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短編小説「決闘書生」

時代は明治。書生の君塚義助は、新聞記者の光岡五郎に決闘を申し込む。自身が慕ってやまない娘義太夫・竹本綾乃助に関する醜聞記事を書いて綾乃助を侮辱したというのがその理由だった。しかし、記事を書いたのは別の記者で、まったく見当違いの相手に決闘状を送っていた事実が、友人の源造の調べで判明する。義助は、そんなはずはないと親友の忠告を無視し、光岡との決闘に挑むが……

義助(ぎすけ)は口を開け、目を大きく見ひらいて、眼前に座る友人を凝視した。
開け放たれた窓から、通りで遊ぶ子どものはしゃぐ声が聞こえる。それに交じり、風鈴の涼やかな音色が鳴る。
今し方、下宿部屋にやってきた高等学校の同級である源造は、信じがたい事実を義助に告げた。
「冗談じゃない。そんなことがあってたまるか!」
義助は怒りにまかせて否定するが、表情は動揺を隠せないでいる。
「冗談でも何でもない。明和新聞の編集局に勤めている従兄弟から直接聞いた話だ。あの記事を書いたのは、近藤和行とかいう社会部の記者らしい。お前が言う光岡五郎は文化部の記者で、今度の記事には一切関わりがないとのことだ」
義助は絶句した。その顔は血の気を失い青白くなっている。
「勘違いしていたんだ。今すぐ決闘の申し込みは取り下げたまえ」
「決闘は明日に迫っている。今さら……」
「今さらも何もあるか。君は相手を間違っていたんだぞ」
「……直接、確かめてくる」
「おい、待てよ……」
義助は親友の声から逃げるようにして退室した。

「何を言ってやがる今さら、そんなことがあってたまるか!」
義助の怒声が、往来に響き渡る。白いシャツは汗でじっとり濡れている。ぶつかりそうになった人力車の車夫が怒声を浴びせるも、義助の耳に届かない。彼は構わずただ一目散に駆けていく。

義助が明和新聞に決闘状を送りつけたのは、今から十日前のことになる。竹本綾乃助に関する醜聞記事を載せた明和新聞に、彼は激昂した。当新聞社に籍を置き、文化面の記事を手がける光岡五郎という記者に決闘を申し込んだ。光岡は、これまでも文化部担当の記者として、竹本綾乃助に関する記事を書いてきた。今回の醜聞記事もきっと光岡の仕業に違いないとする噂が綾乃助贔屓の学生連の間で持ち上がった。義助もそのように断定した。だからこそ光岡に鉄槌を下すべく決闘状を送りつけたのである。

記事は、まだ十六歳になったばかりの竹本綾乃助が豪商・渋沢栄一の贔屓となり、たびたび夜の宴席に呼ばれていることを取り上げていた。それだけならまだしも、綾乃助があたかも渋沢の愛妾であることをほのめかす内容となっていた。

義助は、綾乃助に熱中してやまない学生連の一人だった。これまで何度も綾乃助が出演する寄席に足を運び、彼女の比類なき美声と卓越した演技に熱い声援を送ってきた。幼くして舞台に立ち、けなげに芸に打ち込む彼女の姿に何度も励まされ、生きる活力をもらった。彼女のためなら、犠牲をいとわず火中に飛び込める自信がある。その純潔な思いは源造はじめ友人たちに広く知れ渡っている。綾之助が心ない記事を書かれて侮辱されたとなれば、ここで行動を起こさないのは男子じゃない。綾乃助を愛し慕うと公言する資格もない。吐き気を催す忌まわしき記事を書いた光岡には、断じて制裁を加えねばならなかった。

決闘は昨今の流行でもあった。気に入らぬ相手にはケットウケットウと叫び、書生から学者、新聞記者、県会議員、国会に顔を出す代議士に至るまで、拳での決着を主張する者が次々に現れる世の中だった。剛直で勇を好む義助がその列に名を加えるのは、性分からして自然であった。第二高等学校の同級生で、無二の親友といっていい源造の忠告にも耳を貸さず、決闘状の申し込みまで一気呵成に走ったのである。

義助が乗り込んできた明和新聞社は、3階建ての石造りの建物で、煉瓦の建築物が連なる銀座通りの路地を入ったところにあった。

義助が1階の受付で用向きを伝えると、2階の記者室に案内された。義助は2階に上がった。そこには、机が3卓ほど並べてあるこぢんまりとした部屋があり、男性が一人こもって仕事をしていた。眉が太く目つきの鋭い男で、無精髭を蓄えた野性的な風貌をしている。
彼は、突然現れた書生らしき男に鋭い眼光をぶつけた。

