近藤丸

勉強・研究のノートとして使用。 問い合わせ・連絡先  kondoumaru7@g…

近藤丸

勉強・研究のノートとして使用。 問い合わせ・連絡先  kondoumaru7@gmail.com   最近寄稿したエッセイ→ http://www.shinran-bc.higashihonganji.or.jp/anjali_web24030105_kondomaru/

マガジン

  • 参考資料

  • 仏教マンガの可能性と問題点

    筆者は、仏教の言葉と出会って感じたこと等をマンガにすることをしてきたが、その過程で、仏教のことをマンガにする事には可能性もあると同時に、いくつかの問題点もあることも感じるようになった。そのことを忘備録として記録しておきたい。

最近の記事

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「茶化さないで」対話をしたことが、果たしてあっただろうか?

私が好きなラジオに荻上チキさんのセッションという番組がある。 TBSラジオで、平日の15:30から放送している。南部広美さんと、荻上チキさんの掛け合いで進むニュースが多めの番組である。ニュースや時事問題の裏側まで追っていこうとしている素晴らしい番組で、ラジオだからこそじっくり時間をかけて報道できるのだと思う。誠実な番組である。自分はセッションと、同じくTBSのアシタノカレッジをradikoで聞いている。 さて、今日のセッションの放送の中で、荻上さんが大切な事を言っていて、

    • 「信仰というものは、九十パーセントの疑いと十パーセントの希望だ」 小説家ベルナソスの言葉 今日NHKの『100分de宗教論』という番組を観ていたら出て来た言葉。 非常に大切である。常に揺れ動き、疑う私たち。疑いの中にも宗教の歩みがある。疑うことこそが大切なのだ。

      • 舐めているのと怯えているのは同じ

        本田由紀先生の言葉が非常に今の自分に刺さる。自分にも、その人の前に出ると怯えてしまう人がいる。しかしそれは相手を野蛮で理解不能な人間と見ているのだと。敬意を払うべき人間と見ていないと。たしかに、自分が怯えている相手は、自分のこと舐めているんだろうなと、こっちが思って怯えているけど、それは相手にも伝わっていて。それだから、いつまでたっても敬意を持った関係にならない。 そういうことをもういい大人だから辞めたい。本田先生は取り繕えない悪い終わり方を示しておられるが。この悪いループか

        • Phaさんの『パーティーが終わって、中年が始まる』を読んだ

          Phaさんの新刊を読んだ。 40代半ばを過ぎて、Phaさんに起こった心境の変化がつらつらと書かれたエッセイ。自分もいつのまにか40歳になって、体や心の変化があらわれてきて、なんだこれはと思っていたので、すごく考えさせられる部分や納得させられる部分が多かった。人の考えを知ることは面白いなと思わされる読書体験だった。心に残った言葉をいくつかメモしておきたい。 ここは焦った。自分はいまだに俺ダメな人間だからというので、ドタキャンしたりしてしまっていた。しかしそれは結構痛いのだと

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        「茶化さないで」対話をしたことが、果たしてあっただろうか?

        • 「信仰というものは、九十パーセントの疑いと十パーセントの希望だ」 小説家ベルナソスの言葉 今日NHKの『100分de宗教論』という番組を観ていたら出て来た言葉。 非常に大切である。常に揺れ動き、疑う私たち。疑いの中にも宗教の歩みがある。疑うことこそが大切なのだ。

        • 舐めているのと怯えているのは同じ

        • Phaさんの『パーティーが終わって、中年が始まる』を読んだ

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        • 参考資料
          5本
        • 仏教マンガの可能性と問題点
          19本

        記事

          久しぶりにマンガを描きました。『絶望のトリセツ』(法蔵館)7/25刊

          久しぶりにマンガを描きました。法蔵館から『絶望のトリセツ』という本が7月25日に発売されます。 希死念慮者の話を長年聴き続けてきた根本一徹(臨済僧)さんの著書です。本のマンガ部分を担当しました。宗派は違えど、大切な活動をされておられる方で、こんな僧侶がいるんだと驚きました。 共著者の川本佳苗さんは、お世話になった先輩で、尊敬する研究者です。仏教倫理について精力的に研究を続けておられます。自死のことを語るというのはある意味で難しい部分があると思います。川本さんの視点が入るこ

          久しぶりにマンガを描きました。『絶望のトリセツ』(法蔵館)7/25刊

          友だちについて 

          昨日、「シリーズケアをひらく『安全に狂う方法』(医学書院)刊行記念 赤坂真理×松本俊彦トークイベント「小さく死んで生き延びるために」」というイベントにオンラインで参加した。とても面白かった。 最近赤坂真理さんが、医学書院から、『安全に狂う方法』という本を出版された。赤坂さん自身が、関係性のアディクションに苦しんでいて、そのアディクションからどういう風に回復したか、あるいは付き合っていけるようになったかが書かれていて、この本には自分のことが書かれていると思った。 ガツンとくる

          友だちについて 

          生産性

          忘備録メモ 今日、同志社大学で岡野先生の話を聞きに行っていたのだが。岡野先生が上のようなことを言っていて、本当にその通りだと思った。 (終)

          人生で大切なこと2

          上岡陽江さんの『生きのびるための犯罪(みち)』(新曜社)を読んでいたら以下の言葉があった。 神父の井上洋二は、人生にとって一番大切なことは、 とういことを、人はなぜ生きるかという本の中で述べていた。 井上のいうことももちろん真理なのであるが、上岡さんのいうことも、人生において大切なことの別の一面を述べている。 困ったときに、助けてくれと言えること、そのことのほうが今日においては重要性を増しているかもしれない。

