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便利な時代で“わざわざ”をする

私はしばしば効率厨だ。日用品はほぼネットショッピングの定期購入で済ませるし、現金もほぼ使わないし、IoT家電を取り入れて家事を効率化するのが趣味だ。
だが、こんな時代に“わざわざ”していることがある。
それは、好きにお金を払うことだ。

好きなものがある。とある作家の小説、静かで人がいない喫茶店、漫画、アニメ、映画、本屋、ガラス作家さんの作品、とあるミュージシャン、ラジオ番組、、、他にもいっぱい。

私には、生きてる意味みたいな大それたものはない。確実に、痛くないように、苦しくないように死ねる方法を知らないだけで、積極的に生きてるとは言えない。生きる理由なんてない。あるとすれば、あの漫画の続きが読みたい、あの喫茶店のコーヒーを飲みたい、あの人の新曲を聞きたい、、、そんなところだ。
私の好きなものたちが、私の寿命を少し伸ばしている。

当然ながらこれらは、喫茶店の店主やクリエイターさんが活動を続けてくれているから、楽しめている。好きなものに続きがあるのは、大変ありがたいことだ。
直接彼らにコメントを書いてありがとうってする胆力は私にはないが、せめて対価としてのお金は払いたい。

私は人の少ない喫茶店が好きだ、だが当然そういうお店はお客さんが来ないので潰れていく。また行こう、いつか行こうと思って気づいたら閉業していたなんて経験は数え切れない。
だから、ここは続いて欲しいと思うお店にはなるべく行くようにしている。

漫画もそう。つい友達に借りて読もうとか思ってしまうけど、好きな作品は必ず正規のルートで原作者にお金が入るように購入している。主にKindleだが。

小説もそう。私は図書館狂いで無料で沢山本を読むけど、好きな作家さんの本は本屋さんで買っている。作家さんにお金が入るように。

本屋さんもそう。さっき漫画はKindleで買ってると言ったばかりだが、こればかりでは私の好きな本屋さんが儲からない。現に本屋ってどんどん減っている。本屋で本をみてこれはKindleかAmazonで買お〜なんてやるの、本当に良くない。本との出会いがあったら、出会わせてくれた本屋で買うのが私なりの筋だ。

本屋の中でも特に、店主の主観が反映されている小さい本屋さんが好きだ。旅行の本だけ置いてある本屋さん、店主の好きな詩集が置いてある本屋さん、普通の大きな本屋では扱っていないニッチな出版社の本を揃えている本屋さん、、、個性が尖っているほどよい。見るだけでも楽しいのだけど、気になった本はなるべくそこで買うようにしている。こういう本屋、無くならないでほしい。

古本屋さんも好きだ。普通の本屋では出会えないような本に出会えるし、これ探してたのー!って本が見つかったりする。揃えたいと思ってた本が見つかると買ってしまう。安いし。
ただ古本屋での購入は、原作者には1円も入らない。だから古本屋での購入にはマイルールがある。
①一度本屋やKindle等で購入し、原作者にお金を払ったことのある本。②絶版の本。③普通の本屋では出会わない&買わないような出会いをした本。
ざっくりこんな感じ。原作者にお金も入れたいけど、古本屋もなくなってほしくない。歯がゆい中で妥協した私のルールだ。

そんな感じで、こちらのお財布事情的に大それた貢献はできないが、好きなコンテンツを提供してくれる方にきちんとお金がはいることを意識している。

オンラインショップって本当に便利だ。店舗に行って買ってくる手間がない。大変合理的だ。

こんな便利な時代だからこそ、わざわざ本屋で本を買って帰る体験は、よりわくわくを感じられる。
普段乗らない電車を使って、わざわざ好きなカフェのためだけに出かけるのも、どこでもそこそこおいしいコーヒーが飲める時代だからこそ、好きでこのカフェを選んでると感じられる。
CDの購入も、サブスクで聞ける時代だからこそ、わざわざ買うことにちょっと得意な気持ちになる。

便利な時代だからこそ、わざわざ好きな物にお金を払ってる感を得られる行為がより楽しい。あえてやってます感、ひねくれ者の私にはたまらない趣味、最高。

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