「失礼ですが、光岡五郎さんという記者はあなたでしょうか?」
義助にそう問われた男は、「いかにもそうだが」と答え、「あなたはどちらで?」と聞き返す。

「私は、先だって明和新聞社に決闘状を送付した、東京高等学校の君塚義助という者です」
義助は、厳然と言った。
その瞬間、光岡は腹を抱えて笑い出した。
明らかに、侮蔑と嘲りを含んだ笑いだった。
義助の頬は、たちまち紅潮した。
「お前さんかい、あのケツの青い文面の書状を送りつけてきたのは。いいよ、決闘、おもしろいじゃないか、受けてたとう」
「あの記事を書いたのは……」
「やっぱりそうか。それを確かめにお前さんはここに来たんだな。もうこうなったらどっちでもいいだろう。名指しされた本人が受けて立つと言ってるんだ」
その返答を聞いて、義助は己の間違いを確信し、顔に火がついたように熱くなるのを覚えた。
「いや、間違ってくれて俺は感謝してるんだよ。個人的にはな、娘義太夫なんかにうつつをぬかす、半端者で軟派な書生を一度でいいからぶちのめしてやりたいと思っていたところだ。俺はお前達みたいな軟派書生がいちばん嫌いなんだ。世の中には学校に行きたくても行けない、学問したくてもできない貧乏人や苦労人がいるというのに、お前さんみたいに親の金で学校に行かせてもらいながらろくに勉強もせず、遊びほうけている馬鹿者がいる。一つ懲らしめてやるのもおもしろい」
義助は、耳まで赤くなった。
「もちろん、逃げないよな?」
光岡の挑発的な問いかけに、義助は、「いいですよ、こうなったらやりましょう。明日の八時、指定の場所に向かいますので、そこで決着をつけましょう」と答えた。抑え気味な口調には怒気を孕んでいる。

勘違いであれば、素直に謝ることも、一応は考えていた。それが、思いがけず光岡のほうが乗り気になり、決闘を受けて立つと言っている。こうなった以上は、逃げるわけにはいかない。義助は一礼すると光岡に背を向け、厳しい表情でその場を後にした。

翌日の決闘の夜は、曇り空で月は隠れ、薄暗かった。
八時十五分になろうとしていた。車上の義助は焦っていた。指定の時刻はとっくに過ぎている。人力車の車夫が道に迷ったせいで、到着に遅れることになった。これは大失態だった。
決闘場所である上尾久の廃寺に着くと、義助は急いで駄賃を払い、飛び降りた。
光岡はしびれを切らしているに違いない。廃寺へとつながる石段を、義助は二段飛びで駆け上がる。その表情は固く険しい。逃げたと思われるのだけはぜったいに我慢できなかった。光岡のあの薄ら笑いが脳裏をよぎる。声が出そうになるくらい怒りがこみ上げてきた。

廃寺は、人家がまばらで廃屋も多い小高い岡の上にあった。
うっそうとした木立をくぐり抜け、木の骸と化した建物の裏に回り込む。ここに広がる十坪ほどの空き地が決闘場所になっていた。雑草が広く生い茂り、朽ちかけの大きな材木が散らばったり積み上げられたりしている。
光岡の姿は、どこにもなかった。
義助は、草を踏みしだきながら空き地を抜け、崖の際まで来た。斜面には大小の木々が伸びていて、幹の間から屋敷や民家の屋根を覗かせている。遠く向こうまで目をやると、隅田川が地形に沿ってうねっている。
義助の目には、斜面の木々と泥土、小石、岩だけが映り、どこを見渡しても人がいる気配を感じない。
光岡が来ないのは考えにくく、想像すらしていなかった。あのように言い放ち、決闘にも大いに乗り気てあったから、当然のごとく来るものと思っていた。もしかしたら、場所を間違えたのかもしれない。この近くに別の廃寺はなかったか、義助は頭の中で探ってみた。そのときふと、斜面の中央に生える、ひときわ幹の太い木の根元に目が留まった。
暗くてよく見えないが、何か大きな物体が横たわっている。
義助は、そっと斜面を下りていく。
その木の幹には太い筋が荒々しく巡っていて、不気味な相をなしている。根っこが地面を放すまいとたこのようにかぶりついている。その何本もあるたこ足の間に、人の手らしきものが見える。
手だけではない。人の頭らしきものがあり、髪の毛らしき黒い毛も見える。
義助は、大木に近づくにつれ、鼓動が激しく打つのを感じていた。
もはやはっきりと、人がうつ伏せに倒れているのがわかった。義助のおでこには脂汗がしたたり、首をつたって胸元に流れる。白いシャツはぐっしょりしていた。膝はがくがくと震えだし、あやうくよろめいて倒れそうになる。木の根元に横たわるうつ伏せの体を起こそうと、義助の手が伸びる。今すぐ叫びたいのを、必死にこらえた。表を向いた顔は、青白くなった光岡五郎その人のものであった。左胸からはおびただしい量の血が流れていた。

「それで、なぜお前が逃げる必要があるんだ?」
源造は真剣に問い詰めた。目の前には、肩をふるわせた義助が立っている。源造は義助の肩をつかみながら、こう言った。
「お前が来たときにはすでに相手は死んでいたんだろう? そう巡査に訴えれるべきだ」
義助は、首を振った。
「巡査のところに行っても俺が疑われるに決まっている。俺が今日、あの場で光岡と決闘する予定だったことは、大勢の人が知っている。巡査は当然俺を犯人だと決めつける」
決闘状を新聞社に送りつけたことで、義助と光岡の決闘は少なくとも新聞社の人間には知れ渡っている。その決闘場所に出向いた光岡が、胸から血を大量に流した状態で発見された。何者かに殺されたのは明白である。即座に光岡を手にかけた者の行方を捜す捜査がはじまり、聞き込み調査をする巡査がまもなく義助の存在を嗅ぎつける。そして十中八九、光岡を殺したのは決闘相手である義助だとの判断が下される。
犯人は義助以外に考えられない。巡査だけでなく、決闘の事実を知っている者なら誰もがそう思うに違いない。そのことは誰よりも義助がいちばんよくわかっている。
「とにかく、落ち着くんだ。君はやっていない。断然やっていない。それは僕が証言する。だから……」
「俺は、お前にだけそのことをわかってもらえればいいんだ。ありがとう、今まで世話になった。お前に迷惑が及ばないことだけを祈る」
「おい、待て!」
義助は走り去った。呼び止める源造の声が、いつまでも高く響き渡った。

