田中畔道|歴史と創作

文章浪人。独立系の歴史メディアとして近現代史をメインとする歴史コラムを執筆。ときどき創…

田中畔道|歴史と創作

文章浪人。独立系の歴史メディアとして近現代史をメインとする歴史コラムを執筆。ときどき創作も。執筆依頼はこちら sinmyou91@gmail.com

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西郷さんが生きていたらなあ

伊藤博文の本を読みながら、なぜか西郷隆盛の顔が浮かんだ。 新国家建設に向かって、伊藤博文がはつらつと躍動した時期に、西郷隆盛が生きていれば、歴史はきっと変わっていたに違いない。 そんな夢想に駆り立てる力が、西郷隆盛という人物にはある。 伊藤博文の能力の高さについては論を待たない。維新に功のある多くの閣僚がしがみついた藩閥意識と距離を置き、憲法制定や条約改正といった国家の重要課題にまっすぐ取り組んだ姿も希有といっていい。 そう、伊藤は希有の政治家だった。これはつまり孤高

    • 自分を生きるために必要な“鈍感力”~感情に左右されなかった福沢諭吉の性根に学ぶ~

      自分を生きる。 これって、当たり前にできそうで、実はなかなかできないことかもしれません。 たとえば嫌いな人の悪口を言ったり、苦手な上司の愚痴をこぼしているとき、その時間は、嫌いな人や苦手な上司のために生きているようなものになりませんか? また、意見の違う者同士がしばしばぶつかり合うSNS上の言論空間。異なる意見に対して激しい言葉で反論したり、感情的になって攻撃したりするときも、要は相手のためにエネルギーを使っているわけです。不思議なことに、人は意見が合う者より意見を異に

      • 「こうありたい自分」をつくる「守りたいもの」~渋沢栄一の選択にみる自分軸の大切さ~

        「自分はどんな人間でありたいか」と問われたら、どんなふうに答えますか? 「ありのままの自分でありたい」「自分を好きな自分でありたい」「ポジティブな人間でありたい」「後輩たちに尊敬される人間でありたい」「いつも楽しんでいる人間でありたい」「はっきり自己主張をできる人間でありたい」「自分だけじゃなく他人や世の中のために役立てるような存在になりたい」「もっと自分を好きになれる人間でありたい」…… おそらく、こんな答えになることが多いような気がします。 今の時代は。 特に意識

        • 自作の短編小説『大日本帝国憲法公布、とあるその日その後』を自分で解説

          前回、短編小説『大日本帝国憲法公布、とあるその日その後』を投稿しました。 四民平等になった明治時代、封建社会の価値観から抜け出せない武家出身の女性の苦悩と、彼女を支えようとする元奉公人の愛を描いた物語。明治22年2月11日の大日本帝国憲法公布日に発生した事故を発端に物語が展開されます。 この記事は、小説のあらすじや、小説のモチーフとなった歴史的出来事の解説、創作の意図を紹介する内容となっています。 本編あらすじ製紙工場に女工として勤務するお花は、明治22年2月11日帝国

        西郷さんが生きていたらなあ

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          【短編小説】大日本帝国憲法公布、とあるその日その後

          「明治22年2月11日の憲法公布日。私が尋常小学校の五年生のときでした。忘れもしませんよ。あの日は前夜から大雪で、朝目を覚ますと一面の銀世界だったのを覚えています。父は下界を洗う清めの雪だなんて喜んでいました。いや、忘れないというのは雪のことじゃありません。目の前で見た悲惨な死亡事故のことです。国民総出で千古不磨の大典を祝す中、尊い命が犠牲になる痛ましい事故が起きました。場所は丸の内通りから和田倉門にさしかかる小さな橋のたもとで、一人の若い青年が倒れた山車に押しつぶされて圧死

