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【短編小説】大日本帝国憲法公布、とあるその日その後

【短編小説】大日本帝国憲法公布、とあるその日その後

「明治22年2月11日の憲法公布日。私が尋常小学校の五年生のときでした。忘れもしませんよ。あの日は前夜から大雪で、朝目を覚ますと一面の銀世界だったのを覚えています。父は下界を洗う清めの雪だなんて喜んでいました。いや、忘れないというのは雪のことじゃありません。目の前で見た悲惨な死亡事故のことです。国民総出で千古不磨の大典を祝す中、尊い命が犠牲になる痛ましい事故が起きました。場所は丸の内通りから和田倉

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【短編小説】日本政府脱管届を出した男

【短編小説】日本政府脱管届を出した男

古びた文机に頬杖をつき、しばらく考え込んでいた宮川慎平は、ふと顔を母のほうへ向けて「で、母さんはどう思いますか?」と尋ねた。
慎平からみて右横に座る母は、少女のような無垢な瞳をまっすぐ息子に向けたまま、「母さんがどう思うかってことですか? それを聞いてどうするんです?」と、逆に問い返した。

「別にどうするもないのですが……私としては、この度の行動に強い決意と覚悟をもって臨むつもりなんです」
「だ

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短編小説「決闘書生」

短編小説「決闘書生」

義助(ぎすけ)は口を開け、目を大きく見ひらいて、眼前に座る友人を凝視した。
開け放たれた窓から、通りで遊ぶ子どものはしゃぐ声が聞こえる。それに交じり、風鈴の涼やかな音色が鳴る。
今し方、下宿部屋にやってきた高等学校の同級である源造は、信じがたい事実を義助に告げた。
「冗談じゃない。そんなことがあってたまるか!」
義助は怒りにまかせて否定するが、表情は動揺を隠せないでいる。
「冗談でも何でもない。明

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短編小説『相乗り』

短編小説『相乗り』

夜の10時頃、郷田隆吉のタクシーは山手通りを渋谷方面に向かって走っていた。後部座席には、老人男性と若い女が相乗りしている。

老人のほうは戸越駅付近で乗せ、その五分後くらいに西五反田の橋のところで手を上げた女を乗せた。「急いでいるから」と女は半ば強引に乗ってきた。郷田は基本的に相乗りを拒むドライバーだが、この日は売り上げが悪かったことと、女の気迫に負けたこと、老人と方角が同じであったことが重なり、

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短編小説『神の石』

短編小説『神の石』

灰島次郎にとって昭和20年8月15日は、職務に追われる慌ただしい日となった。

玉音放送を署内で聞いてから二時間後、東京都町田市××町の民家で長男が首を刺され殺害されたという一報が飛び込んできたのである。先ほどの放送は果たして戦争終結を告げたものなのか、それとも本土決戦に備えて陛下御自ら叱咤激励されたのか、判然としないまま灰島は部下の池沢直吉とともに現場へ急行した。

現場に着いてみると、庭で男性

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【短編小説】徳川のお面

【短編小説】徳川のお面

小汚いお面を手に帰宅した道夫を、俊子は叱りつけた。そんなガラクタを拾ってどうする、行儀もよろしくない、第一人様のものだったらどうするのだと、ガミガミまくし立てた。空き地のゴミ溜めに放り込まれていたのだから問題ないやい、と抗弁する道夫の声にも耳を傾けず、お面を取り上げた。よく見ると安物のお面ではない。能で使われる小面のようで、伝統工芸品であるのは素人目でもわかった。ただそれよりも、口を小さく開けて何

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