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「茶化さないで」対話をしたことが、果たしてあっただろうか?

私が好きなラジオに荻上チキさんのセッションという番組がある。

TBSラジオで、平日の15:30から放送している。南部広美さんと、荻上チキさんの掛け合いで進むニュースが多めの番組である。ニュースや時事問題の裏側まで追っていこうとしている素晴らしい番組で、ラジオだからこそじっくり時間をかけて報道できるのだと思う。誠実な番組である。自分はセッションと、同じくTBSのアシタノカレッジをradikoで聞いている。

さて、今日のセッションの放送の中で、荻上さんが大切な事を言っていて、これは忘れてはいけないと思ったので、忘備録としてメモしておきたい。

荻上さんはコロナ禍でリモートワークで家にいることが多くなり、友人や仕事の同僚と電話で話す機会がすごく増えたという。その話題の中で荻上さんが次のように言っていた。

人と話しをするとお互い馬鹿にしないで人と話しをするっていうことが、結構世の中では希少なんだなって気づかされたりするんですよ。人と話していると、「こんな話を茶化さずに聞いてくれるなんて…」って言われることがあるから。「えっ、そんなに人は話しをするとき人は茶化し合いながら話しをするのか」と。で、結構振り返ってみると、人は茶化し合いながら話しをするって世の中あるんだなと思っていて。人生相談とか、あと説教をするとか、アドバイスするとか。アドバイス・説教・茶化しナシの会話ってなかなかレアになってしまっているのかと思いながらも。でもねそういう、心の安全みたいなものを確保するってとても大事なので。自分の会話とかも普段から点検しようかななんて思ったりもしたのですが、心の安全を確保するような放送も心掛けて行きたいなと思っています。

(荻上チキsession 2022年4月20日放送分)

これを聞いて思わず息を飲んだ。自分のことを言われていると思った。一体人生で茶化したり、ウケを狙ったり、人にアドバイスしようとしたりせずに、何度人と向き合い、相手の話しをただ聞こうとしてきただろうか。
いや、ほとんど全くと言っていいほどなかったのではないか。
いかに自分を面白く見せるかということに重きを置いて、常に相手に、付け入る隙を与えないように、自分をかしこく、面白く見せるためだけに対話の時間を使って来たのではなかったか。

(もしかしたら荻上さんの話は、先日の吉野屋の常務がした、信じられないような発言の問題が念頭にあるのかもしれない)

私たちは、つい茶化して話しをしてしまう。そこにある問題が誰かを危険にさらすことがあるということに自覚的で居ないといけないと、荻上さんの言葉に教えられる。

そして、私は、やはり、私に仏教を教えてくれた先生達のことを思い出した。先生に、相談に行ったとき、先生は一度も、笑いを取ろうとか、面白おかしく話そうとはしなかった。

ただ私の話に真剣に耳を傾け。伝えるべきことを淡々と伝えてくれた。
面白おかしく話そうとか、面白く思われようという怖れがそこには無かった。

そしてだからこそ、そこにものすごく安全を感じた。
ただ自分が思っていることを正直に言おうと思えた。正直に話すしかないという事を先生の態度が教えてくれていたのだ。

そして、今高校生の前に立ち、仏教の話しをすることもある、私がするべきことはそれではないか?面白おかしい話をするのではなく。茶化さずに、子どもたちにただ向き合い、ただ伝えるべきことを伝えることではないか。
子どもたちが安心して話したり、勉強したりできる場を確保する。それは、私の話し方、誤魔化さずに、茶化さずに話す態度から始まるのではないか。

(終)




〈参考資料〉




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