富裕層しか大学に進学できない社会は、富裕層自滅の道
(「小泉進次郎氏「大学に行くのがすべてじゃない」」(https://news.yahoo.co.jp/articles/7e9f53e016c3ff2c319f209c67b429c4d2edb70d?source=sns&dv=pc&mid=other&date=20240917&ctg=dom&bt=tw_up)という記事を受けて)
大学に行きたくてもお金がないために学力があるのに進学できない、という問題をどうするか、というのが奨学金問題なのに、小泉氏は何ズレた返事をしているのだろう。庶民は大学に行かずに(カネで進学できた)富裕層の下働きをしろ、とでもいうのだろうか。
小泉氏は、お金のない庶民は稼げれば嬉しいんだろ、という考え方をしている気がする。しかし、大してお金にはならないけど研究者とか教育者とかの仕事をしたい、という若者は一定数いる。これらは大学進学が必要。なのにお金がないことを理由に若者から夢を奪うのか?という話。
人間には適性がある。たとえば、数学者になれるほどの数学のセンスというのは生まれつきの可能性があり、こうした特性は誰にでもあるものではない。わずかな確率でしか生まれないこうした才能をうまく引き上げる必要がある。そのためには、すそ野を広くとって才能ある若者を育てる必要がある。
なのに、お金がないことを理由にその道に進学することが不可能になることは、国家の損失になる。数学がてんでできない、しかも数学嫌いな富裕層の子弟を数学科に進ませたからって何の役にも立たない。それなら、数学好きで数学が得意で仕方ない貧困層の若者を進学させたほうがよい。
才能ある若者を発掘し、その才能を存分に活かせる場所を提供する、ということは、江戸時代でも(曲がりなりにも)行われてきたことだ。現代でも、奨学金を出すことでなんとか様々な才能の可能性を潰さないように(曲がりなりにも)砕いてきた。ところが小泉氏のこの発言は。
貧乏人は貧乏でも就ける職業に甘んじろ、ということを事実上告げたものになっている。才能を発掘し、才能を引き上げる、という発想がないことが露呈している。金のあるなしで学歴を決め、適性がなくてもお金があれば大学に進ませ、適性があっても金がないなら進学できない、と金で分断する考え方。
いわば、小泉氏の考え方は、金のあるなしで大学に進めるかどうかを選別する、貴族社会をイメージしているもののように思える。大学に行くだけのお金がない若者は、大学に行かないと選べない職業にはそもそも就けない社会を目指していると言わざるを得ないように思う。
しかし、もしそんなシステムを採用してしまったら、日本という国はどうなるのだろうか。恐らく発展は難しいだろう。能力がないのにお金があるという理由だけで富裕層ばかりが大学に進学し、あらゆる分野で活躍できずに終わってしまうだろうから。国を滅ぼしてしまいかねない。
恐らくこの問題をクリアするため、アメリカの有名大学をまねようとしているのだろう。スタンフォード大学やハーバード大学は、世界中から優秀な若者を集め、特待生として迎え入れている。他方、富裕層からは多額の寄付金をもらい、入学を許している疑いがある。この点はトマ・ピケティ氏やマイケル・サンデル氏も指摘。
このシステムでは、富裕層の若者は「学力ロンダリング」ができる。世界中から集められた優秀な若者が、卒業後もビジネスで大活躍する。富裕層の若者は、元同窓として彼らに投資をし、儲けると同時に、彼らと同級生だということで、とびぬけた学力があるかのように世間に勘違いさせられる。
超優秀な若者が、有名大学卒の名誉を引き上げてくれ、彼らの活躍が富裕層の同窓生をも学力があるかのようにカモフラージュしてくれる。これらを、多額の寄付金によって買うことができる。富裕層は、お金で学力があるかのような評判を買うことができる仕組み。
どうも日本の富裕層の一部が「このカラクリ、いいね!」と思ったらしい。外国から優秀な人材を集めて日本の大学で学ばせ、彼らに活躍させる。富裕層はお金の力で大学に進学し、日本人の貧困層はお金を理由に進学を諦めさせ、自分たちの下働きをする労働層にする。そうした社会観を持っているらしい。
もちろん証拠はない。しかしそうした社会観を持っている人たちがいるという「補助線」でも引かないと、理解できない動きがある。第二次安倍内閣では、国公立の学費を90万円以上にまで上げることが検討されていた。最近では、慶応大塾長が150万円に引き上げろと発言した。庶民は手が出ない額。
もしそれだけ学費が上げられ、小泉氏が暗示したように奨学金の返済問題も解決しようとしないなら、日本の貧困層はどれだけ優秀な若者であっても、進学は不可能となるだろう。適性がどれだけあっても、希望する職種に就けないという不幸な事態が起きるだろう。それは日本にとっても不幸なのに。
それでもかまわない、と「彼ら」が考えるのは、優秀な外国人に来てもらって、彼らに活躍してもらえばいい、という社会デザインを考えているからだろう。そうすれば、富裕層は大卒という学歴とともに、超優秀外国人のおかげで学力があるかのようにカモフラージュできることになる。
しかしこの戦略には、二つ問題がある。
一つは、そんなに優秀な外国人の若者が、日本に来てくれるのか?という問題。スタンフォード大やハーバード大学は、衰えが見えているとはいえ、世界の覇権国であるアメリカのトップ大学。だから世界中から超優秀な若者が集まってくる。けれど日本は?
もう一つの問題は、「日本版トランプ氏」が登場する可能性があることだ。トランプ氏がアメリカ大統領になれたのは、ラストベルト(さびた地帯)と言われる場所で不満を持つ白人の貧困層からの支持を受けたことが大きい、と言われている。ではなぜ彼らはトランプ氏を支持したのか?
