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宇宙を模(かたど)る天文時計、機械仕掛けのモナドとデカルトのオートマタ(自動人形)の照応


今は通信の時代

 17世紀と18世紀の初期が時計の時代であり、18世紀と19世紀が蒸気機関の時代であるとするならば、現代は通信と制御の時代である。

「サイバネティックス」 ウィーナー著
――動物と機械における制御と通信――
池原止戈夫・彌永昌吉・室賀三郎・戸田巌訳

 離れたところにいる友人、知人と連絡をとるときに以前は電話しかなく、電話が普及するまでは手紙でした。
 今はスマートフォンでSMSや様々なメッセンジャーアプリが使えますので、ますます通信=コミュニケーションに費やす時間が増えている気がします。

対話と理解

 コミュニケーションは友人や同僚との対話やチャットだけではなく、たとえば読書は著者との対話である、という話もあります。ですが、このコミュニケーションはリアルタイムで返事を聞いて応答するといったことはできませんので、著者はなるべく詳しく、わかりやすく自身の言いたいことを書いています。
 言いたいことをきちんと伝えることができれば、自分のものの見方や考え方を理解してくれるひとが増えていきます。

表現と手法

 自分の考えや主張を表現する手段は学術論文や雑誌の出版、寄稿ばかりでなく小説やマンガ、詩や絵画、音楽など様々な形式、ジャンルがあります。
 最近ではAIでマンガや動画を作ることができますので、技術や技法の意味合いはどんどん変わっていきそうです。
 主張や見解、あるいはアイデアは、それにあった表現手段を選びます。
 不安や疑念を表現する絵画、音楽もありますが、言葉でなければうまく伝わらないこともあるでしょう。
 なにか考えがあるとき、物語や寓話を使って説明すると説得力があるのは理由があると思います。
 また、IT技術者たちは、プレゼンの際に実際にプログラミングして、動くものを作って見せることでアイデアをアピールするという話も聞きます。

創作と模倣

 すべての物語は聖書にある(書かれている)、あらゆる創作(物)は模倣である、といった言葉もあったと思いますが、作品を創り出すときに、そのもとになるもの、原型は既にあるものから生み出されるのかもしれません。
 現在が(未だ)コミュニケーションとその制御の時代とすれば、過去に時計、天文時計の時代と言われた世紀があります。
 天文時計は、天体の運行を示す、いわば宇宙を模倣し、表現するものでした。

宇宙(天文)時計

 大時計は中世の大発明の一つである。天地の運行を解き明かそうとした人聞にとって時計は一種の知的《モデル》となった。
 (人間創意の直接の産物であるだけになおさら知的なものであった。)

「ニュートンと魔術師たち 科学史の虚像と実像」 ピエール・チュイリエ 高橋純訳

 シュトラスブールの天文大時計は当時の技術の結晶といえるものかもしれません。その巨大さだけでなく、精巧な仕組みによって「時」が刻まれ、天体の運行が表現されるさまはあたかも人が宇宙と『時間』を完全に支配したかのような印象を与えたのではないでしょうか。

Strasbourg astronomical clock シュトラスブールの天文大時計(英語)

 科学はもはや「原理」や「魂」や「本質」にかかずらうにはおよばない。
 以後科学がなすべきは自然のメカニズムのさまざまな仕掛けの発見となる。そこで、ヨーロッパ人にとってはくだんの機械の比喩が重要となる。
17世紀にボイルはストラスブールの大時計にたとえた。
 機械技術の実践が行き着いたところに<機械論>哲学が生まれたのだ。
 ニュートンはこの(機械論)哲学の誕生の経緯と意味を見抜いていた。
 『自然哲学の数学的諸原理』のはじめに彼は書いている。
 <幾何学は力学的実践によるものであり、力学全般の中で測量術を精確に提示し証明する一分野以外のなにものでもない。>

「ニュートンと魔術師たち 科学史の虚像と実像」 ピエール・チュイリエ 高橋純訳

 ニュートンは幾何学を「測量術」と考え、ものの動きを計測するためのものであると述べています。
 それは物体の動き、天体の運行を測定できるものとしており、計測すれば、将来にわたって天体の動きを把握できます。すなわち、未来は予測できるものということになります。
 天体の動きが再現される天文時計とは、現在の「時」だけではなく、未来を正確に表現する機械なのです。

