近藤丸

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近藤丸

勉強・研究のノートとして使用。 問い合わせ・連絡先  kondoumaru7@gmail.com   最近寄稿したエッセイ→ http://www.shinran-bc.higashihonganji.or.jp/anjali_web24030105_kondomaru/

マガジン

  • コラム・エッセイ

    コラムやエッセイ、授業で紹介する言葉などをまとめています。

  • 日記

    日記・忘備録 等

  • 『教行信証』の音読(仏教の聖典の音読)

    毎日聖典を読みたいが、サボりがちなので、できるかぎり毎日ここに音声を録音したい。音で聞く聖典としても。

  • 参考資料

  • 三心の問題

    研究メモ

最近の記事

  • 固定された記事

「茶化さないで」対話をしたことが、果たしてあっただろうか?

私が好きなラジオに荻上チキさんのセッションという番組がある。 TBSラジオで、平日の15:30から放送している。南部広美さんと、荻上チキさんの掛け合いで進むニュースが多めの番組である。ニュースや時事問題の裏側まで追っていこうとしている素晴らしい番組で、ラジオだからこそじっくり時間をかけて報道できるのだと思う。誠実な番組である。自分はセッションと、同じくTBSのアシタノカレッジをradikoで聞いている。 さて、今日のセッションの放送の中で、荻上さんが大切な事を言っていて、

    • なぜ手を合わせるのか、織田先生のコラムから

      名古屋御坊4月号織田先生の記事が心に残ったので転載させて頂きたい たしかに、もし、合掌がなかったら、私たちは普段気持ちが揺れ動いていることすらわからない。気持ちがコロコロ動いていることすら自覚できない。合掌というのは、何か本当に大切なものと向き合いたいということを表す姿なのである。それを示すことで相手と向き合おうとする自分を表現できる。またそれによって、以下に自分の心がコロコロしているか知れる。だから一日に少しの時間でも、自分の心を落ち着けようとする時間があることは大切なこ

      • メモ 20240425 『高校生新聞』2024.04.23

        メモ 非常に大切な記事であった 自分自身が人を、特定の枠組みで見てしまうこと。 それは裏返せば自分がある枠組みの中で他人から見られようとし、 ある特定の自分を演じて、がんじがらめになることにも通じている。 自分は、自分を生きるのではなく、手っ取り早くブランドが欲しかったのではないか。 ブランドを手っ取り早く得ようとするあさましさは、反転すれば他人を特定の枠組みに嵌めて見ることである。

        • 今日出会った言葉

          今日以下のような言葉に出会った。 同朋新聞 2008年11月号のボディーコピーだそうだ。 ここに、非常に大切な響きを感じる。 人間であることの、厳粛さを忘れない生活をしたい。 人間であることの尊さに、目を向けられるような生活をしたい。 人間であることの難しさを馬鹿にしないような人になりたい。 そのような生活をするためには、気をつけていないと無理ではないか。 現代はあまりにも、これと逆の方向へ流される力が強すぎる。 ニュースや現代を知ることは大切だ、しかしそこには、あまりに

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        • 真宗における化身土巻理解の諸相と展開
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        記事

          読んだ本 頭木弘樹『口の立つやつが勝つってことでいいのか』20240423

          頭木弘樹さんの新刊がとても面白い。 エッセイなのだが、どの節を読んでも不思議な感覚がある。この人は何か自分の感覚を本当に大切に生きているのだなと感じる。付箋もすごい量になったが、今日は一分だけ紹介したい。 ☞本当にこれに尽きるように思う。自分が経験したことは自分独自のことなのに、それに近い知っていることに当てはめてしまう。 そしてカテゴライズすることに満足してしまって、自分が経験したものはありきたりなものである、つまらないものであると変換してしまう。 ここに大きな問題があ

          読んだ本 頭木弘樹『口の立つやつが勝つってことでいいのか』20240423

          『教行信証』の基本の学習①、難しと易し 化身土文類 三経一致結釈

          昨日『教行信証』を読んでいたらどうしても読めないなと思う所があった。それは以下の部分である。 信心の海には、入りがたいのであると。なぜかと言えば、仏力より発起するが故にだと。先ず心理論が分からない。普通、仏の力によるから、入りやすいのではないかと思う。 しかし、仏の力によるから入りにくいのだと。ここは他力=簡単というイメージとは逆のことを親鸞は言っているように思う。ここをどう捉えたらいいのか。ところが、先ほど、信心の海には、入り難いといっていたのに、今度は、真実の楽邦、つま

          『教行信証』の基本の学習①、難しと易し 化身土文類 三経一致結釈

          自分が至らなくても

          今日であった言葉 自己の傲慢さをしらされる

          自分が至らなくても

          マインドセットの問題

          高村峰生先生がおっしゃっておられることが、今までの自分が授業をしてきて感じていた違和感というか、自分が無意識に目をふさいでいることを言い当ててくれていた。たまにこういう言葉に出会うので、ついついSNSを見てしまうので、それも問題なのだが。 何で自分の話は生徒に全く伝わっていない気がするんだろうと思っていたけど、自分の方が生徒に話しかけている体で、実は避けていた。遠ざけていたからだ。自分の方から生徒をさけていた、精神的に。わざと遠くにいる人と見せようとしていたし、近づかないよ

