七里圭
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第8回(第二期五回)「のぞき穴を見ている人に聞こえるリアルな音って、何?」 〜リュミエールからエジソンへ揺れる映画史を再起動する〜 2015年2月13日 登壇者: 大谷能生×荻野洋一×七里圭
七里:よろしくお願いします。映画以内、映画以後、映画辺境第八回、今回は第2期の最終回ということになります。「リュミエールからエジソンへと揺れる映画史を再起動する」と、すごい副題を付けてしまいましたけれども、映画ってそもそもリュミエールから始まっただけじゃなかったんじゃないかと。エジソンの映画があったではないかと。いったん忘れられたのだけれども、最近の映画の現状を見ているとそれは多分レンタルビデオなどが隆盛になりビデオで映画を見るような習慣が、もちろんその前もテレビでの放映とか
第7回(第二期四回)「彼女の声が響くのは、そこに彼女がいるからとは限らない」〜デュラスはサウンドトラックと映像をどのように考えていたか?〜 2015年1月28日 登壇者:小沼純一×吉田広明×七里圭
七里:では、ぼちぼち始めたいと思います。この会を催させていただいております、七里と申します、今日はよろしくお願いいたします。これは「映画以内、映画以後、映画辺境」というタイトルで、二〇一四年のちょうど二月の二日が第一回だったと思います。なので、おかげさまで一年つづけてこられまして、年も明けてめでたいかと思いきや、世の中も私の身の周りもあまり明るい状況でもなく、今年はどうなるのかなと思っておりますが、今年もどうぞよろしくお願いいたします。 この講座は、僕がこの十年ぐらいの間に
第6回(第二期三回)「現実はアニメーションであり、ヒトはアニメーションになりつつある?」 ~世界認識のモデルとなるアニメーション表現の今~ 2014年12月14日 登壇者:土居伸彰×吉田広明×七里圭
七里:今日は、霰とか雹が降ってたようですが、悪天候の中、どうもありがとうございます。すみませんなんか、どうも暗い気持ちで始めてしまっているのは、選挙が…(笑)第六回、今日はアニメーションの研究及びプログラマーと、ご紹介したら良いでしょうか。土居伸彰さんをお招きいたしました。 (拍手) 七里:で、映画批評の吉田さんです。 (拍手) 土居:僕が扱っているのは海外のアニメーションの短編や長編作品だったり、あまり日本では紹介されてないような作品が多いんですけど、その状況をパッと見渡し
第5回(第二期二回)「サイボーグになった私達の眼差しはイメージをどう捉えるか」 ~映画分析においてデジタル技術が持つ意味~ 2014年11月27日 登壇者:平倉圭、吉田広明、七里圭
七里:えーっと。始めようかなと思います。こちら平倉圭さんです。今日はですね、『サイボーグになった私達の眼差しはイメージをどう捉えるか 映画分析においてデジタル技術が持つ意味』というタイトルで参りたいと思います。というのは、この講座の第一期のなかで、今日も来ていただいている映画批評の吉田広明さんから表象体系、ちょっと難しい言い方ですけども、何かを使って何かを表すという、それは映画だけではないと思うんですが、そういう表現の機能が変容してきているのではないかっていう提議があり・・・
第4回(第二期初回)「映画は〈まがいもの〉である、ゆえに想像力を生むのだ/か?」 ~映画を思考することと作ることとのあいだで~ 2014年11月15日 登壇者:吉田広明、平倉圭、土居伸彰、七里圭
七里:あ、じゃあ、奥に。 吉田:今の作品を作った七里監督です。で、僕は、一期の一回目と二回目で加わらせて頂いている映画評論家の吉田と申します。第二期も、やらせていただくことになりました。一回目の講義では「表象体系が変わっているかもしれない」ことを僕の方で申し上げて、そこに七里さんが引っ掛かって、乗っかったというか、そこでもうがっつり表象系の方を今回二人呼んでしまいましてですね、そのため一回目で問題提起をした僕が引き続き出るというかたちになったわけですけども。まず僕の方からちょ
『映画以内、映画以後、映画辺境』第1回「そこにあるのかないのか、それは問題ではないのか?」2014年2月2日 登壇者:吉田広明、七里圭
七里:今日はこのような会に来ていただきましてありがとうございます。七里と申します。今日は、映画批評家の吉田広明さんをお招きしました。吉田さんは、作品社から『B級ノワール論』や『亡命者たちのハリウッド』など【その後『西部劇論』も上梓】クラシカルな映画の論考を出版されつつ、現在の日本映画についてもキネマ旬報などで批評されているので、アップトゥデイトなことも含めてお話を伺えればと思ってます。初めに、僕の方からこの会の枠組みと成り立ちをちょっと説明いたします。「映画以内、映画以後、映