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歴史は「何でこうなった」を探る旅だ

歴史は「何でこうなった」を探る旅である。「何でこうなった」の答えが歴史にはある。

日本は何でこうなったのか。日本の歴史が教えてくれる。日本の経済は何で今こうなっているのか。経済の低迷がはじまってから今に至るまでの政治や財政の歴史が教えてくれる。日本人の清潔感や礼儀正しさは何でこうも世界から称賛されるのか。日本独自の宗教観やケガレ思想、武士道といった価値観の歴史が教えてくれる。

最近、都知事選挙があった。日本は民主主義のくせしてどうしてこうも政治に無関心なのか、投票に行く人が少ないのか、気にする人は多いだろう。これを知りたければ、我が国の民主主義の歴史に目を向けてみるといい。どんなふうに民主主義がはじまったのかを見てみるといい。

そもそも民主主義とは、「民が主役」のことを言う。政治のいろいろなことは民が中心になって決めるという話だ。むかしは民に決める権利などなく、特権階級の人たちがすべてを決定していた。日本でいえば武士と呼ばれる人たちだ。そのトップが徳川のお殿様だ。これはヨーロッパも同じで王様や貴族たちが実権を握っていた。日本とヨーロッパで違うのは、政治を決めるいろいろな権利がどのようにして民に渡ったか、そのプロセスだ。

日本では民が自分たちでその権利を獲得していない。江戸時代は武士と呼ばれる人たちが民主主義の仕組みやルールをつくり、政治に参加する権利を民に与えた。受け身の譲渡である。民は言われるまま権利を頂戴しただけに過ぎない。何だかよく知らないが使えるものはありがたく頂戴し、使わせていただこう、そんな程度でスタートしたものだから、それが何を意味し、どれだけ重要なことか、骨身にしみてわかっていない。

これがイギリスやフランス、アメリカなどになるとまるで様相が違う。むちゃくちゃにいじめる王様に民が怒り狂い、暴れて、力づくで権利を奪い取ったのだ。王様は民に殺された。イギリスでもフランスでも残酷な方法で処刑され、生首を公衆の面前でさらされたのだ。これほど強烈な処女体験があるものだからエライのは俺たち民だ、何でも決めさせろ、という意識も強く育つ。政治の権利に対する思い入れようも半端ない。

自分たちで主体的に動いて権利を勝ち取ったか、受け身でいただいたものか、この違いを無視してよいはずがない。始まりがどのようなものだったかで結果も決まる。この重要性に目を向け、今の教訓や課題解決のヒントにする作業が、歴史に学ぶということだ。

歴史といえばどうしても過去の話、古い話だと思いがちだけど、いやいやぜんぜん現在にも関係ある話なのだ。


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