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西郷さんが生きていたらなあ

伊藤博文の本を読みながら、なぜか西郷隆盛の顔が浮かんだ。

新国家建設に向かって、伊藤博文がはつらつと躍動した時期に、西郷隆盛が生きていれば、歴史はきっと変わっていたに違いない。

そんな夢想に駆り立てる力が、西郷隆盛という人物にはある。

伊藤博文の能力の高さについては論を待たない。維新に功のある多くの閣僚がしがみついた藩閥意識と距離を置き、憲法制定や条約改正といった国家の重要課題にまっすぐ取り組んだ姿も希有といっていい。

そう、伊藤は希有の政治家だった。これはつまり孤高の存在であり、目標意識を共有できる同志も、リードしてくれる先達も少なかったことを意味する。大きな国家的課題に向かって邁進するにも一人でその重責を背負い、多大な苦労と心労を抱え込みながらの奮闘になった。

だからこそ、ここに「無私の大人物」西郷隆盛がいなかったのはかえすがえすも残念に思うのである。

西郷隆盛は西南戦争で散った。西郷を慕う薩摩士族らとともに反乱軍を組織し、腐敗した明治政府軍を倒すべく戦った結果、潰されたのだ。維新三傑と謳われた西郷がなぜ兵を挙なければならなかったのか。それは一身を賭してつくりあげた新国家が理想とはまるで違う方角に向かって進んでいたからだ。「維新はやり直さねばならぬ」参議を辞した西郷が郷里の野に遊びながらぽろっともらした言葉である。

へそを曲げなければ旨味のある生活を享受できたにもかかわらず、権力の座を蹴ってとっとと田舎に引っ込んだ西郷隆盛。間違いなく変人である。こんな頓狂な行動に奔ることができたのも、「金もいらず名もいらず地位もいらず」不器用だけとまっすぐ高潔な人物だったからだ。国のトップに立つ人の理想の姿がここにないか。

伊藤博文も間違いなくひとかどの人物だ。が、国のトップにふさわしい規格を備えた人物がたった一人では心許ない。だからこそ、西郷さんがいてくれたらなあ、と、嘆かずにはいられないのである。


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