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AIに勝るものは『生の力』と『人の温度』

昨日、物を書いたり写真を撮ったりしたいんだ!とつらつらと書き連ねた。

そして今朝。
テレビのニュースがそんなわたし不安をさっそく煽る。
といっても、色々な方々、特に創作関係ではとっくに皆さん気がついていて、既に懸念していることだけど。
このnote界隈でも、しょっちゅう話題になっている。

そう、AIによる創作のこと。
記事タイトルにAIって思いっきり書いちゃってるしね。


昨日書き連ねた、というものです。
よろしければ ↓



今朝のニュースで紹介されていたのは、完全AI制作によるアメリカの映画作品。
脚本の生成みならず、人間の役者さんすら一人も登場しない。二次元アニメーションではなく、AIが造り上げた立体的な人物達が繰り広げる世界観の映画だ(といっても、人物がどう見えようが、そもそも映画が二次元でしょ?とも思うが。)。


製作期間約3ヶ月、携わった関係者の方は7名。
映画製作には、もっと多くの人手と時間と費用がかかる。
それらを大幅カットで映画が作れることになる。
関連して、AIによる仕事の減少を恐れた脚本家組合のメンバー達がAIのシナリオを使うなとデモ行動する様子や、実際の俳優さんの顔をご本人に無断で使って生成されたAI画像による作品制作の問題点なども紹介されていた。


色々な創作がAIで足りてしまうんじゃ?という議論は、とっくの前から行われている。
もう何十年も創作をしてきた方々すら、ご自身の仕事が減ることを懸念され、またAIとどう付き合っていくかと模索されている。

いわんや、わたしなんて、だ。

文字を書こう写真を撮ろうとようやく決断……というか腹を決めた……、いや、なんか、そういう感じでもないけど、とにかく今から本腰入れて書き始めます!みたいなわたしがAI様様の存在に適うわけない、っていうか、今さらわたしなんて要らないんじゃ?
って気持ちになるのは当然だ。

でも、じゃあやっぱり書くのも撮るのもやめます、というわけにもいかない。

別に、めちゃくちゃ稼ぐライターになりたいわけでも、大きな賞を取りたいわけでもないんだから、どこかの誰かにまず読んでもらえるように楽しんで書くしかないのです。



で、AI社会になったら人間の役割は?みたいな議論で、
『 人間力 』というワードが度々登場する。

この人間力って、何でしょうね。

AIになくて人間にあるもの。
それは生身と温度。
生身、とは、リアルタイムとかその場で瞬時に反応するとか、そういう感覚のものに置き換えてもいい。
温度とは、人間がその場その場で心地よく感じる温度だり、誰かの熱い想いや行動から感じる熱量のこと。

それらがこもった言葉を発したり、行動ができるかどうか。
人間力ってそういうものだとわたしは思っている。


とりあえずAIに絶対出来ないもの、その一つはスポーツや舞台などの『 生の人間が目の前で繰り広げている、筋書きのないドラマ 』だ。
舞台に関しては、台本はもちろんあるけれど、そのステージごとに演者さんの状態も、客席の反応も異なる。まったく同じ公演は何一つない。だから、そういう意味で筋書きのない創作なのだ。

スポーツ観戦や、演劇、歌舞伎など何らかの舞台に足を運んだ人ならわかると思う。
人が魅せる何らかのエンタメ空間、そこから生まれた何か、そのものが面白いと興奮したり心動かされたり、その会場の臨場感がクセになったり。
あれは絶対、AIじゃ無理。

無理じゃないとすれば、人間と完全に同じことができるサイボーグが存在する世界だ。
今のところ、AIの技術はそこまでじゃない。





逆にそこまでできちゃったら、もう人間なんていらなくなる。

例えば、『 夫婦はもともと知らない他人同士、お互い理解を深め合いながら愛を育んでゆく 』という美しい理念がある。

けど、そんなことはなかなかうまくいかないから、離婚もするし浮気もあるし。
それで余計に人生狂ったり余計すぎるストレスを抱えたり。


ご存知かもしれないけれど、今時の若い子達には、リアルな恋愛は面倒だという声が多くある。
人と深く関わるよりも、ゲームや映像系アプリとか自分の楽しいことをしていれば、面倒な人付き合いなんて要らないという表れじゃないだろうか。

結婚だって、最初から相性が最高の人の方がラクに決まってる。
余計な口論も喧嘩もすれ違いも苛立ちも不要。
見た目も感触も人間と全く同じの、居心地のいいサイボーグがあったらどうだろう?
もはや、サイボーグであることを忘れてしまうくらいに人という生物と瓜二つの。
しかも、自分好みの見た目にいくらでも造れる。
仕事から疲れて帰るとそんな存在が美味しいご飯を用意してくれて、掃除も洗濯も完璧にしてくれて、色んな話も聞いてくれて自分の求める言葉をくれて、徹底的に癒してくれて……、っていうことが保障されているなら、わざわざ今後どう変化するのかわからない生身の人間と結婚して一緒に暮らす意味なんてありますか?



と、若干脱線気味で、しかも思いっきり少子化促進の世界観を書いているけど。
しかも、人間要らないんじゃ?と人間力と離れたことを書いた気もするけど。

まあ、そこまでの技術がない現時点では、だからこそ人間力。
人の心に届く、刺さる、人の気持ちを少しでも動かす。
そんな言葉や行動を臨機応変にその場で生み出せる力とか、熱量のある姿を見せられるか、そんな人間がより求められるのかな、と。

ライブ感のあるエンタメはそれとして、生ではなく何かの媒体で届けるしかない創作物の場合はどうだろう。

生身とは言い難い。
熱量はともかく、温度といってもなかなか難しい。

創作に携わる人なら誰でも気づくはずだけど、AIに負けない創作は、その創作者自身が持っている『 らしさ 』で、創作を受け取った人の心に何かを残せるかどうか。
でも、それって、結局AI関係なく、本来創り手が持つべきものだよね。
AI使えば制作が早いとか自分ではできない工夫ができるとか、メリットはあるんだろうけど、最終的には人間の心を動かせるものを自力でプラスアルファできるかどうか。
温度を直接肌で物理的に感じさせるのは無理だとしても、受け手の温度を変えるもの。
色んな意味で、体温でも、心の中の熱量でも。
AIが膨大なデータから拾って来た文字の羅列じゃなく、そういう創作がきでる自分になりたい、いや、俺はなる(←漫画の、海賊王に俺はなる、的な)。

というわけで、ライブ作品に携わるシナリオライターになるとか、人の体温を変えられる何かを書けたらいいな。


ってことで、朝のニュースにくじけずに、今日もとにかく何かを書こう。
まぁ今日はこれを書けたけどね。


以前も、完全人型ロボットがいたら、ということを書いたことがある。
自分がそれを欲しいだけかもしれない。
その記事のリンクを貼りたいのだけど、見つからない、うーん。

さきほど、完璧AIサイボーグがいたら人間と結婚する意味なんてありますか?とか書いたけど。

やっぱり、人間の方がいいに決まってる。
だって、サイボーグなんだから、中身は機械だもの。

普段は忘れているとしても、たまに「 こんなに愛しい人は、造りものなんだよな 」って気づいたら、やっぱり虚しくなるんじゃないのかな?




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