田中畔道|歴史と創作

文章浪人。独立系の歴史メディアとして近現代史をメインとする歴史コラムを執筆。知識より考…

田中畔道|歴史と創作

文章浪人。独立系の歴史メディアとして近現代史をメインとする歴史コラムを執筆。知識より考え方のヒントや視座の提供を重視。ときどき創作も。執筆依頼はこちら sinmyou91@gmail.com

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スキこそ物の平等なれ

歴史好き同士の会話で決まってやり取りされるのが、「どの時代が一番好きですか」「誰が一番好きですか」という「好き問答」。 これは別に歴史に限った話じゃなく、映画や読書、アニメ、プロ野球とか登山とか何でも、何かを偏愛する者たちが集まったとき、はじまりを「いちばん好きなもの」の紹介で飾るのが慣例ではないだろうか。 それはほとんど名刺交換にも似た儀式といってよく、お互いを知るためのいちばんやさしい方法として定着している。 なぜ私たちは「いちばん好き」を最初に紹介したがるのか。

    • 政治を語ると命を失う時代、友達をなくす時代

      吉田松陰は反幕行為の嫌疑をかけられ、評定所で訊問を受けた際、役人に己が正しいと信じる国家として歩むべき政道を説いた。それを聞いた役人は怒り、「卑賤の身にして国家の大事を議すること不届きなり」と問責した。武士でもない卑しい身分の者が幕政に口を差しはさむとは何事だ、と松陰の言動をとがめたのだ。 松陰と幕吏のやり取りからわかるのは、江戸時代では庶民が国を憂えて政治を語ることはご法度だった、ということだ。 武士階級でもない百姓や町人、商人が御上の政治に口を出すなどもってのほかで、

      • その時代を生きた人だから出てくる言葉と感情を抱きしめる【歴史雑感】

        昭和24年初版の『太平洋海戦史』(高木惣吉著)の「まえがき」に、すごい文章がある。 「思い浮かべるだけで苦痛を催す」という箇所を読んで、ガツンときた。ああ、とため息がもれた。あの戦争を直接見て、体験した人でないと出てこない言葉、わからない感情。だだもれて仕方ないといった直情的な表現。 すごいと感じる。とてつもないと感じる。 「未曾有の大事件」とは言うまでもなく大東亜戦争(太平洋戦争)のことである。「まえがき」を書いたのはこの本の編集者で、事実に基づく客観的な戦争批判の本

        • 続・歴史を動かすものの正体をシンプルに考察

          「歴史は人が動かす。人は利害で動く。ゆえに歴史は人の利害で動いた結果である」といった内容の記事を前回書いた。 人を動かす大きな力として、利害のほかにも「感情」というものがある。 もしかすると、人類の歴史は、利害より感情で動いてきたことのほうが多かったかもしれない。 第一次世界大戦に関する本などを読むと、当時のヨーロッパの指導者たちの判断や思考を左右したのは理知ではなく感情だったと感じることがある。当たり前の想像力すら失わせる憎悪や恐怖、猜疑心が軽率な意思決定と招き、国家

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          歴史を動かすものの正体をシンプルに考察

          島崎藤村の歴史小説『夜明け前』に、こんな一節がある。勤皇家同士の会話で、直近の尊王攘夷運動についての印象を語っている。 要するに「みんな攘夷攘夷を言うけれど、実際は利害で動いていない?」と疑問を呈しているわけだ。 この人たちは木曽の山奥から遠目で京都や江戸の動きをみていたから、尊王攘夷運動にも冷めた見方ができたのだと思う。けだし本質を突く鋭い指摘である。 あれだけ攘夷攘夷と言いながら、最終的にはその旗印を引っ込めて開国した。それは攘夷に利益はなく開国に利益があったからだ