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「決闘相手の書生の身柄確保。本紙記者殺人。当局は、本紙文化部に籍を置く光岡五郎記者(35)を殺害し容疑で、第二高等学校3年生の君塚義助(21)を逮捕す。義助は決闘当日から行方をくらませり、大井町の名主灰島徳治郎家の米蔵にて潜伏せしところ、家人の通報を受け急行した巡査に捕縛せらる。即日殺人容疑で逮捕す」(明和新聞 明治22.8.27) 

***

「光岡記者殺人、容疑書生の友人が嘆願書を提出。決闘と称して本紙記者をおびき出し、卑劣にも短刀で胸を突いて本紙光岡記者を殺害せし君塚義助の友人を名乗る書生・笹岡源造君が本紙に対し、君塚は下手人にあらずとする釈明の文書、並びに、捜査当局には下手人ならざる君塚義助をただちに釈放し、再捜査を願い出る嘆願書を提出せし」(明和新聞 明治22.9.15)

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「不幸なる決闘事件。自社で犠牲者を出せし本紙の社筆小島篤郎が声明文を発表す。この度、本紙の記者が当事者となり世間を騒がせし決闘殺人事件。事実を知りながら在籍記者を危険な決闘の地にむざむざ行かせ、その身を守れず尊い命を失わせし事態に遺憾の意を申し上げる。光岡君のご遺族にはかける言葉もなく、今はただただお悔やみを申し上げ……」(明和新聞 明治22.9.24)

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「本紙光岡記者殺人、被疑者君塚義助の裁判はじまる」(明和新聞 明治22.11.13)

「全体未聞の決闘殺人、被告の親友が街宣で無罪訴え。本紙記者光岡五郎氏が犠牲となりし決闘殺人、罪に問われし親友は無罪であると訴え続ける被告の親友、笹岡源造君が東京駅の駅頭に立ち街宣を開始。ビラを配り通行人に訴えるこの運動が開始されすでに二週間が立ち、源造君は毎日休むことなくこの地に立って声をからし呼びかけ続け……」(明和新聞 明治23.2.16)

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「本紙光岡記者決闘殺人、被告君塚義助の刑が懲役25年に確定す」(明和新聞 明治23.5.7)

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「親友の濡れ衣果たすため代言人になる決意。本紙記者が犠牲となった決闘殺人事件。本件裁判は6年前に終結し、被告君塚義助は現在服役中。さて本件、かねてより被告の親友笹岡源造氏は義助の無罪を主張し捜査当局に再捜査の嘆願書を送るなど積極的に運動を展開す。裁判が終結し刑が確定した今なおあきらめきれぬ彼は、銀行員の職を投げ捨て、代言人になるための勉学を開始す。代言人とはすなわち刑事事件の被告なりし者の弁護をする立場なり。源造氏は、再捜査なる日を信じ、その時には己が代言人になり友の窮地を救うと断言。嗚呼、何たる友情の美しきかな、尊き友の魂の叫びを聞きて牢中の義助囚人は何を思う……」(明和新聞 明治28.12.17)

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「驚天動地の証言。光岡決闘殺人は自分がやった。真犯人を名乗る男現る。さる七年前の明治22年8月に起きし本紙光岡五郎記者殺人、本件はすでに決闘相手の書生が犯人として刑が確定し、服役中。偶然、本紙近藤和行記者が光岡決闘殺人の真犯人を主張する男(以下、K氏)と接触する機会あり……」(明和新聞 明治29.4.19)

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「光岡決闘殺人、当局は再捜査否定。前日報道の光岡決闘殺人の真犯人現るにつき、当局に取材するも、動く見込みはなし。本件はすでに裁判終結せしうえ、真犯人を名乗る男の主張はただ己の言い分のみで何一つ根拠なしとす。昨今、重大事件の極秘情報を知る風を装いて新聞社や当局に売り込みをかけ金品を要求する不逞の輩あり、当局はその類を疑いし模様……」(明和新聞 明治29.4.20)

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「警察は再捜査すべしと主張。囚人の親友・源造氏。本件で男が真犯人を名乗りでたことを受け、服役中の君塚義助の親友笹岡源造氏が本紙の取材に答える。彼は当局の再捜査を改めて要求す。源造氏は現在代言人を目指す身でありながら、病を得て実家に戻り療養中。肺病と診断され痛々しい身を引きずりながら友を思う気持ちは衰えず……」(明和新聞 明治29.4.22)

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「笹岡源造氏亡くなる。決闘殺人事件囚人の親友。本件再捜査を訴え続け、代言人になるため勉学中の笹岡源造氏が肺病のため逝去した。氏は代言人になるべく勉学に励むも病を得てからは実家にて療養中を続け、去る十八日、容体急変し息を引き取りしことが判明……」(明和新聞 明治30.2.20)

