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【小説】同じ空の保田(やすだ)さん~regret~ 37

 人からの援助を受けた時。

 こともなく素直に感謝を示して終わらせることができる性分の人もいれば、その分、こちらからそれ相当のものを返さねば気が済まない人もいる。

 前者の方が、きっと得だ。
 そして、人に頼ることに抵抗がなく、楽に生きて行けるのだろう。

 自立とは、自分の脚の力のみで立つこととは限らない。
 誰かの力を借りながら自分の脚で立っているのもまた、自立と呼べる。

 そうして、お互いに力を貸して支え合いながら立つことが、人と人との理想的な関係なのだろう。






 約束の時間より10分早く、駅前のカフェに着いた。
 それなのに、ぜんちゃんはもうそこにいる。先日と同じ席でノートパソコンに向き合い、左手で頬杖をつきながら何か考え込んでいるみたいで。
 ただ、今日はスーツではなく、黒いTシャツの上に、ボタンダウンの白い長袖シャツを羽織り、ライトベージュのチノパン姿。その足元に、適当なスニーカーではなく茶色の革靴をあわせているところが、仕事柄なのか見た目の品の良さに気を使っている人なんだな、と思った。
 相変わらずシャツの袖を肘の辺りまで捲っているのが、なんだかちょっと嬉しい。

「 ………お待たせしてすみません 」

 約束より早く着いて、すみませんも何もないはずだけど、一応そう声をかけた。

 彼は顔を上げてすぐ立ち上がろうとしたのを、そのままで大丈夫ですから、と制して、彼の向かいの椅子に座る。

「 あの、……いつも早いんですね、寺崎てらさきさんは 」

「 ええ、まあ………今はニュース読んでただけですけどね 」

 そう言いながら彼はノートパソコンを閉じた。それから、あらためてわたしに一礼して、

「 今日は、どうされましたか? 」

と心強い笑顔をわたしに向ける。

 どうされましたか?というのは、わたしの方から連絡をして彼を呼び出したからだ。



 一週間ほど前のあの日、帰宅して善ちゃんからもらった今後の法的な手続の一覧表をあらためて読んでみた。それを真剣に見れば見るほど、自分だけで進めることに不安が募る一方だった。
 しかも、言われたとおりにとりあえず戸籍謄本を取り寄せてみると、よくわからないことが出てくる始末。
 そこで、今回はわたしから善ちゃんに連絡をして相談をお願いしたのだ。


 本格的な梅雨の時期。
 傘をさしてお店まできたとはいえ、身体にまとわりつく湿った空気が店内の空調で一気に冷やされる。こういう人工的な寒さはひどく苦手だ。

 わたしは、お水を運んできた店員さんにホットのカフェラテをお願いしてから、バッグに入っている書類をごそごそ取り出す。

「 ちょっと、これを見ていただきたくて。……今日くらいは、わたしの方が都心に行くべきなのに…… 」

「 いえ、今日は特に予定もありませんし、家からここまで来るのはそれほど苦ではないですから 」

 逆に、この青砥あおとから毎週善ちゃんの住む荻窪まで行くなんて、わたしなら正直面倒に感じてしまう。だから、中間地点のどこかで待ち合わせることを提案したにも関わらず、彼の方が今回も青砥まで行くから、と言ってくれたのだ。

「……実は、俺が生まれ育ったのは千葉ですけど、親父の出身が柴又なんで、子供の頃何度かこっちの方に遊びにきました。お正月にすげぇ混雑してる帝釈天に行ったり。だから、この辺りが全く馴染みのない地域ってわけでもないんですよ。
それに、ここのお店の眺めも気にいったし。ここから見えるあの緑が、なんか落ち着くんですよね 」

 そう言って、善ちゃんは窓の外に目をやる。
 昭和レトロなカフェのこの席は、わたしの好きな場所のひとつ。母と姉が亡くなる前は、一人でくつろぎたくてここによく来ていた。
 丁寧にニスを塗り重ね、静かな艶を纏う古い木の壁と出窓。
 アイビーの小さな鉢植えが置かれ、ガラスの向こう側には、立ち並んだ商店がちょうど途切れて小路が真っ直ぐ向こう側へと伸びている。その先には公園があり、手前に並ぶ商店街の上まで樹々が伸びて、色鮮やかな緑を広々と繁らせている。それは、雨模様でもちょっとした絵になるくらい。

