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王政復古の意味するところ

日本が近代化するプロセスで起きた変革が「王政復古」だ。

武家(徳川幕府)に集中されていた政治のあらゆる実権を朝廷(天皇)に返上し、天皇を日本国の統治者とする体にして封建体制を終わらせたのだ。

巨大な幕府とそれがもたらす古い封建的なシステムを終わらせるには、反幕府勢力が一つにまとまる必要があった。その運動の求心力になったのが「天皇」だ。この運動の結果「王政復古」となり、天皇が徳川将軍に代わって日本を統治する立場になったのだ。

しかしよく考えてみれば奇妙な話である。まったく新しい国家の体制、つまりは近代化を目指すと言いながら、武家支配より前の天皇統治の時代に戻すというわけだから、バックの状態で前方へアクセルをふかすようなものじゃないか。

この違和感は、日本が近代化のお手本とした欧米のそれと比べればより明確になる。なぜなら欧米の近代化は「王政廃止」にはじまり、日本とは真逆だからだ。

欧米における王政廃止のハシリは、イングランド王国で起きたピューリタン(清教徒)革命だろう。オリバー・クロムウェル率いるプロテスタントの過激派が時の国王チャールズ1世の軍を破り、王様を処刑、平民クロムウェルが統治者となったのが1650年ごろだ。この後クロムウェル一派が粛清されて再び王政に戻ったけど、国王の求心力を弱める一助になったのは間違いない。この約130年後にアメリカで独立革命、その約10年後にフランス革命が起きた。いずれも国王が座っていた統治者の地位に身分も階級もない一介の民が就くという革命だ。もう国王の言いなりにはならないぞと反逆を起こしたのだ。フランス革命にいたっては王様と王妃がギロチンで首をちょん切った。その模様をみて群衆は歓喜した。熱狂した。酔いしれた。日本民族には一かけらもないメンタリティだ。

日本は、自分たちの発想では及びもつかない「王政廃止」の精神を持つ欧米をお手本に近代化を進めたものだから、その矛盾にたいそう苦しんだ。改革をいくら叫んでも中身をともなわずうわべだけのものとなる。ごまかしが多くなる。その象徴が大日本帝国憲法だ。立憲と君主の関係をどう調和させるかに苦心し、イギリスの「君臨すれども統治せず」を真似て何とかしのいだのはいいけど、憲法自体はドイツ製だから、やはり無理が生じる。憲法は国家の基本であり、どこかの国をお手本にすること自体間違ってやしないか。

日本の近代化は王政復古からはじまった。近代化のお手本にした欧米は王政廃止からはじまった。このはなはだしい矛盾と無理はどうやって腹に落とし込めばよいのか。日本人お得意の「見て見ぬ振り」でごまかしつづければよいのか。王政復古が良いか悪いかという話ではなく、その言葉にどんな意味が隠されているのか、立ち止まって考えなおし、検証するということをもう少し真剣にやったほうがいいと思う。王政復古は一例に過ぎない。



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