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「天皇御大喪に伴う恩赦決定。このたび明治天皇の御大喪により、恩赦となる者決定し、今月中にも実行される予定。恩赦対象には、本紙記者光岡五郎殺人の罪に問われし君塚義助も含まれる……」(明和新聞 大正元年9.20)

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荒川の土手下にある墓地から、夫婦らしき妙齢の男女が連れたって出てきた。二人は何やらしきりにささやいている。男性が「あれはきっと、日露の戦役で息子を亡くした人に違いない。気の毒に」とつぶやくと、女性は「あなたは泣き崩れる人をみたら何でも日露の戦争を持ち出すんだから。老け込んではいたけど、そんな大きなお子がいるって年齢じゃないわよ、おおかた大切な恋人かなにかを亡くされたんじゃないのかしら」と返す。
この二人の会話に上っている人物こそ、つい先日恩赦で釈放された君塚義助であった。
彼らは先ほど、墓石の前で激しく慟哭する義助を通りがけに見かけ、不審に思い、彼はどんな人物なのか、何の背景であんなふうに激しく泣いているのか、互いの見立てを言い合っていたのである。その義助は、今なお、墓石の前にかしずき、地面に手をつき嗚咽をもらし、ぶつぶつとつぶやいている。「……ゆるしてくれ。ゆるしてくれ」
墓地は他に誰も居なく、しんと静まりかえっている。ただ「笹岡源造之墓」と刻まれた墓石の前だけは、痛切なすすり泣きがもれてしじまを満たしていく。

「せっかく娑婆の空気を吸えるようになったのだ。もう過去のことは忘れたほうがいい」
近藤和行はそう言うと、フロックの胸ポケットから葉巻を取り出して火をつける。
近藤の前には、刑務所から出てきたばかりの義助がむくろのように座っている。二人が着席する店内は、銀座に構えた喫茶店ということもあり、客足は多く店員の動きもせわしない。
新聞記者だった近藤と、殺人の罪を背負った義助が顔を合わせるのは、これがはじめてではなかった。近藤は、服役中の義助を何度か訪れていた。もとをただせば義助がこんな目に遭ったのも、自分が書いた記事が発端である。そこに多少の責任を感じないわけではなかった。知らん顔をしてやり過ごすのは、彼の良心がゆるさず、そのままでは居心地悪くもあったので、差し入れを持って面会に訪れ、近況を聞いて様子を確認したり、励ましたりもした。
近藤は三年ほど前に新聞社を退職し、今は代議士の秘書を勤めている。記者から政界への転身は、この時代の新聞記者が好む定番の出世街道であった。フロックと言い葉巻と言い、むかし新聞記者をやっていたとは想像もできないほど堂に入っている。
それに対して義助のほうは、見る影もなかった。ひどく老け込み、白髪の多さと広く薄くなった額は四十代のそれとは思えず、知らない人が見れば耳順に達していると思うだろう。頬はこけ、鎖骨はくっきり浮き出て、その姿を最初に見たとき近藤はあまりに痛々しくて目をそむけたほどである。
「で、光岡記者を殺したと名乗りでてきた人物のことですが……」
義助の口からその言葉が出たとき、近藤は遮るように「だから過去の話はよさないか」と言った。
うつむき加減だった義助はきっと近藤の目を見て、「私にとっては、過去ではない」と言った。
近藤は、やや驚いた顔を義助に向けた。義助は頭を下げ「すみません」とつぶやいた。
「もやもやしたものを抱えたまま生きるよりは、すっきりさせて吐き出したほうがいいんです」
義助は言った。
「直接会って確かめたいと言いたいんだね?」
近藤の問いかけに、義助はだまってうなずく。
「その、甲斐……」と義助が言った。
「甲斐友宏」
「彼はなぜ、光岡記者を……」
「単なる物取りだよ。決闘場所の廃寺へ光岡が歩いていくところをずっと付けてたらしい。金が欲しくて短絡的な犯行に走ったとのことだった……あいつはいい記者だったのにな……かわいそうに」
近藤は目をつぶり、首を振った。当時のことを思い出し、悔しがっている素振りだ。
「甲斐友宏という男の住んでいる場所は……」
義助が質問した。
「本当に、直接会って確かめるだけで済むのかね?」
近藤の目には不安というより、一種の怯えのような色が浮かんでいる。
「君、その男に報復でも考えてないかい?」
近藤の尋問に対し、義助は薄く笑って首を振る。
「せっかく手に入れた自由を、そんな馬鹿げたことで棒に振ったりはしませんよ」
「そうかい。ぜひそうしてくれたまえ。私と会った後で間違ったことされたら、私にも火の粉が降りかかるからね」
義助の返答に近藤は満足したのか、葉巻の煙をくゆらせて、「私が彼に取材したときは、日暮里に住んでいると言ってたね」と言った。
「でもあれは十五、六年も前の話だしね。今はどこにいるのか見当もつかない。東京に住んでいるという保証もない。このご時世、満州や朝鮮に行って出稼ぎする人も多いくらいだからね」
「ありがとうございます。それだけわかれば十分です」
「……そうかい。しつこいようだけど、くれぐれも早まったことはしないように。新しい御代になったことだし、お互い晴れ晴れとした気持ちで生きようじゃないか」
近藤は笑みをたたえて言った。義助のほうはただ口元をゆるめ、黙って俯いていた。

