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マッチングアプリは人間関係の構築を単線的な「手続き」にしてしまう…(日記 2024/8/15 木)

私のお盆期間は終わり、今日から仕事を再開している。とはいっても有休消化奨励期間中ということもあって現場はほとんど動いていないので、実質サボり放題だが、サボるはサボるで疲れるので、つまずいていた開発を少し進めた。

朝方、大学からの友人Mから「最近どう?」とLINEが届き嬉しい。私が名古屋へ行く前に「また連絡する」と言ってくれた、もともと数の少ない友人の中で、唯一本当に連絡をくれた。彼女は数年来このようにたまにLINEをくれるが、しかし普段LINEを全然見ていないらしく返事はあまりない。不思議な人だ。

今日はなぜかプルーストがずんずんと読める。ただずっと同じことが繰り返し書かれている。

ついにマッチングアプリにほとほと嫌気がさしてしまった。嫌なことがあったわけではない。ただもう本当にめんどくさくてやる気ない。至極ありきたりな結論になってしまうが、恋愛を前提に関係構築をスタートする、しかもチャットのやりとりでスタートする、その滑稽さと、そして何よりその圧倒的な虚しさに耐えきれなくなった。

マッチングアプリは、恋愛対象たりうるかという視点で相手を見、コミュニケーションを取り始めるかどうかを決定しなければならない。まずこんなコミュニケーションのとり方は現実では普通ない。

そして、アプリのプロフィール上の情報だけでは、私が興味を持てる相手というのはほとんどいない。
趣味はKPOPアイドルカフェ巡りユニバディズニーネトフリゲームコナン……。趣味なんだからもちろん個人の自由だし、それらの趣味自体を馬鹿にするような権利が私にあるわけがないのは重々承知だ。だが私はそれらについて話したいと思わない。思想や文学や芸術の話がしたいし、私より頭がよく私より詳しければなおよい。でもそんな人は全然見つからなかった。マッチングできなかった、ではなく、そもそも見つからない。以前住んでいた東京神奈川と比べてここ名古屋では特に。無論見つかったとて私がマッチングできるかどうかは別問題だけど。

注意してもらいたいのは、これはあくまで私が相手に「いいね」をするかどうかの段階における話だ、ということ。「話したい」相手を選ぶ段階でプロフィールしか情報がない以上、主に相手の趣味・興味関心でしか判断のしようがないという、マッチングアプリにしかない単純な構造的問題だ。

偶然の力によって生じる現実の出会い(が大人にとってこんなにないものかと驚くばかりだが)においては、事情は全く異なる。趣味も興味関心も学力も知識量も全く異なるのに、気がついた時には相手に惹かれている、ということが往々にしてありうるのは、皆様の経験が証明してくれるはずだ。

が、アプリではそれが存在しない。ここには一つ、マッチングアプリは人間関係の構築を単線的な「手続き」にしてしまうという、人間関係構築における重大すぎる欠点を指摘できる。

現実の人間関係の構築は「手続き」ではない。偶然による急激な接近、関係の理由なき消滅、渦に巻き込まれるような冗長さ、強制的なグルーピング……そういったものこそが、生き生きとした関係構築過程の促進剤なのだと思う。

数日前から行きたかったしゃぶ葉に人生で初めて行った。安い。美味くはない。夏休みということもあってか中学生や高校生の集団が多かった。久しぶりに中学生や高校生の集団を目にし、ちょっと近づきたくないな、と思った。

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