。韓国語では、親に対して敬語を使うだけでなく、自分の親の話を他人にする時にも敬語を使います。

格式体はニュースや会議、講義などで使われます。非格式体は家族や友人の間で使われます。初学者の私には動詞の形が変わるので難しいと思いました。この非格式体のうちのパンマルは日本語でいえばため口ですが、映画やドラマを観ていると、「初対面なのに、なぜパンマルを使うんだ」という台詞が出てきます。このようにどんな言葉使いをするかが重要になっているので、初対面でも年齢を聞き合うこともあるようです。

韓国語は学びにくい?

韓国語を学ぶにはハングルを覚えるのが大変だという人がいますが、英語を学んだ時もアルファベットを覚えなければなりませんでした。それでも、すぐに覚えられたのであれば、ハングルも同じです。私が古代ギリシア語を教えていた時、学生たちはギリシア文字を最初の授業で読めるようになりました。ちなみにアルファベットは、ギリシア語のアルファ(α)とベータ(β)をつなげた言葉です。

韓国に講演に行った時、韓国語を学ぶ時に何が一番難しいかとたずねられ、「発音が難しい」と答えたことがあります。韓国語には日本語にない母音があります。それを発音するのはかなり難しいです。とはいえ、何も完璧に話せる必要はないと思います。

韓国語のレッスンでも当初、私は先生についている以上、発音を厳しく指導されると思っていたのですが、イ・ファンミさんは「韓国人にも訛っている人は多いのだから」といって細かいところにはこだわりませんでした。これがいいといっているわけではありませんが、最初から完璧を目指すと学ぶことが苦しくなります。

英語でいえば、日本人はアメリカ英語を一生懸命に学んでいますが、アメリカ英語だけが唯一の英語ではありません。私が学生の時はイギリス人の先生について英語を勉強していましたが、先生の英語はアメリカ英語の発音とは違いました。しかし、それは違うというだけで、優劣はありません。日本語も同じです。東京で話される標準語だけが唯一の日本語ではないでしょう。

韓国語は日本語と似ているところもありますが、まったく違う言語として学ぶのがいいと思います。英語を学んだ時は、日本語とまったく似ていないと思ったはずです。

偶然を運命にする

韓国語を学ぶまではどちらかというと、私は「言語」に関心がありました。つまり、英語を学んでいた時は、英語で書かれた本が読みたかったのであって、アメリカやイギリスの文化や歴史に関心が向くことはあまりありませんでした。しかし、今は違います。

イ・ファンミさんとの出会いは私にとって人生の転機でした。彼女との出会いは偶然でしたが、その偶然をいかに必然に変えられるかは自分次第です。私が先生について韓国語を学んでみたいと思っていなかったら、彼女と出会ったとしても、韓国語を教わることはなく、韓国の文化や歴史、映画やドラマに関心を持つこともなかったでしょう。

人生にはそういう偶然がたびたびあります。大学でギリシア哲学を学んでいた時も、関西医科大学教授の森進一先生の読書会に参加できたのは、田中美知太郎の『哲学入門』を読んでいた私にサークルの後輩が偶然声をかけてくれたからです。その本の解説を書いたのが森先生だったのですが、たまたま森先生の同僚の教授だった後輩の父親に、後輩を介して森先生と面会できるよう手配してもらったのです。

偶然の出会いを逃さないためには準備が必要です。未来を予測することはできません。偶然の出会いを運命として活かせるように、学ばなければならないのです。

突然の先生との別れ

実は先日、イ・ファンミさんは病気で亡くなられました。ご家族から私に会いたいといっているとメールをいただき、面会することができました。私たちはコロナ禍で、2年以上ずっと会えていませんでした。

会っても話せないかもとしれないと覚悟していましたが、かなりの時間、話ができました。帰り際に「次も必ず」と私がいったら、彼女は「また会いましょう」と答えてくれました。私たちはまたすぐに会えるかのように別れましたが、最後であることはわかっていました。

私はまだまだ教わりたいことがたくさんありましたし、一緒にかなえたい夢もありました。一緒に書いた本(『悪い記憶を消して差し上げます』)の続編も出版したかったですし、イ・ドンジュの詩を翻訳して出版したいとも思っていました。ぜひ力になってほしかったのですが、今は私一人でやってみなさいということだと受け止めています。

先生と交わした約束

私たちは「日韓友好の懸け橋になろう」という約束を交わしていました。日本に興味のあるイ・ファンミさんと韓国に興味のある私は、ともに一人の人間として交流を続けてきました。今後は彼女の残した仕事を引き受け、日韓友好の架け橋の一端になれるよう努力していきます。

2022年8月に、キム・ヨンスの『世界の果て、彼女』を哲学の視点から読み解く講義をします(NHK文化センター京都教室)。私のことを『嫌われる勇気』でしか知らない人は多いでしょうが、実際はいろいろなことを学び、研究しています。その一つが韓国文学です。私の活動から一人でも多くの人が韓国に関心を持ってもらえると嬉しいです。私自身、韓国についてこれから積極的に発信していきたいと思います。

『世界の果て、彼女』

学びは生きる喜び

イ・ファンミさんが病気であることはもちろんずいぶん前から知っていました。死を前にした人の気持ちはわかりません。私も病気で闘病しましたが、目が覚めるのと覚めないのとではまったく状況が違います。生きることは大変で、つらく苦しいことも多いですが、彼女との別れを通して、あらためて一日一日を大切にして、「今」を生きていくしかないと強く感じました。

『ゆっくり学ぶ 人生が変わる知の作り方』は「学び」の本ですが、「生き方」の本でもあります。もしも生きる喜びを感じられないなら、今を生きられていないからです。それは学びも同じです。入学試験や資格試験などの目的を達成するための学びもあっていいと思いますが、知らないことを知ることは「今、ここ」にある学びの喜びです。

本書を読んでくださった皆さんが、何か一つでもこれまで学んだことがないことを学び始めたい、あるいはかつて学んだけれどうまくいかなったことを学び直したいと思ってもらえたら幸いです。さらには成功を目的にした学びが唯一の学びではないことに思いあたり、生き方そのものが変わっていくきっかけとなることを願っています。

(終)

『ゆっくり学ぶ 人生が変わる知の作り方』書籍詳細

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