近藤にあのような説明をした義助だが、内心は違うことを考えていた。
光岡五郎を殺害した人物を、自分はどうしても知る必要がある。幸い向こうから自分が犯人だと名乗り出てくれた。彼の言っていることは本当のことかどうか、直接会って確かめなければならない。
そして、この男が光岡五郎を殺した人物だと確信が持てたら、彼を殺して、自分も死ぬ。
そう心に決めていた。
義助は、いまさら自分にまともな人生を生きる資格など、ないと思っている。そんな気力もないし、気概もない。価値も感じない。
ただ、そんな自分でも、できることは一つある。
光岡五郎を手に掛け、その命を奪った甲斐友宏なる人物を、自らの手で成敗することだ。
甲斐は、金を取る目的で、自分と決闘するために指定の場所に現れた光岡五郎を殺害した。
そのせいで自分が殺人犯と疑われ、無実なのに刑務所送りとなって人生の貴重な時間を奪われたが、それはまあいい。むしろ、真に罪を背負うべきは自分であるのでこの報いは当然ともいえる。
何しろ、自分が決闘状さえ送りつけなければ、光岡はあの場所へ行くことはなかった。あの場所へ行かなければ、殺されずに済んだ。しかも、自分の勘違いによる決闘の申し込みを受けて光岡はあの場所にやってきた。決闘状を送る相手は別人物だったのに、己は勘違いをして光岡を兇悪な殺人犯がいる危険な場所に誘い込み、あのような悲劇をもたらしてしまった。
金品を奪うために光岡を殺害した甲斐は、もちろん重罪人である。が、勘違いから光岡に決闘状を送りつけ、兇悪な強盗犯に出くわす機会を与えその結果殺害される状況を作り出してしまった自分の罪はどうなるのか? 自分が決闘状を送りつけなければ、勘違いをしなければ、光岡の死はなかったのである。自分の罪は、甲斐以上に重いと言えないか。
甲斐がこの先、法の裁きを受けることはない。善良な市民の顔をして、大手を振って街を歩くこともできれば、自由と欲望の赴くままこの世の生を謳歌することもできる。生きるべき人は死に、生きる価値のないろくでなしはのうのうと生きることを許される。前者は光岡と源造で、後者は甲斐と自分だ。このような不条理があっていいはずはない。
甲斐と自分は、生きていてはいけない種の人間なのだ。法の裁きを受けない甲斐を、誰が代わって成敗する? 今のご時世、敵討ちは許されない。しかし、失うもののない人間は精神的には治外法権の下にあり、罪に問われない極悪人を裁く泥仕事など引き受けるのは簡単のはずだ。甲斐を始末することは、自分にしかできない事案である。いや、自分が決着をつけるべき問題だ。すべてを捨てている自分だからこそ、それができる。

もし、源造が生きていれば、そんなふうな思考回路にはならなかっただろう。義助に生きる気力も意味も価値も失わせたのは、源造の死に他ならなかった。

源造は、義助の無実を訴え続け、無念にも病に倒れて亡くなった。まだ28歳の若さだった。彼は代言人になるための勉学に打ち込んでいた。義助をえん罪から救うためである。代言人になって義助を弁護し、司法を動かすのが目的だった。可能性は低いとはいえ、万に一つの望みをつないでそれに賭けたのである。そこまでするのは、ひとえに自分のためだ。自分との友情のためだ。
しかし、その道半ばに彼は倒れて、自分だけが残された。
源造が自分のために奔走していると聞いたとき、義助は涙が出るほどうれしかった。それと同時に、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。あいつは暴慢に任せて決闘を挑もうとする俺を、親友の立場からたしなめてくれた。そして間違った相手に決闘を申し込んでいる事実を突き止め、今すぐ決闘状を取り下げるべきだと忠告してくれた。友のためを思った真剣な訴えだったのに、愚かな俺は、親友のいさめも聞かず、そのまま突っ走ってとんでもない事態を引き起こした。
本当に取り返しのつかないことをしてしまい、そのことを今思い起こしても胸がかきむしられる。俺は光岡五郎を殺していないが、俺の決闘状がなければ彼はあの場へ行くことはなく、死なずに済んだ。俺は、光岡五郎を間接的に殺したのだ。殺人の罪を着せられ、20年以上懲役に服したが、こんなことで自分の罪が許されるとはもちろん思っていない。
世間的に見ればどうしようもない俺という人間を、あいつは見捨てなかった。それどころか、俺を助けるために代言人になる誓いを立て、その人生を捧げた。あいつが肺病で死んだ知らせを受けたとき、俺も死のうと考えた。あんな美しい人間が死んで、醜く汚らしく一片の価値もない俺のような人間が生きてよい道理などない。
源造の遺志をくみ、代言人になることも考えた。しかしそれは、友人の汚れなき意思を己の身の処し方のために利用するようで、絶対にそこだけは踏み込んではならない領域のような気がした。もし源造の遺志を汲んで代言人になる生き方を選べば、世間からみればたいそう立派な人間に映ることだろう。それでこそ親友の死を無駄にしない決断だと思われるだろう。しかし、本当の俺はそんな立派な人間ではないのだ。世間様に評価される資格もない。むしろ、立派な人間どころか、普通の人間にすら戻れない。世間様に認めてもらおう、許してもらおうと考えるその心が、そもそも許されない。それほどまでに俺が背負った罪は深いのだ。