          人生で大切なこと2

          『ハマれないまま、生きてます: こどもとおとなのあいだ』(栗田 隆子さん著)を読んだ

          シリーズあいだで考えるは、とんでもない名著ばかりである。坂上香さんの『根っからの悪人っているの?』は、犯罪の被害者・加害者との対話を通して人間の罪に向き合う本で、目から鱗の本であった。田中真知さんの『風をとおすレッスン』は、答えを安易に出さずに考え続けることの大切さを教えてくれる名著である。今月発売された、栗田隆子さんの『ハマれないまま、生きてます』は、これまたすごい本だった。うまく世の中にハマれてないな、周りとうまくいかないなと感じている人は多いと思うのだが、少しでもそうい

          『ハマれないまま、生きてます: こどもとおとなのあいだ』(栗田 隆子さん著)を読んだ

          『自分とか、ないから。』(しんめいP さん著)を読んだ

          しんめいPさんの著書『自分なんてないから。-教養としての東洋哲学-』を読んだ。 短い感想 面白い!思想に関する本を、声を出して笑いながら読んだのは初めてかもしれない。読んで心が少し軽くなっている自分に気づいた。それは、著者がカッコつけずに、悩んで、その中で東洋哲学に向き合って自分の体験を言葉にしているからだと思う。面白さの背後に、深い学びがあるから、読んでいて心に響いてくるのかもしれない。東洋哲学をもっと学んでみたいと思える。私も自分の仕方で、東洋哲学を学んでみたいと思え

          『自分とか、ないから。』(しんめいP さん著)を読んだ

          他者の物語を背景化してしまう問題  20240430

          非常に大事な話だと思った。これは、宗教や国家イデオロギーに特に注意した言葉だと思うが、我々は様々なレベルで自分の物語を生きている。今の自分であれば、立派な学者になるということも一つの物語だ。しかしその物語にのめり込みすぎると、他者の物語が背景化していく。 そういうことが、いろいろなレベルである気がする。教師をしているときは、何としてもこの話を子どもたちに教えなくてはと思うが、案外子どもたちの人生にとってはどうでもよかったりする。受験生は受験生で、医学部に合格できなければ不幸と

          他者の物語を背景化してしまう問題  20240430

          なぜ手を合わせるのか、織田先生のコラムから

          名古屋御坊4月号織田先生の記事が心に残ったので転載させて頂きたい たしかに、もし、合掌がなかったら、私たちは普段気持ちが揺れ動いていることすらわからない。気持ちがコロコロ動いていることすら自覚できない。合掌というのは、何か本当に大切なものと向き合いたいということを表す姿なのである。それを示すことで相手と向き合おうとする自分を表現できる。またそれによって、以下に自分の心がコロコロしているか知れる。だから一日に少しの時間でも、自分の心を落ち着けようとする時間があることは大切なこ

          なぜ手を合わせるのか、織田先生のコラムから

          メモ 20240425 『高校生新聞』2024.04.23

          メモ 非常に大切な記事であった 自分自身が人を、特定の枠組みで見てしまうこと。 それは裏返せば自分がある枠組みの中で他人から見られようとし、 ある特定の自分を演じて、がんじがらめになることにも通じている。 自分は、自分を生きるのではなく、手っ取り早くブランドが欲しかったのではないか。 ブランドを手っ取り早く得ようとするあさましさは、反転すれば他人を特定の枠組みに嵌めて見ることである。

          メモ 20240425 『高校生新聞』2024.04.23

          今日出会った言葉

          今日以下のような言葉に出会った。 同朋新聞 2008年11月号のボディーコピーだそうだ。 ここに、非常に大切な響きを感じる。 人間であることの、厳粛さを忘れない生活をしたい。 人間であることの尊さに、目を向けられるような生活をしたい。 人間であることの難しさを馬鹿にしないような人になりたい。 そのような生活をするためには、気をつけていないと無理ではないか。 現代はあまりにも、これと逆の方向へ流される力が強すぎる。 ニュースや現代を知ることは大切だ、しかしそこには、あまりに

          今日出会った言葉

          読んだ本 頭木弘樹『口の立つやつが勝つってことでいいのか』20240423

          頭木弘樹さんの新刊がとても面白い。 エッセイなのだが、どの節を読んでも不思議な感覚がある。この人は何か自分の感覚を本当に大切に生きているのだなと感じる。付箋もすごい量になったが、今日は一分だけ紹介したい。 ☞本当にこれに尽きるように思う。自分が経験したことは自分独自のことなのに、それに近い知っていることに当てはめてしまう。 そしてカテゴライズすることに満足してしまって、自分が経験したものはありきたりなものである、つまらないものであると変換してしまう。 ここに大きな問題があ

          読んだ本 頭木弘樹『口の立つやつが勝つってことでいいのか』20240423

          『教行信証』の基本の学習①、難しと易し 化身土文類 三経一致結釈

          昨日『教行信証』を読んでいたらどうしても読めないなと思う所があった。それは以下の部分である。 信心の海には、入りがたいのであると。なぜかと言えば、仏力より発起するが故にだと。先ず心理論が分からない。普通、仏の力によるから、入りやすいのではないかと思う。 しかし、仏の力によるから入りにくいのだと。ここは他力=簡単というイメージとは逆のことを親鸞は言っているように思う。ここをどう捉えたらいいのか。ところが、先ほど、信心の海には、入り難いといっていたのに、今度は、真実の楽邦、つま

          『教行信証』の基本の学習①、難しと易し 化身土文類 三経一致結釈