とっておきの京都手帖9 明日は還幸祭
<大暑/ 新生大船鉾>
「ホイット!ホイット!」について、昨年の京都新聞8月30日付で、とても分かりやすく紹介されていた。
思わず感嘆の声が漏れた。
河北健太郎さん、中西英明さんの取材によるものだった。
その最後にはこうあった。
民俗学について詳しい京都文化博物館の橋本章主任学芸員(当時)の言葉より、“「『何を見せるか』という意識の下で、音頭取りの動きも含めてかけ声が決まっていったのではないか」とする“と。
かつての御旅所
現在、神輿渡御が行われる四条御旅所。
実は、大政所御旅所と、少将井御旅所の2か所があった。
1591年、豊臣秀吉の命により、今の四条御旅所となった。
天正の地割の影響だ。
豊臣秀吉の時代から400年以上経つというのに、今でも京都の町の区画にはその名残がある。
大政所御旅所は、現在、仏光寺通と烏丸通が交差した東側、少し下がったところに小さな祠として残っている。
町名としても、「大政所町」としてある。
ここは、秀吉の地割政策より以前、1536年に天文法華の乱で消失している。
遡って、もともとこの場所に御旅所が造られたのは、円融天皇の時代だ。
「光る君へ」の詮子様、吉田羊さん演じる女院様が入内した天皇だ。
現在放送中の「光る君へ」においても、一条天皇時代にも自然災害に見舞われている様子が描かれているが、祇園祭が始まった869年当時も、疫病が流行り、また富士山の噴火があったため、かなり混乱の世が続いていた。
気象庁の公式サイトによると、781年(奈良時代後期頃)〜1083年(平安時代中期頃)の間に、噴火と思われる記録も含めると12回観測されていたようだ。
中でも祇園祭が始まる5年ほど前の864年の噴火は、大規模噴火と記録されていた。
当時の、神事に力を入れなければならない時代背景がよく見える。
大政所御旅所は、かつての神輿渡御の際には、素戔嗚尊の神輿と、八柱御子神(八柱御子命ともいう)の神輿が鎮座した御旅所だ。
そして、もう一つの御旅所は、烏丸竹屋町にあった。
少将井御旅所だ。
今も少将井御旅町と、少将井町として、名前も残っている。
この御旅所には、櫛稲田姫命の神輿が渡御していた。
京都新聞社の周りをぐるっと一本東側に回ると、京都新聞社と向かい合った場所に、西島家住宅(山茶花美術館)がある。その住宅の北側に石標が建てられている。
石標には「少将井舊跡」と刻まれている。
少将井町は京都新聞社のある場所だ。
少将井跡とされる京都新聞社北側にも、銅板が設置されている。
銅板にはこうある。
少将井跡
少将井は平安京の各所にあった名水の一つで、「枕草子」にも名井として挙げられている。
所在地は京都市中京区烏丸通竹屋町下ル少将井町付近とされる。
名前の由来はさだかでないが、歌人の少将井の尼が住んだためとの説もある。
平安時代以降、祇園社(八坂神社)の御旅所があり、現在の祇園祭にあたる祇園会御霊会で神輿が巡行した。疫病を免れるための霊水信仰に基づくとされ、神輿は井桁の石に安置したという。
祇園社の御旅所は桃山時代ごろ、四条新京極に統合された。少将井にはその後も社が置かれていたが、上京区・京都御苑内にある宗像神社の社伝によると、明治十年(一八七七年)、同神社に移された。
昭和四十七年(一九七二年)、京都新聞社が平安博物館(現・京都文化博物館)に依頼して発掘調査を実施した。平安時代の泉水は確認できなかったが、鎌倉時代から近代までの井戸跡が数多く見つかり、この地が良い水に恵まれ地域住民が利用していたことがあらためて確かめられた。
京都新聞社
(平成十八年四月 設置)
この近所に藤原実資が住んでいたらしく、実資にまつわる有名なエピソードもこの地で生まれた。
現在の神輿渡御が行われる、1か所となった御旅所、四条御旅所は四条通りの南側にある。
神幸祭で渡御した神輿は、北面して鎮座している。
その際の東御座、西御座の位置は、実際の方角とは反対に当たるのだが、これは八坂神社に祀られている状態の、南面している時の並び方のままだそうだ。
弁当打ち
素戔嗚尊を祀る「中御座」に奉仕する、三若神輿会の会所では、17日の神幸祭と24日の還幸祭の早朝から、「みこし弁当」が作られる。
炊き立てのご飯を型に詰めてから、勢いよく竹の皮に打ち付けるので、「弁当打ち」と呼ばれる。
見た目はシンプルなのだが、これが一番「うまい!」と思う昔ながらの日本の弁当だ。
ご飯の上に梅干しと黒胡麻、おこうこ(たくあん)が添えられている。
この猛暑に負けないよう、塩味もしっかり付いているらしい。
「これが、んまいんです☺️✌️」と松井京都市長。
Xによると、17日に食されていたようだ。
「弁当打ち」の様子を間近で見ているような写真が、京都新聞の「THE KYOTO」に掲載されている。
「THE KYOTO」は、京都新聞の文化に特化したサイトだ。
還幸祭に向けて、いよいよ!