光岡殺しの男を、殺す。愚か者で汚れた自分には、やはりこれがふさわしい。今さらきれいごとを言ってもはじまらない。こうなったら、徹底して泥まみれの人生で終わるほうが身に合っている。光岡を殺した男は罪のない人間の命を奪った極悪人であり、裁きを受けるべき対象である。お上に代わって成敗することは、この世のためにもなろう。
義助は自分なりに熟慮を重ねた結果、甲斐を殺して自分も死ぬ道で行くと決めた。

義助は、甲斐が以前住んでいたという日暮里に向かい、甲斐の現在の居所を探るための聞き込みを行った。不審な人物と思われないよう身なりは探偵が着るような襟の立つ外套に縞のシャツ、ズボンで装い、明るい調子で住民たちと接触を図った。

町の世話役、顔役、老婆、町内会長、甲斐が通っていたであろう小中学校出身の住民や教職員、役場の人間、この辺りに出入りする行商人まで、手当たり次第に人と会い情報を探る。甲斐と同じ学校に通い机を並べて一緒に学んだという同窓生からも話を聞くことができた。少年時代の甲斐の人となりを詳しく教えてもらったが、甲斐の所在を知らせる情報にはなかなかたどり着けなかった。

近藤の話によると、甲斐の事件当時の年齢は19歳とのことだったので、現在は42歳くらいになっているはずだった。

甲斐の所在を突き止める調査をはじめて五日後、ようやく有力な情報が得られた。甲斐が以前勤めていた、日暮里界隈の娼妓座敷で働く中年の男と接触し、甲斐についての詳しい情報を聞き出すことができた。

「はい、その男なら、去年までここで庭掃きと煮炊きの手伝いをやっていましたよ。寺男がやるみたいなちんけな仕事ですがね。奴さん、日露戦争に通信兵として出征したらしく、前線には出ていなかったそうですが、運悪く敵の爆撃の煽りを受けて足を負傷したらしくてね、恩給だけじゃ女房と娘養えないということで、便所掃除でも何でもするからここに置いてくれとせがんで、私も息子を戦争にとられていろいろと苦労した身だから、情けで置いてやった次第なんですね。ここでは真面目に働いていたのですが、去年の暮れあたりから戦争の傷が尾を引いて体がいけなくなったらしく、ここを離れて今は千駄木の長屋で暮らしてるって聞きましたよ」

義助は、中年男にお礼を言うとその情報を確かめるべく、すぐに千駄木へ足を向けた。
娼妓座敷の男が教えてくれた千駄木の長屋は、根津神社の坂道を下りた通りの町筋にあった。この界わいは東京大学の下宿が多く、学生らしき若者の群れとたびたびすれ違う。小さい平屋が肩を寄せ合うように並ぶ横町を抜け、薄暗い路地を入る。外で洗濯をする老婆に、甲斐という男を知らないかと尋ねる。甲斐の年齢や特徴、家族構成を聞いた老婆は、その人ならここをまっすぐいって突き当たり手前の二軒目の家に住んでいると教えてくれた。

その老婆の話では、甲斐は半年ほど前、女房と十六になる娘と一緒にここに越してきたらしかった。何でも甲斐は病に伏せって寝たきりらしく、女房と娘が働きに出て家計を支えていると言う。甲斐と顔を合わせたことはないが、女房はとても明るく気さくで、感じのよい婦人だとしきりに誉めた。娘は大人しく見えても芯は強そうで、美人というほどではないが器量はそれほど悪くない、と聞いてもいないことをわざわざ教えてくれた。

義助は、老婆の教えた通りの住居まで足を運んだ。戸を叩き、「突然のご訪問失礼します。私は小石川区軍人恩給課担当の者です」と、先ほど思いついた身分を欺くでまかせを口走って家人が出てくるのを待った。
まもなく、戸が開き、黒孺子のかけ合わせを着た若い女性が姿を見せた。見た目の幼さからして、甲斐の娘に違いなかった。
「甲斐友宏さんはご在宅でしょうか」
義助が尋ねた。
「……はあ、いますが……」
娘はそう言いつつ、屋内を振り返る。甲斐が寝たきりであることはわかっている。娘はその状況をどう説明してよいか、返答に困っているふうに見えた。
「この度、小石川区のほうで精査を行い、日露戦役の負傷者である甲斐友宏殿に対し、新たな恩給の支給を検討中です。現状、友宏氏の容体がどのような状況にあるか、区としても観察が必要という規則ですので、拝見させていただきたく存じます……あなたは友宏さんのお嬢様ですか?」
「……はい」
「お母様は、ご在宅ですか?」
「いえ」
義助は内心ほっとした。細君が不在で娘と甲斐本人だけなら、たやすく実行できそうだった。
「お父さんには新たな恩給の支給が決定される予定です。速やかな裁決のためにも、こちらの精査にご協力をお願いします」
「はあ」
娘はどうしようもないといった感じで、義助を中に招き入れた。
中は、玄関に近い居間と六畳の二間があるくらいで、甲斐は奥の座敷に寝ているらしかった。じめじめとして薄暗く、奥座敷の襖模様として描かれている松の木がやたら不気味に見えた。
襖を開けると、布団をかぶり仰向けに寝る男の姿があった。
義助は、襖をしめ、薄暗い一室で甲斐と二人だけになる。
室内は暗く、甲斐の顔は判然としない。ただ目を開け天井を見つめていることはわかる。口も開いていた。唇の右端から、白いよだれが垂れていた。
「甲斐友宏さん、ですね」
「……にわかにハタと倒れし!」
突如として甲斐は大きな声でこう言い放った。度肝を抜く奇声とは裏腹に、その目は驚くほど澄んでいる。
義助は、ただ呆然と甲斐の表情を見つめた。
甲斐は口をパクパクさせるが、何も言葉は出てこない。
義助は、右手をそっと上衣の内側に入れた。
動いた右手には、短刀の柄がつかまれている。
義助の目は、甲斐から逸れない。
甲斐の目も、天井から逸れない。
「我は思わず駆けよる、しっかりせよ、しっかりせよ!」
甲斐がまた狂ったように叫んだ。
義助の口から、大きなため息が漏れた。
背が情けなく前に倒れ、丸くなって俯く。
二回目の大きなため息が、漏れた。

