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日記

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2023年11月の記事一覧

マンガ表現と仏教の相容れなさⅣ(仏教マンガの問題点再考④)

マンガ表現と仏教の相容れなさⅣ(仏教マンガの問題点再考④)

千葉雅也さんのファッションに関する論考が、自分がずっとモヤモヤしていた今のSNSや、また何かバズを狙おうとする仏教界にもある(自分の中にもある)危なさをすごく言い当てているものだった。非常に考えさせられたので、忘備録的に置いておきたい。(メモのためとてつもなく長いです)

以下抜粋、引用。

今日のファッション文化、および衣服や身体を取り巻く環境無駄を楽しむことの消失

►ほしい服が出尽くしてしま

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マンガ表現と仏教の相容れなさⅢ(仏教マンガの問題点再考③)

マンガ表現と仏教の相容れなさⅢ(仏教マンガの問題点再考③)

今度、ある場所で、漫画と仏教についての講義をしなければならない。その準備のため、思いついたことをここに忘備録としてメモしておきたい。

仏教の教義をマンガにしたものがなぜあまりないのか?と若い頃の自分はいぶかしく思っていた。教えの中身を知りたいのに、教えの中身を説いてくれるマンガはあまり無い。仏教に関する漫画があるとしても、それは仏教に関する文化やあるある話を扱う位であり、ど真ん中の教えを説いてく

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共にが共ににならないという問題を教えられた記事

共にが共ににならないという問題を教えられた記事

親鸞は、『教行信証』 「化身土巻」に道綽禅師の『安楽集』を引用されている。それによると、末法の時代にはいると、次のようになると言われている。

教学研究所から発行されている『ともしび』2019年9月号を読んでいたら、この言葉が紹介されていた。著者の佐野氏は、「聞くものがいなくなるということです。聞くものがいなくなると、そこに道を求める者がいなくなるということになります。末法において減尽していくよう

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「自己肯定感の授業」から考えたいこと

「自己肯定感の授業」から考えたいこと

自己肯定感が、誰かと比較したうえで自分の有用性を認められたところに得られるものだとしたらそれでは話にならないのである。
誰かが言うような自己肯定感ではダメなのではないか。
前向きになるとか、比較するとかそういうことがそもそもあんまり意味がないと腹落ちしなければ、そこから自己肯定感を考えなければあんまり意味がないのであろう。ということを、以下のニュースを見て思った。高校で自己肯定感を高め自殺防止をす

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日記2023.11.15わかりやすいほうがいいって本当なのだろうか?

日記2023.11.15わかりやすいほうがいいって本当なのだろうか?

「わかりやすいほうがいい」
「若い人はわかりやすい仏教の教えを求めている」

こういう言説を聞くことがあるが、これは本当なのだろうか?
若い人をなめているのではないだろうか?

「わかりやすさ」に辟易しているということもあるのではないだろうか?

例えば生徒たちの中には「僕(私)コミュ障なんです」という者がいる。
しかし、「コミュ障」という言葉で自分をわかりやすくまとめてはいけない。
「あなたはコ

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いのちについて考えさせられる新聞記事

いのちについて考えさせられる新聞記事

新聞記事に、非常に考えさせられるものがあったのでメモしておきたい。

一匹の鶏に与えられたスペースはわずかB5用紙1枚程度であり、ぎちぎちのケージの中でその中で一生を終える。人間が卵を食べる為だけに生み出され、一生を終えていく。職員一人が管理する鶏の数が10万羽ということにも何だか恐ろしいものを感じる。もう、一匹一匹を見るということがとうてい出来ない数字である…。
こうした鳥の命をどう考えたらいい

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人間における回復-アングリマーラの救済の物語を通して-

人間における回復-アングリマーラの救済の物語を通して-

瓜生津隆真先生の本を読んでいて、教えられるところがあったのでメモしておきたい。仏典に登場する「アングリマーラの物語」の話である。この話を通して仏教における救済の特徴が考えさせられる。

アングリマーラは、殺人鬼になってしまったが、ここに人間の業の問題を考えさせられる。もしアングリマーラの先生がもっと嫉妬深い人でなかったら、アングリマーラがこんなにも純粋でなければ。おそらく彼は殺人鬼にはならなかった

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自他を愛することの最も基礎的な修練

自他を愛することの最も基礎的な修練

瀧波ユカリさんの言葉

今日であった瀧波ユカリさんの言葉にうならせられた。
瀧波さんは、自分を愛するということは「自分に向かって しね と言わないこと」だと言う。これはすごく大切な話だと思った。自分からは出てこない眼である。
愛するということを私たちはロマンチックに考えすぎという言葉が刺さる。愛する形には色々なものがある。そして、自分に死ねといわずに自分を扱うということも、愛する形だという。愛とい

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スマホと流転

スマホと流転

山下さんがめちゃくちゃ大事なことを言っている。

何が本当のよろこびか分からないようになってしまった。
そしてスマホを見続けてたらますますわからなくなってしまった。
観たいのか分かりもしない動画をボーっと見る人間になってしまった。
これは実は切実な問題なんじゃないかと思う。
無限にスマホを観ちゃう感覚は、仏教の流転とそっくりそのままつながる。
無限の流転の装置がスマホみたいに思う。
スマホを観るだ

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日記 2023.11.9

日記 2023.11.9

今日も読書会があり色々考えさせられた。上の文は今日、先生に教えて頂いた緒方正人さんの言葉である。

よく考えたら自分は、高校・大学時代に手塚治虫のブッダやお坊さんに出会って、仏教があったから呼吸が出来ていたということがあるのだなと思った。
仏教が無かったら、他の世界があると分からずに、勝ち負けと損得の中で自分を卑下し、人をうらやみ、他人を馬鹿にしその中でもっと苦しんでいただろう。しかし、自分は仏教

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日記 2023.11.5 読書会メモ

日記 2023.11.5 読書会メモ

これからしばらくnoteを法話の原稿案を練るためのノートに使おうと思うので、わけのわからない情報の切れ端のような投稿が続くと思います。またほとんどが信仰の話になると思いますので、嫌だなと思ったらミュート等して頂けたらと思います。

今日の読書会のメモ
(ここに書かれているのは全て他の参加者に教えてもらった言葉である)
不可思議というのは思議が止むということではないかという話があった。
自分の意識に

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日記2023.11.4 情報だけで構成されたもの持つ不気味さ

日記2023.11.4 情報だけで構成されたもの持つ不気味さ

舞踏家の最上和子さんの発言にとても考えさせられた。

この発言はおそらく、岸田首相の偽映像がAIで作成されて問題になっているというニュースを見てなされたものだと思う。

自分も今朝、このニュースを見て恐ろしい気持ちになった。
偽の映像を作って、その映像に何でも言わせられるようになる。フェイク画像は既に問題になっているが、改めてこのことの不気味さを思う。人間は本当に進歩しているのか。技術だけが進歩し

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