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他者の物語を背景化してしまう問題  20240430

神話は石器時代以来ずっと、人間の共同体を団結させるのに役立ってきた…中略…私たちは、非常に多くの見ず知らずの同類と協力できる唯一の哺乳動物であり、それは人間だけが虚構の物語を創作して広め、厖大な数のほかの他者を説得して信じ込ませることができるからである。
 しかし、注意しなければならないのは、ある物語を信じているときは、それにのめり込んでしまい、それ以外の物語は背景化してしまうことである。戦争は、自らの物語を正当化することに気をとられ、他者の物語を否定することによって生じてきた。…中略…信じる物語の大きさは、身の丈以上でありさえすれば、どんな小さな物語でも信じていけるのである。自分の信じる物語について、検証する観点が必要である。

甲田直美『物語の言語学 語りに潜むことばの不思議』ひつじ書房、2024年、pp210-211。

非常に大事な話だと思った。これは、宗教や国家イデオロギーに特に注意した言葉だと思うが、我々は様々なレベルで自分の物語を生きている。今の自分であれば、立派な学者になるということも一つの物語だ。しかしその物語にのめり込みすぎると、他者の物語が背景化していく。
そういうことが、いろいろなレベルである気がする。教師をしているときは、何としてもこの話を子どもたちに教えなくてはと思うが、案外子どもたちの人生にとってはどうでもよかったりする。受験生は受験生で、医学部に合格できなければ不幸という物語を生きているかもしれない。そのようにしてしか私たちは生きられない。しかし、その物語の中で忘れてしまっていること、後景化して気づいていない暴力性もあるかもしれないということに思いをはせたい。

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