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少子高齢化によって労働力が減っていく未来について今の我々が考えていくべき”ささやかな変化”

少子高齢化が叫ばれて久しい。しかしその影響を具体的な脅威として感じられている人々は、どれくらいいるだろうか。体感的には、あまり居ないように思える。少子高齢化を具体的な脅威として誰もが認識しているのであれば、恐らく少子高齢化は深刻な速度で進んでいないのでないか? そんな疑問を感じもする。

少子高齢化を深刻な社会課題と叫ぶ都道府県知事でさえ、現実には具体的な脅威として感じられていないのでないかと考えている。仮に具体的な脅威として感じているのであれば、現在のような国頼みの施策に甘んじてはいないだろう。また、表面的な対策を効果検証なしにただただ繰り返すようなことにもなっていない筈である。

例えば中心市街地に住民を集めていくなど、予見可能な未来を見据えてドメスティックな施策を打っているだろうし、地域に蔓延る低賃金や前時代的な労働環境に対しても見逃すようなことをせず、その改善を図るために手段を選ばずに手を尽くしている筈である。だが現実に、そうした動きは全くと言って良いほどに取られていない。

そもそもの話、自分ごととして少子高齢化を捉えるのは難しい。現在少子高齢化が進んだことで生じている悪影響もいくらか見られるものの、一人一人の人間にとって深刻に思えるほどの影響が出ているかというと、そうではない。『ちょっと不便になった』『思うような効果を得られなくなった』そんなぼんやりとした影響が出ているくらいだと思う。

だから余計に少子高齢化の深刻さを一人一人の人間が自分ごととして感じるのは難しい。とりわけ少子高齢化の少子化側を食い止められる立場にある若年層は、人口ボーナスによって得られた果実を知らない。生まれてから世の中はずっと不便で、ずっと問題を抱えていて、だからこそ少子高齢化の問題と言われても、それが少子高齢化によるものと感じるのが難しい。

一方で、社会は少子高齢化によって確実に弱ってきていて、我々の未来は着実に暗いものになっていっている。とくにちょっと先の未来を指し示す数字は、我々の生きる未来が暗澹たるものになると示唆に富んでいる。たとえば、つい最近Xで話題になっていた投稿が顕著であろう。

人口動態は、余程の事象が発生しなければそう急激には変わらない。だからちょっと先の未来は概ね予想がつくようになっている。また、ちょっと先の未来でなく、現在の状況ならば、当然ながら国が公開している資料を読めば概ね把握できる。上記2ツイートは、全社が今後30年の危惧を、後者が現在の深刻な状況を伝えている。

どちらも労働力について伝えているが、実際のところ少子高齢化が最も直接的に影響を与えるのは労働力に対してである。何せ、働く人々がいなくなれば、我々が生活する上で必要としている様々なものが提供されなくなるのである。原始時代に戻るとまでは言わないまでも、今当たり前のように得られているサービスや物品を得られなくなる可能性は高い。

『AIが労働力の問題を解決してくれる』なんて楽観的な話をする人々もいるが、そのAIが動くためのインフラをAIが支えられるようになるまでに、一体どらくらいの時間が必要だろうか。そのインフラを構築するための資源を獲得できるようになるまでには……など、とてもではないが楽観視できる状況にないのは、少し考えられる人々ならば誰でも理解できる筈である。

上記のツイートで取り上げている高齢社会白書(令和6年版)の原本は上記である。詳細は上記ウェブサイトからPDFをダウンロードして確認して欲しい。読むのが面倒くさいという人は、NotebookMLを活用すれば、必要な情報のみを容易に得られる。もっとも見出しだけ読んでも、我々の生活している現代の社会がどれだけ危機に瀕しているかは想像できる。

資料によれば、40年少し後には、2.6人に1人が65歳以上になるそうである。その時代の65歳が果たして高齢者と呼べる存在なのか定かでないが、260人の会社があったとして、その内の100人が65歳以上になっているような状況を考えると空恐ろしいものがある。

労働が現在とそう変わらない内容であると間違いなく会社は機能不全を起こしているだろうし、以て社会は現代のような利便性を保持できなくなっているだろう。40年も経っていれば、それなりの技術革新が起こっていると思われるが、技術が何かもを解決してくれないのは真理であり、そう都合良くは行っていないと考える方が好ましい。

だからこそ、現代の我々は来るべき未来を見据えて働き方を考え直す必要があろうし、社会の在り方についても考え直す必要がある。昨今、シルバー民主主義などと高齢者中心の社会構造が非難されがちであり、そこにはある程度の合理性も見て取れるが、我々も老いるのである。そして我々が老いる頃には、現代よりも厳しい社会が待っている。

だから老いた我々を待ち受ける未来を想定しながら、ほんのささやかなことであれ、社会の意識を変化させていく必要がある。レジで働く人々が座って働ける環境作りが一例である。これはとてもささやかな変化であるが、老いた身で楽に働けるようになる良い未来を創る変化に違いない。こうした僅かな変化を重ねた先に、老いて尚、幾らか楽になる未来が創られる。

もっとも我々が老いる頃にはレジ打ちの仕事はなくなっていると思うが。さりとて、このような働く人間を楽にするための社会変化を一つ一つ創っていくのが重要なのは間違いない。すべてを高齢者ファーストにする必要はないが、高齢者であっても様々なことをやりやすく社会にしていく必要はある。それが我々の未来を少しずつ明るくしていくに違いない。


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