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コロナ・ウイルスが変えた日常ー自粛と人心ー


2019年12月にコロナ・ウイルスは中国武漢に現れと言われている。ある動物を食したことがきっかけという話はあるが、どうなのだろうか。

中国で急速に広がたコロナ・ウイルスは、中国だけ問題だとして対岸の火事だと気にせずにいたが2020年の1月末に事態は変わる。

日本のみならず世界がコロナ・ウイルスに飲み込まれてしまった。陸続きのヨーロッパでは、大量の死者が出ている。感染者は止まらず、大丈夫だろうと高を括っていた我々も深刻な状況に直面することに。

北海道の自粛要請から始まり、東京五輪が延期されたあと、突如東京都の感染者数が跳ね上がるという政治マジックがあるが社会は機能を低下させ始めた。

しかし、そう簡単に社会機能を止められるはずもない。今回の自粛やこれからの自粛で、少しでもいい方向に行くといいが…

いい方向に行く前に、働く人や企業がバタバタと倒れていき、そこに政府は何も打開策を講じないでいる。本当に我々は難しい国にいることを再度確認しなければならないだろう。

そんななか、外せない用があり新宿に向かう。

自粛があった都心がどのような変化を迎えたのか、気になる気持ちもあり早めに家を出た。

土曜日の夕方の新宿

いつもであれば、かなりの人が行き交う交差点も駅も、人がまばらにしかいない。まるで、オールした始発直後の新宿のような雰囲気である。

それでも若いカップルや会社勤めの人、海外旅行客もある程度はいた。しかし、店には人がいなく、閑古鳥が鳴くとはこういうことなのだろう。

自粛要請のなかで仕方がないが

あそこにも、ここにも人がいない、ここはいつもの新宿なのだろうか、時間が分からなくなる錯覚に陥る。不思議な感覚である。

コロナ・ウイルスによって様々なものが変化していくだろう。医療・労働・教育・環境・社会・文化・交通などが、コロナによって壊され、どうなるのか分からないなかで不安を抱きながら突き進んでいる。

自分の人生も先行き不透明中であるための、どうしていいものか分からなかなってしまう。

ここでコロナがやってきたことで、一旦リセットになって新しい方向が示される!!なんていうことはない。


社会は、強き者たちによって作られている。

その強き者たちがいいように社会を動かしている。

今回、コロナ対策のために政府が打ち出した方針は誰も的外れなものばかりであった。お肉券やお魚券など、どうしてもお金を出すということを避けるための方法でしかない。お金を直接出すということに嫌悪感を出すのは、国民性の一つ(寄付などの低さ)であるとは言えるがそんなことを言っている場合ではない。

そして、真面目で勤勉であると言われていた日本国民は、不測の事態に陥ると本性を表してしまう。無用な買い溜めやより発言を辞め、曖昧な表現を加速させるという悪しき方向へ進む。

黙れる立場というのは、2パターンあって、一つは痛くも痒くもないから、もう一つは言えないほどの体力になってしまったというところに尽きる。

痛くも痒くもない立場、少し収入は減るけれど…という立場にいたかったという気持ちはある。

安定的な地位にいて、大人しくしていれば事が過ぎるというのは本当に幸福なことである。

それ以外の人たちは、どうであろうと生きていくために生き抜かないといけない。どんな状況でも歩んでいかなければならない。

そこに国がちゃんとした政策を打ち出さない限りは、時期が来るのを待つだけになってしまう。

多くの人たちは、他人の気持ちや状況を想像することが大変苦手である。想像出来る人は、苦しい背景を持つため、同じような人に手を伸ばすことが難しい。

こんな時だからこそうまく行っている人たちは、本当の社会や世界、人を見極めることが必要なのではないかとか思う。

コロナ・ウイルスは、間違いなく社会を変えることになるだろう。私たち自身も変えることになる。ただ闇雲に生きるのではなく、ここでしっかりと行動し考えることをしていくべきではないだろうか。






夢はルポライターなどです。(/・ω・)/「声なき声を」届けることや草の根活動を頑張っている人や世に出せるように、そのために使えたらなと思います。