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「仁徳天皇の皇后・磐之姫の嫉妬深さ」は古代のマイノリティ問題か

仁徳天皇は民思いの為政者でした。人家のかまどから炊煙が立ち昇らない様子を見て民の困窮を憂い、三年間税と使役の免除を言い渡した「かまどの煙」エピソードは、国のトップが民とどう向き合うべきか、そのお手本を示してくれます。

そんな国家の運営に抜かりのなかった聖君も、家庭のかじ取りだけは楽ではなかったようです。

なぜかと言えば、皇后の磐之姫がとても嫉妬深い女性だったから。

天皇はお気に入りの娘を后として宮中に入れたいと願っても、ことごとく皇后の反対にあい、なかなか自由にさせてもらえませんでした。

一夫多妻制の時代の話ですので、宮中にたくさんの女官を召し抱え、夫人や妃にすることは、天皇にとって何のわけもないことです。

それが、磐之姫が「嫉妬深い」女性だったせいで我慢しなければならなかった。天皇は他の夫人や妃と話すときも気を使ったみたいです。磐之姫は絶対権力者の天皇をビビらせるほどの恐妻でした。

古事記・日本書紀には、磐之姫が夫の色恋に嫉妬狂うエピソードが生々しく描かれています。そこからは、気性が激しく愛情深い皇后の人物像が浮かび上がってきて、もうかまどの煙の美談どこいったというくらいの強烈さです。

天皇もさるもの、こうも厄介な妻を持ちながら別の女性との交際や結婚を重ねたと言いますから、どっちも一筋縄じゃいかないのですが、仁徳天皇が磐之姫の不在をいいことに、ある意中の女性と結婚したときは、修復困難と思えるくらい、夫婦の関係に大きな亀裂が入りました。

夫の裏切り行為を出先で知った皇后は激怒し、我を忘れて出奔、都を離れて諸国を転々としました。前代未聞の皇后の家出に天皇は焦せり、居場所を突きとめて使者を差し向け、何度も心情をつづった歌を送りつけました。どうか機嫌を直して戻ってきてほしい。歌を詠む姿は澄ましているようでいながら、実は泡食っていたのが想像されます。

天皇の磐之姫に対する愛情だって、意外と深かったのではないでしょうか。

これほど天皇の女性関係に口を挟み、感情をむき出しにして抵抗を示す皇后は、磐之姫以外にいないといっていいでしょう。それくらいその存在感は異色を放っています。当時は彼女のような行動に出る皇后はいなかったでしょうし、だからこそ過激で突出しているような印象です。

「嫉妬深い女性」の代名詞になった磐之姫ですが、今の時代だったらむしろこのような態度は当然で、手あたり次第他の女性に手をつける夫を野放しにする妻のほうが違和感ありまくりといったところでしょう。

古代にマイノリティなる概念があれば、磐之姫は間違いなくその部類の女性でした。それは夫である仁徳天皇も同じです。

多重婚なんて他の天皇もやっていることを、仁徳天皇はただ踏襲しているだけです。何も悪いことじゃなかったし、本人も悪い意識などなかったでしょう。なのに、なんで自分だけ邪魔をされなければならないのか、なんで自分の妻だけこんな嫉妬深いのか、納得できず愚痴のひとつもこぼしたかったはず。何だか苦笑いしている姿が目に浮かびます。

怒った磐之姫を一生懸命なだめたり、家出されて慌てふためいたり、その姿からはどうしても磐之姫を嫌いだったとは思えなし、むしろ結婚相手の中では一番愛していたんじゃないでしょうか。もちろん今の時代とその当時の「愛」は形も意味も異なりますので、それを踏まえての考察です。

磐之姫のように、「普通と違う」ことで色物扱いされた人って、いつの時代もいたでしょうし、歴史の影に埋もれた名もない人の中にはそんな例がたくさんあるんだろうな、と想像されます。時代や社会は変われど、人間は本質的には何も変わらない。風景の色が変わってそれにちょっと染まる程度のことでしょう。

ちなみに、仁徳天皇と磐之姫から生まれた三人の皇子はすべて天皇になっていて、これも珍しい例だし、何だかおもしろい。やっぱりふたりは愛し合っていたことにしよう。想像する自由もまた歴史の醍醐味です。








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