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【学問によって“女遊び”をやめた江戸の人々の話】


かつて伊藤仁斎(いとうじんさい)
という材木屋の息子がいたんです。

この人は材木屋の息子で、
学問が好きで独学で学びました。

それから京都で塾を開き
「月謝」で生計を立てたのです。

その月謝はどこから来たか?

=あらゆる階級です。

「農民、町人、公家」

もちろん「武士」もいます。

彼らはとても『学問』を面白がったのです。

当時、武士は結構貧乏していたんだけど、
町人は大変財産を持っている人が多かった。


そんな金持ちがなぜ
仁斎のもとにやってきたのか?


彼らは、もう、

・酒はやった
・女はやった

“ありとあらゆる遊びはやり尽くした”

しかし…。

、、、、

、、、、、

、、、、、、

『学問という遊びをした事がなかった』


のです。

そういう、彼らが仁斎のところにやって来ると

仁斎は酒を飲み、ご馳走を食いながら

、、、、、

、、、、、、、

、、、、、、、、

『論語』を講義したのです。

しかめつらしい学校じゃないんです。

今まで、女や酒で道楽した人々が

一旦学問というものを習って学んでみると、

“これほど面白いものはない!!”


とわかったと言い出したのです。

中には

これは女遊びの比じゃないと悟るものもいたくらいです。

だから

『月謝』をいくらでも支払ったのです。

享楽よりも、学問に価値があると
当時の富豪は判断したのです。

そして学んでみると、

段々と物が分かってくる。

例えば、

「人間はどうやって暮らすのが正しいのか?」
という事が分かってくる。

こんな嬉しい事はないと、もっと学ぼう。

当時の人はこんな心持ちを持っていたのです。


例えば、

「人生とはなんぞや!!」

なんて疑問が湧き起こったとしても、
黙っていたら誰も教えてくれないし、
学べる機会も少なかった。

誰も教えてくれないから

「心でふつふつと沸き起こるよね」

だから、

それを京都で伊藤仁斎って人が教えてくれるって
と知ったとしたら…??

「あ!昔の疑問がもしかしたら解決するかもしれない!」

って

千里なんて遠くないってくらいの思いで
学びにいくのです。

理由は

学びたい。もっと知りたい。
という「人間の本能」です。

ちなみに、
学問をしたいのが本能じゃ無くなったのは
現代くらいです。

今の時代はなんでも知る事ができる。

黙ってたって、情報は目の前を通り過ぎる。

だから学問への欲求が無くなっていくんだよね。


過去から学ぶことはいくらでもありますね。

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