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【小説】同じ空の保田(やすだ)さん~regret~ 47

 気力のスイッチ、記憶を喚起するスイッチ。

 ほんの些細なことで、気にもとめない一瞬で、それはいとも簡単に押される。

 あんなに頑なかたくで動かなかったのに。

 スイッチがあることすら、時には忘れてしまうのに。


 誰にでも必ずあるのだ。

 切り替われるスイッチが。
 動き出せるスイッチが。






 外苑の球場に来たのは何年ぶりだろう?
 グッズのショップは昔より明るく、なんだかキラキラ度合いが増している。
 食べる物もあまりなかったような。当時の彼氏と一緒にコンビニで観戦のお供の品を買って行った記憶がある。
 国立の競技場もリニューアルで綺麗だ。


 ぜんちゃんに指定されたゲートの前に瑞季みずきと行くと、彼はもうそこに立っていた。
 待ち合わせてわたしの方が先に着いたのは、映画の試写会に彼が仕事で少し遅れた時だけ。

 Vネックの黒Tシャツのサイズがタイトすぎずルーズすぎず、筋肉質の身体にモノを言わせて上半身がラインが際だっている。
 ダークネイビーのジーンズの足元に合わせた赤いスニーカーが、夕暮れ時の灯りの中でよく目立つ。
  

 おまたせ、と声をかけると、スマホに落としていた視線をこちらに向け、わたしたちを交互にチラチラ見てからふっと頬を緩めて彼は目を逸らした。

「 ……え、なに?どこか変?」

 その反応が気になって眉をひそめながら問いかけると、

「 いや、別に、うん。ごめん、大丈夫大丈夫 」

と再びこちらの方を見て答える。
 取り繕うように真面目な顔をしようとしても、隠しきれない笑みがまだ残ったまんま。
 何が大丈夫なの?むしろ、どこか駄目なの?
 これでも、それなりにスポーティだけどオシャレなアラフォーみたいな恰好をネットで調べてそれっぽくして来たんだけど?
 それが何でしょうか?痛いとでも?
 普通に綺麗めグレーのパーカーに白いジーンズですけど?
 黒のリュックサックがわたしに似合わないとか、そういうこと?

 突っ込み返す言葉が溢れそうになるのを頭の中で整理していると、

「 なに?その笑い。なんだかキモいんだけど 」

と瑞季がストレートに言ってくれた。

「 悪い。そうだよな、感じわりぃよな、うん。ほんと、ごめん。二人がどうっていうんじゃないから気にしないで。
 ほら、球場なんて久しぶりだから、俺もテンションおかしくて。
 ああ、瑞季、何食う?スタグル目当てなんだろ? 」

 喋り終わると誤魔化すように善ちゃんは歩き始めた。

 瑞季は怪訝な顔を変えなかったけど、わたしはそれ以上追及する気を失くしてしまった。
 何となく笑いながら、行こうか、と瑞季に声をかけて善ちゃんの後ろ姿について行った。
 


***



 善ちゃんがとってくれたシートは、ライトスタンドの真ん中寄りの、前から15列目くらい。通路の端からみっつ。出入りしやすくて快適だ。

 プレイボールから観戦開始。両チームのピッチャーが絶好調で、毎回ほとんどのバッターが凡退で試合が進んだ。

 善ちゃんは、本当に無邪気に野球観戦に興じている。『 大人になっても少年のままの瞳 』、そんな表現がぴったりすぎる。  
 ピッチャーが投げる合間に、自分はセンターだった、打順はがんばっても5番止まりだった、中学、高校時代の県大会は最高で準決勝、それ以上進めなかったのが心残りだ、と自分の野球経歴やエピソードをちょいちょい語る。
 わたしも野球は好きなので、そんな話も楽しく聞けた。これがサッカーの話だったら、別れた元夫のことを思い出してしまって、内心穏やかではいられなかった。

 