          マインドセットの問題

          アイデンティティの問題

          今日4月14日の毎日新聞を読んでいたら次のような記事が載っていた。 パンにまつわる思い出を募集し、投稿した人のコラムである。 なんだか、読んでいて涙が出た。こういうきょうだいものに弱い。 そして、こういうことをちゃんと覚えている宮沢さんはすごいし、同時にそこで、この弟の行動に心が動かされた宮沢さんは、当時貧しかったと思うが、心は本当に豊かだと思った。 頭が下がるということ。弟の行動に頭を下げるのではなくて、頭が下がるということ。頭が下がるものをもつということ。そのこと自体

          アイデンティティの問題

          読んだ本 20240415 同朋2024.4号

          今日、月間同朋四月号を読んでいた。その中で、小学校教員の 星野俊樹さんの話がとてもよかった。その中で以下のような詩が紹介されていた。 それに続いて、星野さんは以下のように言う。 非常に大切な言葉である。自分が矢であり、こどもはその弓から生きた矢として放たれる。放たれた後はもう、弓がどうにかできるものではない。言ってみれば人間の大人は、その矢を追いかけまわしてしまうようなところがある。 また「サンガ」188号を読んでいたら、以下の安田理深先生の言葉を教えてもらった。

          読んだ本 20240415 同朋2024.4号

          今日読んだ本 「真宗学の〈解釈と方法〉をめぐる課題」20240415

          杉岡先生の講義録を読んでいたら。目から鱗の文章。教行信証の解釈について。創造的解釈というのは恣意的で、勝手気ままな解釈を許すことではないという。勝手気ままで恣意的な解釈ということではなくて「作品それ自身がもっている可能性としての多様性であるというところが大事」。これはとても身につまされる。自分の場合、まさに勝手気ままで、恣意的な解釈ではないか。一方で、教行信証をもっと、一般の方たちにも開いていかないといけないという指摘がなされる。専門家の中に教行信証を閉じ込めてはいけないと。

          今日読んだ本 「真宗学の〈解釈と方法〉をめぐる課題」20240415

          読んだ本 『共生の大地』20240214

          幡谷先生の『共生の大地』を読んでいる。すごく大切なことが沢山書かれている。この本も、何度も読み返したい本である。 ありがたいと言っても、最初からありがたいのではない。本当に有難いとはどういうことか、考えるヒントをいただく。 また広瀬先生は、命というものが四つの規制の下にあるといわれたという。 それは一回性、単独性、無常性、有限性。 これも私たちは当たり前のように思っているが、あらためて考えるとこんなことを普段は意識していないと思わされる。 なぜ私たちは、満足できず不満な

          読んだ本 『共生の大地』20240214

          名言:「人生はクローズアップで見れば悲劇だが、ロングショットで見れば喜劇だ。」Life is a tragedy when seen in close-up, but a comedy in long-shot. チャールズ・チャップリン。 ►この言葉は非常に普遍性を持つと思う。

          名言:「人生はクローズアップで見れば悲劇だが、ロングショットで見れば喜劇だ。」Life is a tragedy when seen in close-up, but a comedy in long-shot. チャールズ・チャップリン。 ►この言葉は非常に普遍性を持つと思う。

          化身土の問題で考えてみるべきテーマ 「孤独という罰」 大江憲成先生の本を手がかりに

          化身土の問題で考えてみるべきテーマ 「孤独という罰」 大江憲成先生の本を手がかりに

          本当の利益とは~自重存在~

          安田理深先生の『存在の故郷 浄土』を読んでいる。難しいが何か本当に大切な問題、人間の根本問題を直接掘っているという事を感じる。教養や知識とは一線を画す鋭い言葉である。 「自分が尊いということは自慢ではない。自重である。威張るのではない。人間の境遇を得たことが、かたじけないということである。」 本当にそうだよな、宗教心に目覚めるということは、もう自慢する必要がなくなるということだ。威張る必要がなくなるという事なんだ。 「宗教心は人間をしかたのないものとするのではない。慢心は

          本当の利益とは~自重存在~

          ニーバーの言葉

          ラインホルド・ニーバー(1892-1971)という神学者がいるということを、加来先生の動画を見ていて教えてもらった。 ニーバーの祈りの言葉があるという。 私たちの人生には変えることのできないことと、変えることができることがある。 変えることができないことについては、それを受け入れる心の静けさを与えてください。 そして、変えることができることについては、それを変えていく勇気を私に与えてください。 そしてその二つ、変えることができないことと変えることができること、その二つを区

          ニーバーの言葉