ニューヨークやシリコンバレーなどで裕福に暮らす移民と富裕層ばかり学歴という名誉とお金と社会的地位を得て、かつてアメリカの産業を支えてきた自動車産業などの労働者をないがしろにしている、という不満がラストベルトの人たちにたまっていたからだ。ラストベルトの人たちは低賃金ゆえに、子どもたちを大学にやることも難しくなっていた。
もし、このような仕組みを企んでいる「彼ら」の目論見通り、日本人を富裕層と貧困層に分断し、貧困層には学歴を与えないことで職業選択の自由を事実上奪い、低賃金にあえぐように仕向けたとしたら、日本でもトランプ氏のような破壊力のあるリーダーを選ぼうとする動きが強まるかもしれない。いや、ナチズムさえも生まれるかもしれない。
ナチズムは、当時のドイツで、富裕層ばかり儲かり、まじめに働く労働者は低賃金にあえぎ、虐げられていたという自由主義経済学(現在の新自由主義経済学の祖先)が支配していた社会に不満を持った人々が、状況をひっくり返すためにヒットラーを支持した、という側面がある。
そう考えると、自由主義や新自由主義は、ナチズムなどの独裁主義者の生みの親、と言える。「彼ら」は、恒久的に貴族と隷属民に分かれた国家に日本を持っていきたいのかもしれないが、その目論見は崩れ去り、むしろ独裁者によって虐殺対象になるリスクを自ら招く恐れがある。
私は「彼ら」にも死んでほしくない。だからこそ、「彼ら」の作ろうとしている社会システムは、自分の首を絞めることになるからやめておいたほうがよい、と忠告したい。富裕層でなくても、進学したければ進学し、自分の望む職業に就ける社会システムを目指すように忠告したい。
私が「補助線」を引いた結果、仮説として浮かび上がる「彼ら」が誰なのかはっきりしない。ただ、そうした補助線なしには理解できない動きだし、「彼ら」の存在を仮定しないとどうにも理解できない。なにしろ、日本にとって何のメリットもない動きだからだ。それでも遂行しようということは。
アメリカの有名大学がとっているシステムを、日本でも導入して、富裕層という新たな貴族と庶民に分断する貴族社会を実現しようとしている存在がある、と仮定しないと、どうも理解できない。だが、もし実在するとしても、その動きは「彼ら」のためにもぜひやめておいた方がよい、と忠告したい。
オランダに留学した人から聞いた話。自分が世話になっている大学教授と酒場で飲んでいたのだけれど、たまたまその店に来ていた人と教授が楽しそうにディスカッションを始めたという。その人物は大工だったという。そのことに、その学生は驚いた、という話を聞かせてくれた。
オランダでは、大学教授も大工も、収入面では大きな差がなく、それはその他の職業にも言えて、それぞれの職業に就いている人たちが、それぞれに誇りを持っており、学歴の有無で劣等感を持つ必要を誰も感じていないらしい、という話だった。自分が好きでその仕事を選んだ、という感じ。
大学に行きたければ大学に行くし、その必要はないと考えれば別の仕事に就く。学歴の有無で収入に大きな差はないし、どの職業でもみな誇りをもって取り組んでいる。これは非常に面白い話だし、魅力的だなあ、と私は思った。だから、オランダの酒場では職業を問わずに議論を楽しめるのだろう。
オランダをまねる必要は必ずしもないが、こうした社会って、面白いのではないか。学歴の有無で劣等感を持つ必要はない。どの職業も生活に十分な収入が得られる。学歴があるからと言って支配者側にいるわけでもなく、対等に話し合い、議論し合える。これが民主主義の土台なのではないか。
小泉氏の言っていることは、オランダの社会と似て非なるもののように思う。小泉氏の主張のままでは、適性があり、能力もある若者であってもお金がないことを理由に大学進学を諦めざるを得ない。オランダと大違い。しかも、日本は学歴によって収入に違いがあるのも現実。
私は日本でも、
①進学するだけの能力と希望があるなら誰でも進学できる。
②学歴の有無に関係なく、職業の別に関係なく、ゆとりある生活を送れるだけの収入がある。
③支配側、被支配側のような感覚なく、あらゆる人が議論し、この国をよくすることができる。
という社会を実現すると、面白いと思う。
もちろん、オランダにも暗黒の面がある。移民を安い労働力として利用し、自国民の豊かな生活を支えるという側面がある。ただ、日本は戦後昭和の時代、移民を特に入れなかったのに総中流を実現した実績もある。すべて諦めるのは早計のように思う。
確かに、日本は少子高齢化も深刻であり、今後、労働力不足に苦しむことになるだろう。そのため、外国人労働者に頼る必要もあるだろう。ただ、外国人労働者にも手伝ってもらう形で、そして彼らにも十分な報酬があった上で、日本全体の底上げをする、ということも、また可能ではないか。
戦後昭和の、全国民的に中流意識を持てたように、外国人労働者の方々も含めて総中流的に生活を少しゆとりをもって過ごせる社会を目指すことは、理想論と言われればそれまでだが、そこを目指してみたいと思うのは、いけないことだろうか。
少なくとも、アメリカの有名大学のシステムのように、貧困層を排除し、富裕層と超優秀外国人だけで大卒を形成するというやり方は、日本にナチズムを生み、富裕層虐殺をかえって招くことになりかねないので、私は反対したい。そうではない道を、日本は模索したほうがよいだろう。