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【小説】同じ空の保田(やすだ)さん~regret~ 46

 祈っても願っても、止まなかった雨はあるだろうか。
 
 ずぶ濡れになっても、ひたすら打たれ続けるしかなくて。

 自分の力ではどうしようもなく、とにかく根腐れしないよう心を保ちながら、時の流れを信じて耐えるしかなかった。

 濡れたら身体を拭き、また濡れたらまた拭いて。

 目の前のことを精一杯拭い続けて。


 ふと気づいたら、ようやく小雨になってきていた。

 見上げた空の雲の切れ間に見えたのは、青空の予感。




 
 11時には寝て、5時に起きた。
 顔を洗ってパジャマからTシャツとリラックスパンツに着替えて、日焼け止めを顔と首と腕にしっかりと塗りたくる。
 それから、タイマーをかけておいた洗濯物を干す。

 今の時代、都内の真夏は夜でも鈍い空気が漂っている。ほぼ24時間運転のエアコンの機械的な熱が覚めることのない日々。
 窓から入る涼やかな風が、小学生のわたしの寝ぼけ眼をそっと撫でて起こしてくれた遠い夏休みの記憶が懐かしい。


 ひと仕事終えてからスマホを見ると、ぜんちゃんからのメッセージの着信が表示されていた。

 彼に会うと必ず、その日の夜に諸々のお礼を伝えている。
 昨日もいろいろ微妙な気持ちになったとはいえ、今日はお疲れ様でした、チケット本当にありがとう、と10時頃にメッセージを送った。
 寝る前に確認しても、既読になっていなかった。
 
 彼のメッセージを開く。
『 おはよう。返信遅くなってごめん。瑞季みずきから聞いたかもしれないけど、飲んでて遅くなってしまいました。昨日は、よく眠れましたか? 』
と一方的な説明と質問が並んでいる。
 

 直接話すとくだけた口調なのに、メッセージだと少しだけよそよそしい人になる。
 それに、用事がある時や会った後の社交辞令的な挨拶以外、彼とは特にやりとりはない。
 Z世代は暇つぶしで気軽に何か送るのかもしれないけれど、お互いアラフォー以上の歳だし、こんなものだろう。

 よく眠れましたか?との言葉は、彼のお陰でわたしが大好きな推しに会えて、その後シアワセな気分で過ごしたと信じているからに違いない。
 あなたの一言でずっとモヤモヤしてました、とわざわざ言うのもどうかと思って、

『 おかげさまで、ちゃんと眠れました。ありがとう 』

 とだけ返した。寝たことは寝た、嘘じゃない。

 すると、すぐにまた彼からメッセージが届く。

『 今度、よかったら野球見に行きませんか?19日の週が仕事休みなので、その辺りで予定が合えば 』

 ……… 野球?プロ野球のことよね?
 唐突にまた、なんで?

 そう思っていたら、突然電話の着信音が響く。
 今まさに文字だけやりとりしていた善ちゃんからだ。

『 朝からごめん、今、ちょっとだけいい?話した方が早いと思ったから 』

 うん、大丈夫、と答えると、彼は話し始める。

『 たしか、前に言ってたよね?若い時よく球場に行ったって。昨日、途中から一緒になった先生が、野球が大好きでさ。時間があれば仕事帰りにスタジアムに寄る人なんだよ。
で、野球のこと話してるうちに、俺もなんだか久々にちょっと見に行きたいなって思って。学生の頃は俺も結構行ってたんだけど、いつのまにか全然行かなくなったなーって思ったら、無性に行きたくなっちゃって。俺が休みの時なら都合も合わせやすいと思うんだけど、どう? 』

 メッセージの文字数の5倍近くの言葉を彼は一気に勢いよく喋った。
 昨晩飲んで遅くに帰って、6時間も寝てない感じなのに、朝からずいぶん元気だこと。体格のよい見た目のとおり、タフな人なのかしら。

 20代の頃のわたしには好きなプロ野球チームがあって、年に数回だけど本拠地のスタジアムに足を運んでいた。
 雑談でそんなことを話した気もするけど、よく覚えていない。でも、彼の方は覚えててくれたみたい。

「 ………その先生と行くって話にはならなかったの? 」

『 そうなりかけたけど、結局仕事の関係で予定合わない感じで。それに、その先生は横浜の方の人だから、普段はそっちのスタジアムに行くらしいんだよ 』

「 わたしは特に仕事してないし、善ちゃんに予定を合わせれば行けるけど…… スタジアムってどこの?」

『 どこでもいいよ、こずえさんの行きたい所で 』

 彼の好きな球団を尋ねると、関西のチーム名を口にしたうえで、野球ならどの試合でもテンション上がって楽しいから気にしないで、と彼は付け加えた。

『 あと、瑞季もさ、無理にじゃなくてもいいけど、もし興味あるなら。高校は夏休みだし、多少は夜遅くても平気だろ? 』

「 行くかなぁ?………聞いてみるけど、行かないって言ったら二人でもいいの? 」

『 もちろん。チケットは俺が取るからさ、希望の日と、瑞季も行くかどうか教えてよ 』

 うん、わかった、と答えて電話を終えた。

 瑞季がアニメ大好きでも構わないけど、まだ高校生なんだし、機会があるなら色々なものを経験してほしい。世界を広げてみるのは悪いことじゃない。


 
 そこへ、ちょうど瑞季が起きて来た。
 肩より少し長い髪が、あっちこっちの方向に跳ねている。
 眠そうに目を擦りながら大あくびして、冷蔵庫からペットボトルの水を取り出す。
 
