見出し画像

比べるべきは他人ではなく自分と言いますね/それを「日本」に対してもやったらどうでしょうか?/つまり歴史を知るということです

比較すべきは周りの他人ではなく、過去の自分。

現代社会を幸せに生きるための処方箋的な意味合いで、このような言葉を耳にします。

個人的には合理的でまっとうな考え方だろうと思います。

その考えを、個人だけでなく国家にも援用してみてはどうだろう? というのが、今回の記事のテーマです。

日本人は口を開けば海外の国々と自分たちの国を比較したがります。

「自分もそれやっている」と心当たりある人は多いかもしれません。

大抵は、「日本は何でこうもだらしがないんだ、世界をもっと見習え」的な論調です。

もう、無意識に、オートマティックに言う人はたぶん多くて、SNSのコメントから居酒屋談義、メディアの記事まで、本当にいろんなところでそのような類いの論調に接します。

「海外では」「欧米では」を口癖にする人たちは昔から一定数いて「出羽守」なんて揶揄されてきましたが、彼らは彼らなりに日本の将来を憂え、日本をもっと立派な国にしたくて発言しているのだと思われます。

どうして他国はできて日本はできないのだと、じれったくなる気持ちはよくわかります。私だって、「何でよその国では簡単にやっている憲法改正ができず、世界で当たり前のように存在するスパイ防止法も我が国だけどうしてつくれないのだ」と歯がゆい思いにかられまくりです。

が、歴史を振り返ってみれば、日本は古代から海外に目を向ける意識が強く、範となる国を見つけてはその文化や技術を積極的に模倣し、近づけ追い越せの精神で国の発展をめざしてきました。

出羽守さんたちに言いたいのは、日本という国はあなたたちよりはるかに出羽守の先輩なんですよ、ということです。

だから、あなたたちがさんざん指摘する「ちょっとイケていない今のジャパン」は、海外の国々をさんざん真似し、その背中を必死に追いかけてきた結果の一部だということも、見ておいたほうがいい。

もちろん比較してみることで評価がクリアになるテーマもあるからケースバイケースなのですが、日本特有の事情や歴史的な背景を無視してむやみやたらに比較するのは「比較のための比較」の感が強く、そこに大きな意義を感じません。

いくらオシャレな服でもサイズが合わなければ着用できないのと同じで、大事なのは日本の身の丈に合うかどうか。本来ここを主軸に考えるべきではないでしょうか。

その日本の身の丈とはどんなものか、これを知る手がかりになるのが日本の歴史です。

日本人はどんな場面で失敗をしてきたか、どこで間違えやすくなるのか、あるいは、どんな方法で危難を乗り越えてきたか。

歴史は勝利の法則、失敗の法則が学べる宝庫といっても過言ではありません。こんな魅力ある教材を活かさないなんてもったいないと思いませんか?

ちなみに日本の中学高校の歴史科目って「必須」ではなく「選択」なんですよね。学ぶか学ばないか好きにしろ、となっています。一方で英語は必須科目。これも何だかよくわかりません。

若者の政治離れ、政治の無関心がよく言われますが、そもそも自分の生まれた国がどんな国で、他の国とどんな違いがあるのかわからないから、国造りもどう考えていいかわからず、途方に暮れてしまうのではないでしょうか。

「日本人」とカテゴライズされることに忌避を感じる人もいますが、民族が受け継いできた逃れられないDNA的特性というのは確かにあります。それは非常に厄介で大変に根深いものです。

維新三傑の一人に列せられる木戸孝允は、欧米諸国に倣って近代国家の国造りに猛進する伊藤博文ら首脳の基本方針に、深い危惧を持っていました。伊藤らが進める欧化政策は、花や実だけを美しいといって日本にも同じ植物を植栽しようとする浅はかさで、土地の風土や気候を無視して同じ植物が同じようには育たない、と喝破したのです。

欧米の文化や思想に傾倒したのは政府だけではありません。軍部、特に陸軍のドイツ信奉には甚だしいものがありました。ドイツをお手本にして軍備の近代化を成し遂げたまではよかったものの、ドイツ盲進が行き過ぎて最後はナチスのファシズム的体質までコピーしてしまい、その結果日本を破局へと追いやりました。ナチスと運命を共にできればどうなっても構わないと言わんばかりの錯乱ぶりでした。日本人はこの痛恨の歴史を忘れたわけじゃあるまい。

しかし、「見たくないものには蓋をしたがる」我が国民性のせいか、反省の色も見せず、戦後は信仰の対象をドイツからアメリカに鞍替えし、相も変わらずの欧米密着が継続されています。他国に習ってよくなる部分ももちろんありますが、根っこに「日本」がない国造りではいつまでもぐらぐらと不安定な状態が続くだけではないでしょうか。

出羽守さんの表現を借りるなら、「自国の文化や慣習を無視し、他国の真似をすれば国はよくなると考えるのは世界で日本だけ」なのです。















この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?