 自分が好きな場所を誉めてもらえて、わたしは気分が良くなった。 


 善ちゃんが、窓の外からわたしに視線を戻す。

「 ……あ、すみません。それで、見てほしいものって? 」

「 教えていただいたとおりに戸籍を取り寄せてみたんです。
それで、姉の方なんですけど…… 」

 わたしは彼に戸籍謄本二通を差し出す。
 彼はそれを受け取り、「 拝見してもよろしいですか? 」と丁寧に断りを入れてから目を走らせる。が、10秒もしないうちに顔をあげてわたしを見る。

「 ……姉と瑞季みずきって、同じ戸籍じゃないんですね。父親の天野あまのさんと瑞季だけの戸籍って、これって、このままで大丈夫なんですか? 」

と、わたしはその戸籍謄本を見て抱いた不安を告げた。

「 心配するほどのことじゃありません。離婚しても、別に親権者と未成年の子供が自動的に同じ戸籍になるわけじゃないので 」

「 え、そうなんですか? 」

「 この場合だと、家庭裁判所で許可をもらってから、お子さんがお母さんの方の戸籍へ移る届出をしないと、同じにはならないんです。
どうしてこのままにしてあったかはわかりませんが、まあ、推測ですが、離婚された時期が、ちょうど世の中が混乱していた頃ですからね……離婚届を出すので精いっぱいで、他の手続まであれこれ手続される余裕もなかったのでしょう 」

 また家庭裁判所という言葉を聞かせされてちょっとうんざりしつつも、たった数秒しか見ていないのに、姉の離婚が謎の流行り病の大流行で世の中を震撼させた時期であることまで把握した彼に驚いた。
 なんだかすごい、やっぱり弁護士ってすごい人なんだ、すごい、と子供の単純な感想みたいにすごいすごいという言葉を頭の中で並べて感動してしまった。

「 気になるのは、その点だけでしょうか? 」

「 ……これって、何もしなければずっとこのまんま、ですか? 」

「 そうですね。瑞季さんが、例えば結婚などでこの戸籍から抜けるか、分籍ぶんせきといって、自分だけの戸籍を作る届出をして抜ければ、天野さんとは別の戸籍になります。
このままでも、法律上不利益を受けることはありませんが、ただ………もし、天野さんが他の女性と結婚される場合、その女性の氏を名乗るとすれば、天野さんだけが抜けて、この戸籍に瑞季さんだけが残ります 」

「 ………そんなことって、あるんですか? 」

「 実際に起こるかはわかりませんが、手続的にはありうることです 」

「 じゃあ、逆に天野さんが再婚する時、その奥さんが天野さんの名字を名乗ることになったら? 」

「 この戸籍に、お相手の女性が入るでしょうね 」

「 知らない女性と瑞季が、一緒にここに載るってことですか? 」

「 そういうことになります。まあ、そんなケースも多々あります 」

「 その………瑞季だけ、結婚しないまま一人の戸籍に分けるって、それって家庭裁判所の許可っていうのが必要なんですか? 」

「 いえ、18歳以上なら、一人で役所に届け出ればできます。瑞季さん、誕生日が5月でもう16歳になってますから、あと2年ですね。
不利益はないとはいえ、お父様の再婚相手と一緒にというのは、そのままでは何となく嫌だと思われる方も多いのも事実です。
逆に、こう言っては失礼かもしれませんが、連れ子で承知で結婚するという場合は別ですが、再婚相手のお子さんが戸籍に残っているのを気にされる方もいらっしゃいます 」

「 もう、姉と瑞季と同じ戸籍になることは無理なんですか? 」

「 残念ですが、今となっては……お姉様がご存命であれば、手続できたと思いますが 」

 そこまで話すと、善ちゃんはわたしに戸籍を返してくれた。
 彼の説明で状況は理解したものの、複雑な気分になってしまった。

「 ……ま、戸籍なんて、所詮は日本人であることの登録にすぎません。
今は色々な手続で目にしなければならないでしょうけれど、戸籍を使うことなんて、日常ではあまりないでしょう。
ただ、気になるようでしたら、瑞季さんが18歳になってから早めに分籍すればよろしいかと。瑞季さんが知らないうちに、父親の天野さんが密かに再婚されることも、絶対にないとは言えないでしょうから 」