 おはよう、と声をかけてから、さっそく善ちゃんの提案を伝えてみた。

「 野球?え、なんで?私も行かなきゃだめ? 」
 
 水を飲みながらわたしの話を聞いていた瑞季が、不満そうに口を尖らせる。

「 無理にじゃないけど 」

「 別にいい。ゼンキチと二人で行きなよ 」

「 でも、たぶんスタグルとかあるよ 」

「 スタグルってなに? 」

「 スタジアムグルメのこと。売店とか出店とかで、色々食べ物売ってるのよ。何が名物か調べないとわかんないけど、スタジアムごとに色々あるらしいよ 」

「 そうなの?じゃあ行く。スタジアムってどこにあるの? 」

「 ん-、まだ決まってないけど、たぶん外苑かなあ………」

 善ちゃんがどこでもいいなら、わたしが好きな球場にしてもらおう。
 そのつもりで瑞季にそう答えた。

 何が美味しいんだろ?とつぶやきながら、瑞季はさっそくスマホで何か調べている。食い辛抱だから食べ物で釣ったら行くのかな?と思ったら、案の定だった。
 

「 あ、瑞季、あとね、……… 」

 わたしの推し活旅行の時の善ちゃんの泊まり込みの件も確認しなければ。
 何となく伝えにくくて、実はまだ瑞季に話していなかった。

「 ………来月、わたし、ちょっと、長野に一泊しなきゃいけない用事があって 」

「 ふぅ~ん、わかった。行ってらっしゃい 」

 瑞季はわたしの旅行にはまったく興味なさそうに、熱心にスタグル検索を続けている。

「 …………それで、その日の夜、瑞季ひとりだと心配だから、善ちゃんが泊まりに来てくれるって言ってくれてるの 」

「 は?なんで?ひとりでも全然大丈夫なんだけど。ってか、なんでゼンキチがわざわざ泊まりに来るの? 」

 スマホから顔を上げた瑞季は、否定的な声をあげて眉をしかめた。

 嫌なのか………善ちゃんとメッセージをやりとりすると安心するって昨日言ってたのに、家に一晩一緒にいるのはさすがに無理か。
 いくら気さくで親切でイイ人で職業が弁護士で信用できそうだからって、血縁関係のない年上の男と一晩過ごせと女子高生に言うのはやっぱり変……?そんなふうに気になって、なかなか瑞季に相談できなかった。

「 ……… あー、無理にってわけじゃないから。ただ、わたしが瑞季をひとりにするのが心配だから。ほら、女の子だし、何かあると困るし 」

「 家にいたら何もないでしょ?家の鍵かけてればべつに不審者とか来ないし 」

「 でも、火事とか…… 」

「 火事になったら逃げればいいじゃん 」

「 瑞季が本当に困ったときに、ひとりぼっちで誰も頼れないのが嫌なのよ。じゃ、善ちゃんに近くのファミレスにいてもらうから、何かあったら彼に連絡してね 」

「 はぁあ?だから、ひと晩くらい全然大丈夫だから。過保護すぎじゃない?梢ちゃんは私の親じゃないんだし、そんなに心配しなくていいんだけど? 」

「 親じゃないけど、身内だから、瑞季に何かあったら嫌だし心配なの 」

「 ん~…………………… まー、修学旅行で先生が同じホテルにいるって思えば、ま、いっか。そんなに梢ちゃんが心配なら、じゃあ、やっぱり来てもいいよ。その辺で一晩て、ゼンキチがなんか可哀想だし 」

 承諾してくれた瑞季は、またスタグルを熱心に漁り始めた。あ、こっちのスタジアムだとこんなのある、とつぶやく。

 よかった。
 これで、来月のとぴ君の朗読会も無事に行けそう。
 しかも、今度はちょっとしたひとり旅。
 久しぶりに、自分時間を満喫できる。

 善ちゃんが家に来る。恥ずかしくないようにしっかり部屋を片付けておこう。
 徹夜で仕事するとは言っていたけど、さすがにお客様用布団くらい和室に置いておかないと。それには、あの雑多で乱雑な和室も片づけないと。
 姉がこの家に来る前の、わたしと母の二人暮らしだった落ち着いた部屋に戻すんだ。
 他の所もちゃんと掃除しておこう。
 
 わたしの部屋は……入らないだろうけど、かと言って何があるかわからないから、万が一見られても恥ずかしく状態にはしないと。

 そうして、晴れ晴れとした気分で旅に出よう。

 急に何だか楽しみいっぱい、希望がいっぱいという晴れやかな気分が満ち溢れてくる。
 好きではないご飯の支度も、頑張れそうな気がする。

 野球の件を彼に返事しておこう、とスマホを手に取る。
 瑞季に予定を確認してから、こちらの希望の曜日とスタジアムは神宮外苑がいいと伝えると、すぐさま善ちゃんから『 了解です 』と返事がきた。

 野球か。
 確かに、そういうパーッとした気晴らしもいいかもしれない。
 今となっては、わたしひとりでわざわざ球場に出かけることもない。
 誘ってくれる人がいるのは、ありがたいことだ。
 


 じゃあ、朝ごはんにしよっか、と誰にともなく言ったわたしの声は、ワントーン上がっていた。
 
 




つづく。

(約4000文字)


*『 regret 』とは、『 心残り 』を意味するの英語です。1~34話までがnote創作大賞2023の応募作品で、その続き部分の話に『~regret~』とつけてあります。


おそろしいほど長々と連載してます。マガジンにまとめてあるので、よろしければ ↓

同じ空の保田(やすだ)さん|🟪紫葉梢<Siba-Kozue>|note


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