座敷の襖が開き、義助が出てきた。
襖の前で娘が立っている。義助が出てくるのを待っていたのだろう。
「……恩給が正式に決まりましたら、改めてお知らせいたします」
義助はそれだけ言って立ち去ろうとした。
「恩給はどれくらいもらえるのですか!」
義助が振り返ると、娘が目を大きく見ひらいてこちらを見ている。
その顔はほころび、目はらんらんと輝いている。
義助は言葉につまり、やや間を空けて、「……それについても後ほど改めて……失礼します」
義助はどもりながらそう言うと、逃げるようにしてその場を去った。
娘がいぶかしそうに見送る。振り返ると、開いた襖の向こうで父が細い寝息を立てていた。

甲斐は、病と戦傷のため、脳をむしばまれているようだった。放っておいても死に絶えそうな体の状態と、困窮した生活の様子を見せつけられた義助は、当初の意図がみるみるしぼみ、実行に向かわせるだけの力を失った。

義助はごみごみした長屋の戸の並びを抜けて、表の通りに出た。天ぷら屋とうどん屋とカレーライスのお店が並んでいて、お店を出る人や入る人とすれ違う。中を覗くと、厨房のほうでねじり八巻きをして包丁を振るう親父の姿が見える。ごくありふれた、他愛のない生活の光景なのに、義助にはたまらなく遠く、手の届かないもののように映る。そこに閉塞もなければ断絶もない。川床があって水を引き込み、絶え間なく流れをつくる河になっている。義助は、何もかも失った自分に、今から土を掘り起こすところからはじめる河作りができるのか、一瞬考えてみたが、すぐに振り払った。

根津神社のほうから、総柄の華のある半纏と袴を身に着けた男の子が、はしゃぎながら歩いてくる。両親がその後ろから追いかけてくる。危ないじゃない走っちゃだめよ、転ぶわよ。母親の甲高くせっつく声とすれ違う。父親のほうは口元を緩め、温かく子どもの様子を見守っている。
義助は、ここでにわかに、光岡に小さな息子がいたことを思い出した。

義助はあえて光岡宅への訪問を避けていた。遺族に詫び、墓参りを願い出たところで、拒絶されることは目に見えていたからである。

服役中、光岡の細君に宛てて、何度も謝罪の手紙を書いた。自分が関与していない殺人についての言及は避け、ただただ己の不始末を詫びる文言をつづった。が、封は開けられずすべて突き返された。この対応で、自分は遺族に許されないものと見なした。無理に会おうとしても相手の気分を害するだけと思われた。許してもらえないのに、遺影の前で線香を上げ、墓石に向かって手を合わせることができても、それは己の満足に過ぎない。細君の気持ちは晴れないのに己だけ満足するのは許されない。そんな気持ちから、出所後の訪問も墓参りも控えていたのである。

光岡には細君のほか、三歳くらいの小さな息子がいた。今年はおそらく、二十七くらいになっているはずだ。もう親の手からはなれた立派な大人になっているのだろう。父の死の経緯について、母親から話を聞いて知っていてもおかしくない。息子は、父の仇のことをどう思っているのだろうか。自分の手で討ってやりたいと思っていないだろうか。光岡は豪胆で好戦的な男だった。その血を引く息子なら、父の仇が現れたのを見て、黙って見過ごすとは考えられない。もしかすると、恩赦で出所した自分の行方を秘かに捜し回っているかもしれない。

光岡の息子が父の仇討ちを望んでいたとしたら、自分は心置きなくその本望を叶えてやりたい。そうあるべきだ。双方にとってそれ以上の解決策はない。そんな結論に帰着すると、義助はさっそく光岡宅の訪問を決意した。住所が変わっていないとしたら、その家はここからさほど遠くない白山にあるはずだ。手紙で断りなどいれず突然訪問しよう。ここは相手に心の準備をさせないほうがいい。時間をおけばこちらにも迷いが生じる。そんな計算から、義助は思い立ったこの瞬間に白山へ向かう決意を固めた。

