一匹狼の自己証明は不可能であること
自分を自分として、自分であるためには
自分の心を強く持つこと、そして自分を認めること
そんな謳い文句が世界に広がっている。
自分を自分だと認識し、承認するときに
一体何を我々は根拠にしているのだろうか。不思議に感じる。
誰かの心に思い出されればいいのか?
趣味や好きなものを持っていればいいのか?
声をかけられる人がいればいいのか?
そんな単純なものでいいのなら楽なことはない。
自分のことを証明するためには、必ずといっていいほど「他者や他の場所」を担保にしなければならない。確立された場所にいれるからこそ、確立されたものを作り出すことが得意な人がいるからこそできていることである。
一匹狼は、他者から認証されるわけでもなければ、他の場所に所属ができているわけでもないため「自己証明」が大変難しい。
もちろん一匹狼でも、確立された場所を作り出すことに長けているならば回避できるかもしれない。しかし、それが苦手な場合や承認されるものを持ち合わせることができない場合はどうなるのか。
それは、自己証明が拡散し、自分が自分として確立しにくくなる。どこにもいない自分と向き合い続けなければならないため、身も心も壊れていったり、どこにいるのかわからなくなってしまう。
誰もが早期に「居場所や存在」を確保しようとするのは
早く自己証明ができる場所にいなければ、自分が”消えてしまう”恐怖に陥るからだと考える。長く自己証明を行える機会や場所を失えば、精神的な死よりも肉体的な死が先にきてしまう焦りを本能で知っている。ただ多くの人は、比較的早期に見つかるし、そもそも自己証明の危機に瀕する機会に出会うことがない。ほとんどの場合において、支援や援助が得られることがあるからだ。
ただ、時に、どんなに努力をしても、どんなに力を尽くしても不可能な人間も存在している。
こうして文字を打っていう本人が危機に瀕している。
自尊心を自分で傷つけてしまったことで、より深刻に、よりスピードが速く”消えてしまう”恐怖がやってきている。
そして、その危機感がふと消えるときがでてきた。
もう視界にはいらないほど、自分の視界のなかにいるということだ。
救われない世界で生きていることは理解した。
永遠の底辺を受け入れたつもりだ。
助けがないことも十分刻み込んだ。
でも、とてもとても怖いのは、人間の根源的部分に手をかけられそうになっているからだろう。
でも抗うことができない。誰も助けてくれるわけでもない。自分自身の力で払拭することも叶わない。
内部崩壊のスイッチを押して、崩壊した後には
逃れられない外界の崩壊が始まるということなのか
どこまでも地獄は追いかけてくる。
これ以上何を奪えば気が済むのだろうか。
自己証明というのは「命」と同義なところにあると感じる。
夢はルポライターなどです。(/・ω・)/「声なき声を」届けることや草の根活動を頑張っている人や世に出せるように、そのために使えたらなと思います。