          歴史を動かすものの正体をシンプルに考察

          歴史で評価するように政治家を選べたら|「伊藤博文44歳で首相になる」からの連想

          初代内閣総理大臣は伊藤博文だ。彼の当時の年齢は44歳だった。 現代の感覚で言えば率直に「若い」である。令和にそんな若い総理大臣が誕生したら、「日本が若返った」と期待値が上がる。その一方で「そんな若造に国の舵取りを任せてよいのか」と漠たる不安も、混じる。44歳という年齢だけにフォーカスすると、そんな期待と不安が真っ二つにわかれる反応が容易に想像できる。 だが、当然のこととして、伊藤を内閣総理大臣の地位に押し上げた理由は年齢じゃない。その若さながらトップの重責を任せられるに足

          歴史で評価するように政治家を選べたら|「伊藤博文44歳で首相になる」からの連想

          日本人はなぜすぐ謝るのか|『アーロン収容所』を読んで感じたこと

          日本人はなぜすぐ謝るのか。それは、「間違いは悪」とする考えが根強いせいではないのか。 以前からぼんやりとそんなふうに思っていた。そこへ、『アーロン収容所』という日本兵捕虜の体験記の中のある一節にぶつかり、改めてその考えを強くした。 日本側の将校と英軍中尉が会話するくだり。日本の将校は「日本が戦争を起こしたのは申し訳ないことだった。これからは仲良くしたい」と謝った。それを受けた英軍中尉は厳しい口調で「君たちはスレイブ(奴隷)か」と返した。その言葉の意味を次のように説明した。

          日本人はなぜすぐ謝るのか|『アーロン収容所』を読んで感じたこと

          歴史研究において貴重な「敗者の伝」

          私は歴史が好きなのでは歴史上の人物の自伝や回顧録、手記といったものを読むのが好きだ。これまで多くの人物たちの足跡を描いた書物を読み漁り(といっても百冊とかそんなレベルにあらず)、さまざまな時代の事件や出来事、歴史的瞬間、エポックメイキングを活字の上で追体験してきた。 時代の貴重な証言である自伝にも、厄介なところがある。おおよそが書いた人の「手柄話」や「自慢話」「言い訳」「自己弁護」になりがちなところだ。自分の活躍は徹頭徹尾かっこよく大きく見せて、都合の悪いところは巧妙に省く

          歴史研究において貴重な「敗者の伝」

          王政復古の意味するところ

          日本が近代化するプロセスで起きた変革が「王政復古」だ。 武家(徳川幕府)に集中されていた政治のあらゆる実権を朝廷(天皇)に返上し、天皇を日本国の統治者とする体にして封建体制を終わらせたのだ。 巨大な幕府とそれがもたらす古い封建的なシステムを終わらせるには、反幕府勢力が一つにまとまる必要があった。その運動の求心力になったのが「天皇」だ。この運動の結果「王政復古」となり、天皇が徳川将軍に代わって日本を統治する立場になったのだ。 しかしよく考えてみれば奇妙な話である。まったく

          王政復古の意味するところ

          歴史は「何でこうなった」を探る旅だ

          歴史は「何でこうなった」を探る旅である。「何でこうなった」の答えが歴史にはある。 日本は何でこうなったのか。日本の歴史が教えてくれる。日本の経済は何で今こうなっているのか。経済の低迷がはじまってから今に至るまでの政治や財政の歴史が教えてくれる。日本人の清潔感や礼儀正しさは何でこうも世界から称賛されるのか。日本独自の宗教観やケガレ思想、武士道といった価値観の歴史が教えてくれる。 最近、都知事選挙があった。日本は民主主義のくせしてどうしてこうも政治に無関心なのか、投票に行く人

          歴史は「何でこうなった」を探る旅だ

          西郷さんが生きていたらなあ

          伊藤博文の本を読みながら、なぜか西郷隆盛の顔が浮かんだ。 新国家建設に向かって、伊藤博文がはつらつと躍動した時期に、西郷隆盛が生きていれば、歴史はきっと変わっていたに違いない。 そんな夢想に駆り立てる力が、西郷隆盛という人物にはある。 伊藤博文の能力の高さについては論を待たない。維新に功のある多くの閣僚がしがみついた藩閥意識と距離を置き、憲法制定や条約改正といった国家の重要課題にまっすぐ取り組んだ姿も希有といっていい。 そう、伊藤は希有の政治家だった。これはつまり孤高