 姉と結婚した頃から、無口でいつも疲れたような顔をしていて、いわゆるくたびれたサラリーマンにしか見えない天野さんが、女性と親しくする様子なんてまったく想像できなかった。
 でも、彼の再婚が絶対に絶対に起こらないことだとは確かに言いきれない。

「 ………そうですね。わかりました。そのうち、瑞季に説明して相談してみます 。
ありがとうございます 」

 わたしは丁寧にお礼を告げて、戸籍を自分のバッグにしまう。
 手を動かしながら、思い切ってもう一つお願いをしようかと、頭の中で言葉の段取りをする。

「 ……瑞季さんは?今日は学校ですか? 」

 ブラックのアイスコーヒーを一口飲んでから、善ちゃんが口を開いた。

「 今日は土曜授業なんですって。おかげ様で、先週寺崎さんとここでお話してから、元気を取り戻して、学校も月曜から毎日行ってます。今日の午後は部活に顔を出してみるって言って出かけました 」

「 へえ、部活って何を? 」

「 今日は漫画研究会だったような……なんだか、活動のゆるい弓道部に週三回と、漫画研究会に適当に行ってるみたいです。
…………あの子が中学生になるのと同時に、姉が離婚して横浜からこっちに引っ越してきて。
しかも、世の中が停まってしまって中学校も入学早々休校で。友達もできないし、スマホも持たせてもらってなかったんで小学校の時の友達とも音信不通になっちゃって。
それで、家にこもっているうちに、すっかり漫画とアニメとゲーム漬けになっちゃったんですよね……。
そのうち、学校は始まりましたけど、部活に入るとかそんな気分じゃなかったみたいです。運動もそんなに得意じゃないみたいだし。
希望の高校にがんばって受験して入って、ようやく学校らしい生活が始まって。友達も新しくできたみたいだし、弓道は、好きな漫画の影響みたいです 」

「 高校が楽しそうなら、それはよかったですね 」

「 そうですね…… 」

 瑞季が元気を出したきっかけが、人気声優カメダキチノスケに似た善ちゃんの声を聞いたことだなんて、ちょっと話しにくい。
 と、瑞季のことをあれこれ話している場合ではないことに気づいたわたしは、少し姿勢を正す。そして、なるべく仕事モードの丁寧な喋りをするよう気を使いながら、彼に話しかける。

「 ……寺崎さん、あの、今後のこういう、色々教えてくださった手続のことなんですけど、やっぱりお願いしてもよろしいでしょうか?
段取りなどはすべて寺崎さんにおまかせいたしますので……やっぱり、わたし一人で進めるには、ちょっと負担に感じまして 」

「 ええ、もちろんです。俺でよければ、お任せください 」

 善ちゃんは、頼りがいのありそうな笑顔と二つ返事で承知してくれた。
 ほっとして、ちょっと泣きたい気分になった。
 でも、きちんと相談しなければならないことがまだ残っている。

「 ………それで、報酬のことなんですけど 」

「 それでしたら、先日お話したとおり、結構ですので 」

「 そうは言っても、ただでさえお忙しいところにこちらの件までお願いして、さすがに実費以外無料というのも………他の弁護士さんなりに依頼したら、報酬が発生するのが当然のことですし。
ご縁があって、こうして信頼できる方にお願いできるのは大変ありがたいことです。そのうえ、その、無償でというのは……できれば、それはそれということで、きちんとお示しいただいた方が、わたしとしては安心するんです 」

 自分の思いを正直に伝えた。
 交通事故がなければ、縁もゆかりもまったくない赤の他人のままだったに違いない善ちゃんに、そこまで甘えるのも気が引けてしまう。


 黙ってわたしの言葉を聞いていた善ちゃんが、ゆっくりと話す。

「 ………そこまでに気にされるのであれば、………じゃあ、………金銭じゃない形でも、よろしいですか? 」

 言葉は丁重だけど、少し上目遣いで探るように、善ちゃんはわたしを見つめる。
 その眼力めぢからに射抜かれたように、わたしの身体に一瞬痺れが走る。




 
つづく。

(約5100文字)

*『 regret 』とは、『 心残り 』を意味するの英語です。
1~34話までがnote創作大賞2023の応募作品で、その続き部分の話に『~regret~』とつけてあります。


最初のお話と、創作大賞の最終話部分のお話です。
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このお話の前話です。よろしければ ↓


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