今、大切な人達と会えた時のために種を撒く
家の近くには大きな人工池がある。田舎を開発した都市に住んでいるから、池は夜になると作為的な明かりを反射する。出来すぎた世界に生まれてしまったがために環境において有り難みをすんなり感じることが少ないけれど、人に対しては忘れてはいけない点だ。
自分のことを思ってくれる人達に
フォローしてくれる人達に
気持ちを奮い立たせてくれる人達に
そんな簡単なことなのにそれすら当然と思ってしまえばただの傲慢でしかなく、喜びの幅は減り、そうなったら何が心に残るのか。残るものは心体全ての孤独だろう。
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物理的一人な状況に今身を置いていても、心は多くの人のために存在しているはずなのだ。去年今年はこんな状況だから人に会う約束が出来ず、一人で過ごすための幸せな時間を買うことを目的とし仕事をしてきたけれど、それは本来決して自分の為だけにということではない。
私を育ててくれた両親や大好きな友人には時間や心を惜しまず、この先規制が緩和され安心な環境に戻ったとき、私から会いに行き笑い合うために今、沢山の経験をして一人時間をも楽しんで会話の種を今撒いているところだ。いつかは収穫して披露するための段階でしかなく、そのために働いているということを自身が忘れないでいたい。
とにかく普通に生活しているだけで気に入らないと言われやすいのは昔から慣れっこだ。最初は興味津々で話を聞かれるのにいつしか私の気楽さが憎たらしくなるらしいけれど表だけを見てその人間性を決めつけてしまう人に、心を傷つけられることよりも、私には私を受け入れてくれる人達がいる。それだけで本当は幸せなことであり、その人達のために私が出来ることを考えて今は働く時期なのだ。
目先の幸せだけで動いているわけではない、ということを敢えて今日はここで主張しておく。種を撒こう、沢山の。後で自分が見返したときに、悔しかった今日の気持ちと考えをゼロ地点へ戻せるように、記録します。今日もお疲れ様でした。
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