          西郷さんが生きていたらなあ

          自分を生きるために必要な“鈍感力”~感情に左右されなかった福沢諭吉の性根に学ぶ~

          自分を生きる。 これって、当たり前にできそうで、実はなかなかできないことかもしれません。 たとえば嫌いな人の悪口を言ったり、苦手な上司の愚痴をこぼしているとき、その時間は、嫌いな人や苦手な上司のために生きているようなものになりませんか? また、意見の違う者同士がしばしばぶつかり合うSNS上の言論空間。異なる意見に対して激しい言葉で反論したり、感情的になって攻撃したりするときも、要は相手のためにエネルギーを使っているわけです。不思議なことに、人は意見が合う者より意見を異に

          自分を生きるために必要な“鈍感力”~感情に左右されなかった福沢諭吉の性根に学ぶ~

          「こうありたい自分」をつくる「守りたいもの」~渋沢栄一の選択にみる自分軸の大切さ~

          「自分はどんな人間でありたいか」と問われたら、どんなふうに答えますか? 「ありのままの自分でありたい」「自分を好きな自分でありたい」「ポジティブな人間でありたい」「後輩たちに尊敬される人間でありたい」「いつも楽しんでいる人間でありたい」「はっきり自己主張をできる人間でありたい」「自分だけじゃなく他人や世の中のために役立てるような存在になりたい」「もっと自分を好きになれる人間でありたい」…… おそらく、こんな答えになることが多いような気がします。 今の時代は。 特に意識

          「こうありたい自分」をつくる「守りたいもの」~渋沢栄一の選択にみる自分軸の大切さ~

          自作の短編小説『大日本帝国憲法公布、とあるその日その後』を自分で解説

          前回、短編小説『大日本帝国憲法公布、とあるその日その後』を投稿しました。 四民平等になった明治時代、封建社会の価値観から抜け出せない武家出身の女性の苦悩と、彼女を支えようとする元奉公人の愛を描いた物語。明治22年2月11日の大日本帝国憲法公布日に発生した事故を発端に物語が展開されます。 この記事は、小説のあらすじや、小説のモチーフとなった歴史的出来事の解説、創作の意図を紹介する内容となっています。 本編あらすじ製紙工場に女工として勤務するお花は、明治22年2月11日帝国

          自作の短編小説『大日本帝国憲法公布、とあるその日その後』を自分で解説

          【短編小説】大日本帝国憲法公布、とあるその日その後

          「明治22年2月11日の憲法公布日。私が尋常小学校の五年生のときでした。忘れもしませんよ。あの日は前夜から大雪で、朝目を覚ますと一面の銀世界だったのを覚えています。父は下界を洗う清めの雪だなんて喜んでいました。いや、忘れないというのは雪のことじゃありません。目の前で見た悲惨な死亡事故のことです。国民総出で千古不磨の大典を祝す中、尊い命が犠牲になる痛ましい事故が起きました。場所は丸の内通りから和田倉門にさしかかる小さな橋のたもとで、一人の若い青年が倒れた山車に押しつぶされて圧死

          【短編小説】大日本帝国憲法公布、とあるその日その後

          自作の短編小説『日本政府脱管届を出した男』を自分で解説

          前回、短編小説『日本政府脱管届を出した男』を投稿しました。 この小説は、明治時代に茨城の自由党員が起こした「脱管届事件」がモチーフになっています。 明治を描いた時代小説だけに、「自由民権運動」とか「国会開設」とか、「官有物払下げ問題」とか、歴史の教科書で見た記憶があるだろうキーワードなどが飛び交い、その時代に詳しくないと頭にすっと入ってこず引っかかる部分もあるかと思います。 そこで今回は、小説の題材である脱管事件が起きた時代的な背景を説明します。小説を通して描きたかった

          自作の短編小説『日本政府脱管届を出した男』を自分で解説