          【短編小説】大日本帝国憲法公布、とあるその日その後

          自作の短編小説『日本政府脱管届を出した男』を自分で解説

          前回、短編小説『日本政府脱管届を出した男』を投稿しました。 この小説は、明治時代に茨城の自由党員が起こした「脱管届事件」がモチーフになっています。 明治を描いた時代小説だけに、「自由民権運動」とか「国会開設」とか、「官有物払下げ問題」とか、歴史の教科書で見た記憶があるだろうキーワードなどが飛び交い、その時代に詳しくないと頭にすっと入ってこず引っかかる部分もあるかと思います。 そこで今回は、小説の題材である脱管事件が起きた時代的な背景を説明します。小説を通して描きたかった

          自作の短編小説『日本政府脱管届を出した男』を自分で解説

          【短編小説】日本政府脱管届を出した男

          古びた文机に頬杖をつき、しばらく考え込んでいた宮川慎平は、ふと顔を母のほうへ向けて「で、母さんはどう思いますか?」と尋ねた。 慎平からみて右横に座る母は、少女のような無垢な瞳をまっすぐ息子に向けたまま、「母さんがどう思うかってことですか? それを聞いてどうするんです?」と、逆に問い返した。 「別にどうするもないのですが……私としては、この度の行動に強い決意と覚悟をもって臨むつもりなんです」 「だったらいいじゃないですか」 「いや、だから、母さんみたいにそうあっさり言われると

          【短編小説】日本政府脱管届を出した男

          当たり前じゃなかった「倒幕」【幕末史】

          19世紀の後半、日本は長く続いた封建体制を一新し、近代的な政治制度を整えた国家に生まれ変わりました。いわゆる「明治維新」です。それ以前には、徳川将軍家を頂点とする武家支配の「徳川幕府」があったわけですが、新しい体制への移行とともに消滅します。 その幕府の終焉はどのようなものだったのか。よく「倒幕」という言葉が使われます。幕府は薩摩藩や長州藩などの「倒幕派」によって倒された。漠然とそんなイメージを持つ方は多いかもしれません。幕府が倒されることを、今を生きる私たちははじめから知

          当たり前じゃなかった「倒幕」【幕末史】

          歴史を学ぶ中で探求するのは「事実」と「真理」。事実の探究では、今の世界がどのようにして生まれたのかを学ぶ事であり、歴史家のつもりで向き合う。真理の探求では、起きた事実に対してなぜそうなるのかを学ぶ事であり、科学者のつもりで向き合う。事実の探求=歴史を学ぶ、真理の探究=歴史に学ぶ。

          歴史を学ぶ中で探求するのは「事実」と「真理」。事実の探究では、今の世界がどのようにして生まれたのかを学ぶ事であり、歴史家のつもりで向き合う。真理の探求では、起きた事実に対してなぜそうなるのかを学ぶ事であり、科学者のつもりで向き合う。事実の探求=歴史を学ぶ、真理の探究=歴史に学ぶ。

          明治維新は大きく3層に分かれる。①幕府の解体(大政奉還、版籍奉還、廃藩置県等)②政治改革(中央集権体制の導入、近代法の制定、国会の開設、憲法の制定等)③国民の意識改革(国民教育制度、廃刀令、散髪洋装の奨励等)いずれの層が欠けても明治維新は起きず、中でも③が超重要。

          明治維新は大きく3層に分かれる。①幕府の解体(大政奉還、版籍奉還、廃藩置県等)②政治改革(中央集権体制の導入、近代法の制定、国会の開設、憲法の制定等)③国民の意識改革(国民教育制度、廃刀令、散髪洋装の奨励等)いずれの層が欠けても明治維新は起きず、中でも③が超重要。

          短編小説「決闘書生」

          義助(ぎすけ)は口を開け、目を大きく見ひらいて、眼前に座る友人を凝視した。 開け放たれた窓から、通りで遊ぶ子どものはしゃぐ声が聞こえる。それに交じり、風鈴の涼やかな音色が鳴る。 今し方、下宿部屋にやってきた高等学校の同級である源造は、信じがたい事実を義助に告げた。 「冗談じゃない。そんなことがあってたまるか!」 義助は怒りにまかせて否定するが、表情は動揺を隠せないでいる。 「冗談でも何でもない。明和新聞の編集局に勤めている従兄弟から直接聞いた話だ。あの記事を書いたのは、近藤和

