「こうありたい自分」をつくる「守りたいもの」~渋沢栄一の選択にみる自分軸の大切さ~

自分はどんな人間でありたいか」と問われたら、どんなふうに答えますか?

「ありのままの自分でありたい」「自分を好きな自分でありたい」「ポジティブな人間でありたい」「後輩たちに尊敬される人間でありたい」「いつも楽しんでいる人間でありたい」「はっきり自己主張をできる人間でありたい」「自分だけじゃなく他人や世の中のために役立てるような存在になりたい」「もっと自分を好きになれる人間でありたい」……

おそらく、こんな答えになることが多いような気がします。

今の時代は。

特に意識したわけじゃなく、「自分らしさ」を大切にしたり、「本当の自分」を追い求めて自己に磨きをかける人は今の時代多い印象がどこかにあり、気がつけばこのような内容になっていました。

もちろん、僕自身も自分らしさを大切にしたいと強く思う一人。

この「どんな人間でありたいか」をつくるものについてですが、これって結局は「何を守りたいか」で決まってくると思うんですよね。

そして、この「何を守りたいか」と問われて返ってくる答えには時代性があり、変転していくもので、生きる時代の価値観や思潮の影響を免れない。

先ほどの回答例も、今の時代の空気感だと自分を大事にしていきていきたい人が多いだろうと無意識に感じるところがあり、その情報がアウトプットされての結果です。

一昔前だったら、この「守りたいもの」を、自己に内在するものとして、「信念」や「美学」、「人生観」「ポリシー」などと言い表していたと思いますが、今の時代の空気感に合わせるなら「自分軸」などと表現するほうがしっくりくるかもしれませんね。

ただし、歴史上の人物には、己に内在する強い信念や美学を人生の大きな基盤に持っていた人たちが多いんですよね。

例えば、来年から一万円札の顔になる渋沢栄一は、安定や豊かさがあるのにそれを選ばず、かつて仕えた主君への忠義を貫き通すため、質素で細々とした田舎暮らしを選択したことがありました。

渋沢栄一にとって、「主君への忠義」が守りたいものだったわけですね。

まさに、この時代特有の価値観といっていいでしょう。

念のため断っておきますが、このような価値観を良いとも悪いとも言うつもりはなく、あくまで明治の人物である渋沢栄一の例として紹介しています。「守りたいもの」が自分という人間や生き方を決める指針になるということを言いたいつもりです。

渋沢栄一がフランス留学から帰国したとき、幕府は崩壊し、新しい政府による国家運営がはじまっていました。徳川幕府という大きな所帯はすでに存在しないわけですから、幕臣と呼ばれる人たちはみな失業状態です。一橋家(最後の将軍徳川慶喜が当主だった)の家臣であった渋沢栄一も例外ではなく、それまでの身分と立場を失うことになりました。

とはいえ、新しく樹立したばかりの政府はよちよち歩きの赤ん坊も同然、外交や経済、軍事など国家運営の中枢に関わる実務にいきなり携われる人材はそう多くありません。これにはやはり、今まで日本の舵取りを担ってきた旧幕臣たちの力に頼るしかなく、多くの者が新政府の役人として雇われ、主に実務面を任されることになりました。

渋沢栄一は目の前に安定と豊かさを保証する役人の道が開けていたにもかかわらず、かつて仕えた徳川慶喜に寄り添うため、旧君の住む駿河(静岡)への移住を決断します。渋沢が選んだのは、東京での華やかな役人生活ではなく、田舎で細々と農業をして暮らす道でした。

目下羽振りのよい当路の人々に従って新政府の役人になることを求むるのも心に恥ずるところであるから、たとえ当初の素志ではないにもせよ、一旦に全君公の恩遇を受けたに相違いないから、いっそ駿河にいって一生を送ることにしよう、また駿河へいってみたらなんぞ仕事があるかもしれぬ、もしなんにもすることがないとすれば農業をするまでのことだと、はじめて決心しました。

『渋沢栄一自伝』

渋沢栄一にとって、一度お世話になった人へ恩義を全うする生き方は、当時の流行にしたがい羽振りのよい役人生活を送るより大切なことで、守りたいものだったのだと思われます。

渋沢はその後、静岡藩から要請のあった勘定奉行の職を固辞したり、上司の井上馨の辞職と同時に大蔵省のポストを投げ捨てるなど、目先の利益や損得を度外視した選択をしばしばしています。いずれにも通底するのは、「お世話になった人への義理を重んじる」姿勢です。

渋沢栄一といえば『論語と算盤』も有名です。道徳なき商業の結果が生んだ拝金主義を是正する目的で書かれたこの書は、ビジネスの世界で生きていく者のバイブルとして現代でも多くの経営者や実業家の間で読み継がれています。算盤(商工業の世界)に論語(儒教的な道徳の価値観)のエッセンスを取り入れることで、強欲で無秩序な状態を生みやすい資本主義の毒を薄めることができます。商売する側も物を買う側も互いの立場を思いやる穏やかで調和のとれた世界を築けます。残された生涯を大恩ある慶喜公に捧げようとした渋沢ならではの発案と言えるでしょう。

「自分はどうありたいか」は、人生の究極の目標といえるかもしれません。たとえば仕事を選ぶ際、好きなことややりたいことについては考えますが、「この仕事をして、自分はどうありたいか(どうなりたいか)」についてまで考えている人はどれくらいいるでしょうか。その仕事を通してお金を稼ぐ、裕福になる、安定した生活を手に入れる、ステータスを手に入れるなど、外形的な目標は持ちやすいですが、魂の成長につながるのは、目には見えないけど自分の中に確かにある大切なものを貫き通していく生き方です。

僕の場合、いろんな職を経て今はやりたかった書く仕事に就けています。正直なところ、「その仕事をやってどんな自分でいたいか、どうありたいか」まではきちんと考えてきませんでした。でもそれは特別に意識することがなかっただけで、自分のなかで大事にしているもの、ゆずれないもの、守りたいものを考えたとき、うっすらとその像は浮かび上がってきます。おそらく多くの人の場合もそういうものなのではないでしょうか。

以上、「『守りたいもの』が『ありたい自分』をつくる」というお話でした。
































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