白木の「たま」が光る。
祇園祭24日後祭の巡行の「しんがり(最後尾)」を務めるは、大船鉾だ。
10年前の2014年(平成26年)に、150年ぶりに復活。
今年は、初めて4輪の「たま」を新調した。
これまで菊水鉾が1953年(昭和28年)以来使用してきたものを譲り受け、使用していたという。
宮崎県や京都府綾部市等で入手した木材を、7年かけて乾燥させ、岐阜県高山の匠が3年かけて製作。
直径2.13mは、全山鉾の中で最大級になるそうだ。
大船鉾がある四条町は、かって南北に別れ、北四条町は鉾の舶先に「龍頭」を、南四条町は「大金幣」を飾っていた。
幕末の戦乱で焼失した「龍頭」が、滋賀の匠により再興された。
高さ約2メートル、重さ約220キロ。
14のパーツで組み上げ、巡行の際の衝撃にも耐えられるよう工夫されている。
丹山酒造さんとの出会い
17日、午前中の山鉾巡行を見、神幸祭まで束の間の涼を求めて御池ゼストへ足を運んだ時のこと。
北山さとさんの紹介で、また新しい出会いができた。
亀岡の丹山酒造5代目当主 長谷川渚さんだ。
彼女は、大船鉾の復活を心から喜び、今年新調された「たま」での巡行を、目を輝かせながら楽しみにしている一人だ。
第一印象は、とても清楚な方。
女性杜氏としてスタートした当時は、その存在はまだ全国的に珍しく、わずか4人ほどしかいなかったという。
昨年の朝ドラ「らんまん」の実家が酒造業を営んでいたことを思い出した。
時代は違えど、男性ばかりの、しかも体力勝負の世界に、女性が飛び込むことは容易ではなかったと思う。
読売新聞や産経新聞、日経BP等、新聞社やテレビでも取材を受けておられる様子も知っているだけに、笑顔で迎えてくださり、こちらも筋肉痛になるほどの笑顔になった。
京都で6店舗展開されている。
どの店舗も、その場所の持つ魅力を最前面に出していて面白い。
錦市場の中にある店舗は、「器土合爍」。
“きどあいらく“と読ませるのだろうか。
町家店舗の一角に工房と窯があり、陶芸家作品とお酒をコラボさせている。
また、今年2月にオープンした平等院表参道萬店は、丹山酒造初代萬次郎さんの「萬」の一文字をもらって付けたという。
今年の大河ドラマ「光る君へ」の放送が始まって間もなくのタイミングで、平等院表参道に店舗ができたのか…!(す、すごい‼︎)
これは、祇園祭の時代背景に歴史と伝統、進化をも感じつつ、藤原道長が別荘として建て、のちに息子の頼通が寺院に改めた平等院をじっくり見て回った後の、最高のひとときが待っているということではないか。
丹山酒造さんの商品には、女性が手に取りやすいパッケージや風味もあるが、力強いものもたくさんある。
そして、吹き出してしまいそうな「人生フルスイング」という商品もある。
純米吟醸のカップ酒で、キリッとした味わいは、気合を入れて頑張りたい時にもおすすめとされている。
「人生空振りや…」と落ち込みそうな時に、そっと寄り添い励ましてくれそうだ。
未来の祇園祭は
祇園祭について様々調べていると、記録として残されている古い写真に出会うこともある。
その時の観衆の姿は、普段着のように着こなす浴衣に、扇子や団扇。
今はどうだろう。
道すがらどこかでもらった団扇、手持ちもしくは首から扇風機、はたまたふわっと膨れ上がった容姿になる扇風機内蔵ベスト、そして必須アイテムはスマホ。
観衆の今昔だ。
この先、10年20年後、50年後100年後は…。
私は観衆であると同時に、祇園祭を毎年楽しみにしている一人として、見守りながら、心から応援したい。
各山鉾町の皆様も、神輿会の皆様も、携わる皆様全ての方が、どのように祇園祭を後世に伝え、後世の方は受け継がれ、京都の伝統行事としていくのか、悩まれていることもさぞ多かろうと思う。
外国人の方々が祇園祭の諸行事に参加されている姿を発見すると、微笑ましいし心強くもなる。
観衆の皆様も同じ思いだったのだろう、一生懸命な外国人の方々の姿に、惜しみない拍手が湧き起こる。
きっと、時代ごとに新しい祇園祭が、京都の夏を熱狂させるのだろう。
祇園祭の歴史と、伝統を受け継ぐ関係者の大情熱に触れるたび、noteの投稿にどれだけ言葉を尽くしても足りない。
祇園祭はもはや、携わる方々にとっては日常の中の7月を切り取ったものであると感じた。
7月に向けた準備、毎年この1ヶ月にかける思いを知れば知るほど奥が深い。
…自分のボキャブラリーの乏しさに、思わずため息が出る(「人生フルスイング」を飲む時だ)。
そんな私は、先日の日本経済新聞に掲載された、日本語学者 今野真二さんの「終わらない物語」に救われた。
あの大文豪、芥川龍之介でさえ、「羅生門」の終わりの表現に悩み、言葉を選び、書き換えたという。
あの大文豪、夏目漱石でさえ、朝日新聞に毎日連載していた「道草」の始まりと終わりの言葉に思い悩み、何度も原稿を書き換えたという。
大文豪を前に恐縮するが、とてもよく分かる。…気がする。
今や紙に綴るだけが物書きではないが、私でさえもnoteに投稿する文章を、何度加筆し削除し、読み返しては首を捻り、腕を組んで天井を仰いでいることか。
「はて?私に何が書けるのだろうか」
祇園祭の奥深さは、ペンをいくら走らせても走らせても、果てなき挑戦なのだ。
<参考> 八坂神社公式サイト
八坂神社
気象庁公式サイト
京都新聞公式サイト
京都新聞「THE KYOTO」公式サイト
京都新聞社北側壁面
丹山酒造公式サイト
<(c) 2024 文 白石方一 編集・撮影 北山さと 無断転載禁止>
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