          短編小説「決闘書生」

          彰義隊まとめ。彼らはなぜ戦ったのか

          先日、上野公園にある西郷隆盛像や彰義隊戦死之碑など幕末・明治時代関連の史跡を訪ね、そこで見たことや感じたことを主題とする記事を書いた。その中には「彰義隊戦死之碑」という、戦死した彰義士を供養するための墓碑があった。 これを機に、彰義隊に関するまとまった記事を書いてみたいと思い、筆をとることにした。 ここでは、彰義隊とはどんな組織か、何をした人たちなのか、基本的な情報をまとめ、それに続いて彰義隊関連の史跡を訪ね歩いたときの撮影写真を掲載している。最後は、彰義隊について思うこ

          彰義隊まとめ。彼らはなぜ戦ったのか

          上野公園史跡巡り|清水観音堂、上野東照宮、五重塔

          上野公園史跡巡り。前回の記事で、西郷隆盛像と彰義隊戦死之碑まで紹介した。 今回はその続きで、ほかに巡った史跡のレポート。 レポートとっても写真メインで紹介するだけで、大したものではないですが。 ここで紹介する史跡は以下の通り。 ・清水観音堂 ・上野大仏 ・小松宮彰仁親王像 ・上野東照宮 ・五重塔 清水観音堂彰義隊戦死之碑を背にして歩くと、木立に囲まれた赤いお堂が見えてくる。 京都の清水寺を模した清水観音堂。 清水寺と同じく舞台造りになっていて、床下を高くした構造

          上野公園史跡巡り|清水観音堂、上野東照宮、五重塔

          上野公園史跡巡り|西郷隆盛銅像と彰義隊戦死之碑

          上野公園には、上野東照宮があり、旧寛永寺五重塔があり、上野大仏や清水観音堂があり、そして西郷隆盛の銅像と彰義隊戦死之碑がある。 江戸時代から幕末、明治維新にかけての歴史が凝縮された史跡の宝庫。最近史跡巡りというものをする機会がなかったので、たまには往時を偲ぶ歴史の痕跡を生で体感しようと思い、上野公園に足を運んだ。 JR上野駅「不忍口」を出て不忍池方面に向かって歩くと大きな横断歩道にぶつかり、そこを越えた先に園内へと続く階段が見える。 階段を上がってすぐ右手にある「壁の泉

          上野公園史跡巡り|西郷隆盛銅像と彰義隊戦死之碑

          教科書的な時代区分「明治・大正・昭和」時代と分けるのは正しいのか

          歴史の教科書には必ず年表というものがあり、それぞれの時代ごとに名称が当てはめられている。そうして私たちは歴史の授業で「鎌倉時代は武家政権が誕生して」とか、「室町時代は足利尊氏が京都に幕府を開いてはじまって」などと教わってきた。 鎌倉時代といえば鎌倉幕府が支配した時代を意味するとわかるし、室町幕府は足利政権、江戸時代は徳川政権の時代とわかる。統一政権が存在せず地方の領主が覇権を争った状態を戦国時代とするのもわかりやすい。時代の名称は、それぞれの時代性を表現するとともに、歴史を

          教科書的な時代区分「明治・大正・昭和」時代と分けるのは正しいのか

          福沢諭吉『学問のすゝめ』「学問は国防だ!」

          福沢諭吉『学問のすゝめ』は、広く国民が学問を修めることの大切さを説いた民衆啓発の本だ。 と言っても、福沢諭吉はただ国民が賢くなればいいと思っていたわけじゃない。 福沢諭吉の目的は、日本の学力を高めて「国を強く」することにあった。 国の教育水準が高くなれば、高度な人材が数多く輩出され、経済や科学技術を伸ばす力の原動力となる。 経済力と技術力はまさに国力の基盤であり、他国からの侵略を跳ね返す防波堤になるという考え方だ。 現実の世界を見渡しても、欧米列強に支配された国はみ

          福沢諭吉『学問のすゝめ』「学問は国防だ!」