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歴史×現代

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生き方や人間関係、コミュニケーションなど、現代人が抱える悩みや課題に対応するヒントを歴史から探るコラム。方法論ではなく、考える場の提供。
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記事一覧

自分を生きるために必要な“鈍感力”~感情に左右されなかった福沢諭吉の性根に学ぶ~

自分を生きる。 これって、当たり前にできそうで、実はなかなかできないことかもしれません。…

「こうありたい自分」をつくる「守りたいもの」~渋沢栄一の選択にみる自分軸の大切さ…

「自分はどんな人間でありたいか」と問われたら、どんなふうに答えますか? 「ありのままの自…

福沢諭吉『学問のすゝめ』「信に偽りあり、疑いに真理あり」について考える

福沢諭吉の『学問のすゝめ』に、こんなおもしろい言葉があります。 訳すると「信じているもの…

福沢諭吉『学問のすゝめ』に見る「伝える」ことの大切さと「変わる」ことの難しさ

福沢諭吉が明治初期に発表した『学問のすゝめ』。 「天は人の上に人をつくらず、人の下に人を…

歴史の情報に流されず

もうすぐ8月15日がやってくる。この日はいわゆる終戦記念日。全国各地で戦没者を追悼する慰霊…

情報と日本人。情報戦において日本人に足りないものと先んじているもの

日本はアメリカと戦う以前に、情報戦に敗れていました。その結果、日米戦争にも敗れました。 …

会議と日本人。「日本の戦争のはじまりも終わりも、指導者の決断じゃなく会議で決まった」ことの意味するもの

日本人の会議ベタは有名だ。 「無駄が多い」「長すぎる」「結論がない」「発言しない」などと散々に言われるが、一番の問題点は「引っ張っていくタイプの人間が、日本には少ない」からと言えないか。 会議はいつも平穏にまとまるとは限らない。いろんな人が集まって知恵や意見を出し合う場だから、議論が紛糾して収拾がつかない場合もあるだろう。結論を出さなければ前進もないので、やや強引であっても、どこかでまとめ役の人がビシッと決断する必要がある。こんな会議のまとめ役はだいたい嫌われやすい。日本

近現代史「木を見て森を見ない」のススメ

「木を見て森を見ない」は本来、悪い意味で使われる。視野が狭くなっては細部しか見えず全体ま…

十七条憲法をやさしめの文調にして要約したら、社会の座右の銘になった

我が国は、聖徳太子の時代にはじめて「憲法」を持った。 「十七条の憲法」である。これを憲法…

「歴史を学ぶ」ではなく、「歴史に学ぶ」で

私はよく「歴史に学んだほうがいい」と言っている。細かいようだけど、「歴史を学ぶ」ではない…

比べるべきは他人ではなく自分と言いますね/それを「日本」に対してもやったらどうで…

比較すべきは周りの他人ではなく、過去の自分。 現代社会を幸せに生きるための処方箋的な意味…

歴史は知的資産。神話だって利活用できる

歴史は学べることが多い学問で、かつ娯楽だと思うのですが、「それ知って何になるの?」とか「…

「仁徳天皇の皇后・磐之姫の嫉妬深さ」は古代のマイノリティ問題か

仁徳天皇は民思いの為政者でした。人家のかまどから炊煙が立ち昇らない様子を見て民の困窮を憂…

戦国時代がいちばん人気の理由を考えたら、人は何がいちばん面白いのかという結論に至った

日本史のいちばん人気は戦国時代。これに異論をさしはさむ人はまずいないだろう。 なぜ戦国時代がいちばんおもしろくて人気があるのか、これも分かり切っている。争っているからだ。好き嫌いは別として、人は誰かと誰かの争いに異常な興味を覚えるものだ。戦国時代はこの争いの要素がいちばん多くて楽しめる。いろんな濃いキャラクターの人物が群雄割拠して、その様相に華があり、スケール感も加わるから、男女年代区別なく多くの人が魅せられている。 ではなぜ「争い」に惹かれるのだろうか。それは、争いの先