 四回の表に入った。

 試合前にメロンパンと唐揚げとポテトフライを買って頬張ってた瑞季は、投手戦に退屈してきたのか、なんか食べるもの買ってくる、とシートを離れた。

 善ちゃんはビールの売り子さんから今日二杯目のビールを受け取り、真夏のこういう所のビールってウマイよなぁ、何杯でもイケる、とご機嫌な様子。

「 ねえ、さっきの笑い、本当は何だったの? 」

 やっぱり気になるから、彼と二人になったら聞こうと思ってた質問をやんわりと振ってみた。

「 ああ、………言ってもいいけど、引かない? 」

「 それは、聞いてみないと何とも言えないなぁ…… 」

「 じゃ、やめとく。引かれたくないから。けど、そんなに悪い内容じゃないと思うけどね 」

 わたしが自分の辛いことを善ちゃんに話し始めた時、何を聞いても引かないと真っ直ぐ断言してくれたことをふと思い出した。

「 ……じゃあ、引かない 」

 彼は小さく頷くと、マウンドの方に目をやって話し始める。

「 ……俺もオッサンだよなぁ、ってつくづく思うよ 」

「 なんで? 」

 わたしより二つ年下のうえに実年齢より5歳近く若く見える自分のどの辺りをオッサンと言うつもりなのか。

「 二人が来たら、なんか嬉しくなっちゃって。女性と野球観れるなんて、しかも、大人の人と若い子とさ、二人もいっぺんに。俺って贅沢だよなあーって。正直、あの先生と来るより二人と来て正解だったな、と 」

「 うれしくてニヤニヤしちゃった、ってこと? 」

「 ま、そういうこと 」

 確かにオッサンかもしれないけど、わたし達にガッカリするよりは断然いい。ちょっと嬉しくもある。
 けど、それはどういう目線なの?
 
「 ああ、その、……そんなに変な意味じゃないから安心して。オッサンなら誰だってオッサンと観るより女性の方が嬉しいと思うけど?そんな感じ。
 まあ、オッサン同士でビール飲みながらも悪くないけどさ 」
 
 そう話してから、カップのビールを一気に流し込む。彼の喉元が動く。男の人のこういう姿を見るのは何年ぶり……?いや、そうでもない。わりと最近見た気がする。でも、すぐに思いだせない。

 「 オッサンより女子と来た方が嬉しいなら、いくらでも誘える人が他にいるんじゃないの? 」

「 でも、誘いたかったのはこずえさんと瑞季なんだよね 」

 ……… 他に誘える人がいるのは否定しないのか。
 どう返していいのかわからない。 

「 そうだったんですか……それは大変光栄なことでございます 」

 ちょっとすまして言ってみたら、彼は何だそれ!と爆笑した。
 何がツボで笑われたのかよくわからない。
 ただ、不思議なのは、この人に笑われても馬鹿にされているのではなく、つられてつい楽しくなってしまうこと。
  
 この話はもういい。会った時に笑っていた理由を説明してくれたし。要するに、にやけてしまった、ってことか。彼が言ったとおりそんなに悪い話じゃなかった。

 そこにちょうど、お好み焼きとホットドッグとチーズドッグで両手がいっぱいの瑞季が戻って来た。

 試合は四回裏に突入している。

「 おまえ、また一度にいろいろ買ってきたなぁ!さっき何か食ったばっかりだろ ! 」

 善ちゃんが呆れたように大笑いする。
 さっきから、何かにつけてよく笑っている。テンションが上がってるのは本当かもしれない。
 

「 うるさいなあ。せっかく来るなら好きなものを好きなだけ食えって言ったのは、ゼンキチでしょ? 」

 瑞季はわたしの左側のシートに座ると、ホットドッグにかぶりつくことから始める。

「 そういえば、善ちゃんてどうしてゼンキチなのか、瑞季から理由聞いてる?」

「 ああ、イケボの声優に声が似てるとかって、その名前からとったんだって?そうだよな?瑞季 」

 善ちゃんがわたしを挟んで瑞季に話を振ったけど、食べるのに忙しい瑞季は口をむぐむぐしながら、んー、と適当な返事をするだけ。

「 カメキチって人ね。カメダキチノスケ 」

「 そうそう、その声優 」

 善ちゃんが、少しだけわたしの右の耳元に口を寄せる。

「 ……… 俺って、そんなにイケボ? 」

「 ……………… 」

 
 わざと普段より低めに発した彼の声色は、間違いなく人、特に女の心を掴む魔力があった。


 でも、善ちゃんの声はわたしの心を奪ったのでなく、別の鍵を唐突に開けた。

 

