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花束は幸福の象徴で価格じゃない

「本日、お花が一本220円とお買い得です。いかがでしょうか~?」

いつも利用する駅中には花屋が入っていて前を通ると季節を感じる。最近は母の日のピンク色から紫陽花の淡い水色に変わり美しく、それは会社と家の往復で唯一の自然の彩で、心癒される瞬間だ。でも店員さんのその声が私の意識に入り込んできた時、実際に立ち寄るほど花に興味がなく、相場を知らない私が思った正直な感想は「お買い得?」だった。


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知らないことがたくさんある。毎日多くのことを学んでいるのにそれは簡単に忘れてしまようなことばかりだ。後で人に話そうと思ったことも、夢と同じように時間が経つと記憶から遠のいていくばかりで、結局誰にも伝えられず輪郭だけがぼんやり残ったままいつか消えてしまう。それって凄くもったいないことだと思う。

驚いたことや疑問に思ったことであっても、それに詳しい人は必ず存在している。或いは同じように感じる人はいるものだ。みんなが私と同じように野球ばかりに関心があるわけではなく、花に感心がある人、動物に関心がある人、グルメに関心がある人、車に関心がある人とジャンルは人それぞれ、それこそ色とりどりのはずなのだ。だからそれを話さないことはもったいない。知りたかった答えが見つかるかもしれないしそれ以上に、新たな繋がりが生まれる可能性だってあるのだ。


だからなるべく話すようにしている。「最近ね、」と話し始めればほしかった答え・想像外の答えが返ってくるから面白い。いつどこで披露するのか分からないような知識を日々身につけて自分のものにしていくことが、毎日飽きないで過ごすための自分への本当の彩になるのではないか。


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そういえば、今日4番出場の高濱選手の1打席目登場曲は「題名のない今日」だ(ちなみに巨人の若林選手の時も流れていた)。私はこの曲が大好きでよくYoutubeMusicで聴くけれど、サビに花束というワードが出てくる。

何気ない日常に花束を 何気ない景色に額縁を                題名のないこんなありふれた今日が僕たちが描いてきた生涯一の名作さ


幸福の象徴である花束。


確かに今日私は「一本220円の花」に対して疑問を感じたけれども、実際に渡す相手が本当に大切な人で渡すことに意味があるのならば、価格なんて気にすることなくきっと、その人に似合う花束を考えて店員さんと相談したりして用意するだろう。渡す人の気持ちが込められていて美しくて、だから花束は幸福の象徴なのだと思った。



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