機械仕掛けの霊魂

 ニュートンと同時代のライプニッツは霊魂から精神と物質を構成する要素を考え、それを彼自身のモナドとして発展させます。

 ライブニッツの着想の端緒となったものは、すべての言葉がアルファベットの結合から成りたっているように、もし人類の思想のアルファベットを見いだすことができれば、それのあらゆる可能的な結合によって人類のいっさいの思想が導きだせるはずであるという構想である。
 あらゆる可能的な結合の中には、既知の知識が含まれているだけでなく、未知の知織が含まれ、したがって未知の真理の発見の万法にもなるであろう。それによって、人類の全知織が組織的に構成されることになる。
<中略>
 すべてのものを、究極的要素へと分析し、その要素からの再構成として理解しようとする機械論的思惟は、とくに近代の科学的思惟の特色である。

ライプニッツ モナドロジー 形而上学叙説 中公クラシックス
清水富雄 竹田篤司 飯塚勝久訳
「来たるべき時代の設計者」下村寅太郎

 モナドのおのおのはそれ自身の閉じた宇宙の中に在って、天地創造のとき、すなわち無限に遠い過去から、無限に遠い将来まで完全に因果の鎖につながれているのである。それらは閉ざされてはいるが、神の予定調和によってたがいに対応している。
 ライプニッツはモナドを、天地創造のとき以来永遠に歩調を合わせて時を刻むようにねじを巻いた時計の群になぞらえている。
 人間のつくった時計とちがい、くるってくるようなことはない。
 それは創造主の不可思議な完全無欠の卸業によるものであるからである。
 ホイへンスの弟子として当然のことであるが、ライプニッツは、時計じかけにならってつくった自動機械の世界を考えたのである。
 これらは外界に実際何も影響をあたえず、また外界からの影響をうけることもない。ライプニッツのいったとおり、モナドは窓をもたないのである。

「サイバネティックス」 ウィーナー著
――動物と機械における制御と通信――
池原止戈夫・彌永昌吉・室賀三郎・戸田巌訳

 『時間』、宇宙、モナドは機械仕掛けの比喩で語られるようになり、時計のように動くものとして説明されます。
 そして同じように動物や人体についてもバネと歯車で動くものになっていきます。

ヴォーカンソン[フランスの機械技術者1709-1782]の消化鴨]は生理現象を説明するのに機械の比喩を使うことが多かった。
 メルセンヌ卿によれば動物の生理や行動は必燃的な因果の連鎖として、機械論[力学]的に解き明かされるはずのものだった。彼が《おもりやそれを引っ張るバネによって歯車が動く》時計がモデルになると言いきっているのが面白い。
 『人間論』の中でデカルトも人聞を〈時計、人工噴水、水車などのような機械〉と同じように組み立てられた一つの機械と考えている。
 生命原理が増えればふえるほどエンテレキー[生気論の鍵慨念]などはますますつかみどころがなくなってしまう。だから生き物は皆自動機械と割り切った方がよい。
 18世紀には唯物論哲学者ル・メートル※が『人間機械論』でこうした思想に絶大な力を与えることになる。
 彼は好んで人間をヴォーカンソンの作った自動人形にたとえるのである。

「ニュートンと魔術師たち 科学史の虚像と実像」 ピエール・チュイリエ 高橋純訳

※訳書では、「ル・メートル」となっていますが、「ラ・メトリー」が正しいと思われます。

Digesting Duck 消化鴨(英語)

模倣(コピー)と創造

 天文時計は宇宙のコピー(模倣)でした。
 宇宙を模倣して創り出すことができたら、人間(生命)も同じように模倣して作りだすことができるはずです。
 『時間』、宇宙、モナド、人間は、すべて目に見える部品で構成されており、分解してバラバラにしたあと再び組み立てることができるので、必要なものはその設計図(Plan)と工具(Tool)、そして技術者(エンジニア)です。このとき既に生命の設計図というゲノム(Plan)と工具としての遺伝子編集技術(Tool)は工作者の視野に入っていたといえます。

 ではなぜ、宇宙と人間(生命)を作ろうとするのでしょう。


もう一度、「フランケンシュタイン」を読んでみてもいいかもしれません。


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