 ────── わたしの記憶の引出しが一気に開いて、そこにしまわれていた記憶が脳裏に散らばった。

 無線の声でわたしの耳の奥から心臓まで突き刺した、あの声が。

 立ち話で耳元をくすぐった、あの声が。

 冬に斉木さんと飲んだ後、静かな公園で聞いた、あの声が。


 ………… 保田やすださんの声が。

 思いだした。っていうか、色々ありすぎて、忘れていた。

 保田さんのことを。



「 ──── ごめん、調子に乗りすぎました。すいませんでした 」

 ノーリアクションのわたしが機嫌を悪くしてると思いこんだのか、善ちゃんが頭を下げて謝って来た。

「 …………あ、うん、間違いなく善ちゃんもイケボ。うん、大丈夫大丈夫」

「 怒った? 」

「 え?今ので何を怒るの? 」

「 だって、梢さん、固まってたから。怒らせたのかな、って 」

「 怒ってないよ。けど………わたしをからかったの? 」

「 そんなんじゃないよ。ただの調子こいた悪ふざけ 」

「 んっ! 」

 瑞季が食べ物で口を開かないまま、喉の奥から高い声を上げる。
 それと同時に、スタジアムの空気が一瞬で昂った。

来い!!来い!!来い!!
入れ入れ入れ入れ入れ!!

 悲鳴のような願いの声があちこちで激しく飛び交う。

 ホームラン性の打球が、わたし達のいるライトスタンド側に向かってきてる、経験値が咄嗟にそう判断する。

 打球の行方を見守り誰もが息を飲む、ほんの一瞬の静寂。
 そして、一気に湧きあがる大歓声。

 入った、らしい。
 見えてなかったけど、ホームランが。

 入った?!すげーな!!と善ちゃんも目を輝かせている。
 彼の応援するチームが対戦相手、つまり失点した側なのに、それでもめちゃめちゃ嬉しそう。本当に野球を観ているだけで楽しめる人なのだろう。

 ボルテージが最高潮の雰囲気で、急に昔の血が騒ぎだす。大ファンだった自分にスイッチが入った。

 …… 見逃した。打った瞬間も、入るボールも見届け損ねた。
 悔しい、…… ちゃんと見たかった!
 せっかくのホームランだったのに……!!

「 ああっ、もう!!善ちゃんが変なこと言うから!!見逃したじゃないの!!ホームランだったのに!!怒ってるよっ!!今、怒ってるよ!! 」

 素の状態で、狂喜乱舞の観客の声に負けないくらい大声で善ちゃんに訴えた。

「 マジでごめん!!ほんと、今のは俺が悪かった!!すいませんでした!!」

 両手を合わせながら同じくらいの声で善ちゃんは謝った。

  

 そんなわたし達に、瑞季がわたしの服を引っ張りながら割り込んでくる。

「 ねえねえ、今打ったのが、ギョウザのヤマガミだよね? 」

 一瞬、ギョウザ?と訳がわからなかった。けど、スタグルを選手がプロデュースしているらしく、ヤマガミくんという選手がギョウザのメニューを担当していたのを思いだした。

「 そうそう、四番打者の山神ね。大卒でプロ入り三年目、今年は打ってるらしいぜ。今のところ、ホームラン王に打点王。ホームランは今見てただろ?打点てのはな………  」

 野球のルールも選手もよくわかっていない瑞季に、善ちゃんが色々と講釈してくれた。

「 ──── それで、今度ヤマガミが打つのって、いつ? 」

「 そうだな、今、四回裏のツーアウトか。このまんま相手のピッチャーが打たれなかったら七回……早ければ六回かな 」

「 わかった 」

 瑞季はきっぱりと返事をすると、味わう時間も惜しむように猛スピードでチーズドッグをお腹に送り込んだ。


 ……… この子はいったいどうしたんだろう?

  




つづく。

(約4800文字)


*『 regret 』とは、『 心残り 』を意味するの英語です。1~34話までがnote創作大賞2023の応募作品で、その続き部分の話に『~regret~』とつけてあります。


おそろしいほど長々と連載してます。マガジンにまとめてあるので、よろしければ ↓

同じ空の保田(やすだ)さん|🟪紫葉梢<Siba-Kozue>|note


このお話の前話です。よろしければ ↓

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