白山の坂下にある、民家が集合する一帯を歩くと、突き当たる手前から二軒目の家の門に「光岡」と彫られた表札があった。
義助は門の前から「ごめんください」と大きな声で叫んだ。三秒ほど間隔を空け、もう一度「ごめんください」と門に向かって叫んだ。
引き戸が開く音がする。誰かつっかけた草履の音を響かせて歩いてくる。門の引き戸が横に開く。紬の羽織を着た、五十くらいの女性が大きな目をしてこちらを見つめる。
「光岡節子さんですね」
義助がそう言うと、女性は「……そうですが、どなたで?」と聞き返す。
「君塚義助です。この度、憚りながらお国の慈悲深いお計らいにより、出所いたしました」
義助は頭を下げながらそこまで言うと、膝を曲げ、両手と両膝を地面につき、額も地面にこすりつる姿勢をとった。
「誠に申し訳ございませんでした。どうしても直接お会いしてお詫びをし、故人にも墓前に手を合わせ謝罪したいと思い、おこがましいのを承知のうえお参りに上がりました」
義助は、地面につけた額を上げず、ひたすら平伏した。
「……わかりました。お入りください」
か細く乾いた声が、ひやりと落ちてきた。

義助は奥座敷に案内されると、「ご焼香失礼します」と夫人に頭を下げ、仏壇の前に座った。精悍な顔つきで微笑む光岡の遺影と位牌の前で、義助は神妙に線香を上げ、手を合わせた。
焼香を終え、仏壇に背を向けて光岡夫人と向き合う。夫人は横を向いている。縁側の向こうの庭には、山茶花の白い花が誇らしげに咲いているのが見える。
「……手紙は受け取れませんでした」
光岡夫人は縁側のほうを向いたままそう言った。
「……はい」
義助はただ俯いている。
「……本当のところ、あなたではないらしい、という話も、うかがっています」
そう言ったときはじめて、光岡夫人の視線は義助のほうに移った。
「……はい」
「……そうなんですか。あたなではないんですか」
義助は、答えなかった。何を言っても、出てくる言葉は弁解と釈明に変わる。
「なぜ、黙ってらっしゃって?」
義助は顔を上げ、光岡夫人をまっすぐ見つめて、「私が殺したんです」と言った。
夫人の眉が、静かにつり上がった。
「私が、私が殺しました。この罪は一生消えません。許してもらおうとも考えていません。どうか私を、気が済むまで憎んでください。八つ裂きにしてください」
「帰ってください」
夫人は、まっすぐ義助を睨んだ。
「帰って!」
悲痛な声が、強く響く。義助は、その言葉を受け止めたいとするかのように、ただ黙って夫人の目を見つめた。
義助は、光岡宅の門を出た。
黒のインパネスを羽織った青年が立っていた。
こちらを見つめている。
鋭い眼光とよく通った鼻筋を見て、光岡の息子であるとすぐにわかった。
義助は歩を進め、青年と1間ほどの距離に詰めたところで、懐から短刀を取り出した。
短刀の柄のほうを、青年に差し出す。
青年は、相変わらず鋭い眼光をこちらに向けている。
「私は、君の父さんの仇だ」
青年は無表情のまま、こちらを見ている。
「討ちたまえ」
義助は、言った。
青年は、無言で義助から差し出された短刀を持ち替える。
鞘を抜いたところで、動きが止まる。
その手が、かすかに震えている。
義助を睨む目だけは、鋭く光っている。
ガタガタ、と、引き戸が慌ただしく開く音がした。
「雄吉! 駄目!」
光岡夫人が飛び出してきて、義助を通り越して青年の体に飛びつく。
いつの間にか、短刀は夫人の手に渡っている。
血相を変えた夫人が、獣のようなうめきをあげ、義助に向かって突進する。
義助は、夫人の涙を見た。
後ろに立つ息子、泣きそうな顔をして、母につかみかかろうとする。
義助は、はっとなった。
(源造、教えてくれ……今度こそ、お前の助言にしたがおう)
義助は、咄嗟に右手で胸をかばい、刃を受け止めた。
刃は手のひらにくるまれ、血がしたたり落ちる。
「母さん!」
夫人は息子に抱きかかえられた。
義助は出血を抑えるよう右手をかばいながら、母子のほうを見つめて、
「また、またとんでもない過ちを繰り返すとこだった……私は消えます。通報はやめてください。ご迷惑おかけしました」
と言い、よろよろとこの先の坂下を目指して歩き出した。

血の跡を引きながら、義助は歩く。
「相変わらずバカなことして、源造、お前はあきれているだろう。馬鹿な奴だと笑ってくれ」
幸い、傷は浅かった。夫人の力が弱かったのもあるが、息子が後ろからつかみかかったことで、その勢いを殺したのが大きい。
息子の目は、復讐に燃えるわけでもなく、母を止めたい一心でそう訴えていた。
母は、息子を守るために、自分が罪を買って出ようとあのような行動に走った。
対して自分はどうだ。短慮もいいところだ。
報復することも、死ぬことも、討たれることも、みんな罪から逃げるためだった。そして楽な逃げ道だった。己のしでかしたことにきちんと落とし前つけるのだったら、いちばん苦労するほうを選ばないといけない。ちゃんと背負って生きていかなきゃいけない。
そうだよな、源造。お前が生きていたら、きっとそう言うだろう。
源造、俺は代言人になるぞ。お前の遺志を継いで、お前が俺を救うためになるはずだった代言人に、俺はなるぞ。
お前が生きていたら救っていたに違いない人たちを、俺が救ってその遺志をかたちにしよう。
その前に、ちゃんと報告だけはしておかないとな。
義助は前に進んだ。源造が眠る墓地を目指して。
沈みそうな夕陽を見て、義助はにわかに早足になった。


※この小説は、明治時代に流行した決闘を題材に書いたものです。以下は明治の決闘について書いた歴史記事になります。



















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