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「サロメの娘」アクースモニウム上映について

連続講座を第二期まで終えた翌月末(2015年3月27、28日)に、私たちは両国門天ホールという小さな会場で、「サロメの娘」アクースモニウム上映という野心的なライブを催します。サブタイトルに「音から作る映画2」とあるように、これは「サロメ」を題材にした「映画としての音楽」の続編ではあるのですが、そうシンプルに言い切れるものでもなく。企画の発端は、2013年6月18日に同志社大学寒梅館で催された『眠り姫』アクースモニウム上映まで遡ります。

アクースモニウム+上映という耳慣れない形式は、池田拓実氏の入れ知恵による思いつき。当時、私は『眠り姫』を用いた特殊な上映形態について、「闇の中の眠り姫」に代わるパフォーマンスを模索していまして。2チャンネル(LR)のステレオ音源をライブで多チャンネルに分岐して立体音響を作り出し、それを「演奏」と称する、言わば「倒錯」した電子音楽の一派がフランスにいると聞いて、それだ!と閃いたのでした。(「アクースモニウム」とは、この演奏のための装置、スピーカーとミキサーを組み合わせたPAシステムの名称です)
早速、伝手を頼り、本場でアクースモニウムを学んだ日本の第一人者・檜垣智也氏にお話ししたところ、彼も映画を演奏してみたいと考えていたらしく。とんとん拍子で事が進み、おそらく世界初のアクースモニウムによる映画の上演が、京都で満員立ち見の大成功(寒梅館のプログラマー、西原多朱さんの尽力に多謝!)を収めたのですが。その打ち上げの席で、調子に乗った私が「次はアクースモニウムで上演するオリジナル作品を」と口走ってしまったのが、事の始まりでした。
しかし、実際に企画をスタートしたのは、およそ1年後。「映画としての音楽」のライブを上演し終え、次にその映画版を制作していく過程で、いくつかの着想を得てからのこと。その重要なヒントが、「アクースマティック」という音響芸術の、謎めいた名の由来でした。
古代ギリシアの賢人ピタゴラスは教えを説くとき、弟子たちを話に集中させるために御簾の後ろに隠れて声だけを聴かせた。それゆえ彼らは聴聞(アクースマ)派と呼ばれた――。
ならば、演奏者を黒いヴェールの後ろに隠したらどうだろう? そして、サロメのヴェールの踊りがごとく、プロジェクションされる映像の光によって、ときおり姿が見え隠れもするとしたら……。黒の紗幕を用いることにした理由は、二つありました。まずは、連続講座で考え続けてきた映画のデジタル化。デジタルになった映画は影を失ったのだから、白いスクリーンではなく、反語として黒布へ光を投射し、像を浮かび上がらせたいということ。反射率の低い黒紗幕ならば、それが可能であり妖しい美しさを放つのは、『To the light 2.0』の制作過程で確かめていました。

とはいえ、実際にライブの舞台装置として活用するには、更なる実践と試行が必要であり。『To the light 2.2』、『To the light 2.3』というパフォーマンスが、その機会になりました。

つまり、先行する『To the light』の連作や『眠り姫』での活動が、「音から作る映画」プロジェクトの礎になっていること。『眠り姫』のアクースモニウム上映を、京都に続いて川崎市アートセンター・アルテリオ小劇場で上演するきっかけや、『To the light』シリーズの制作は、当時の多摩美芸術学科・映像文化設計ゼミ、つまり西嶋憲生先生のゼミ生達との交流から生まれたことでした。とくに豊嶋希沙さんは、その後の八面六臂の活躍とともに、「サロメの娘」の大立役者だったのは間違いなく。改めて謝意を捧げたい。

と、長々と書いてきましたが、それもまだ、パフォーマンスの形式を創造する過程に限ったことで。連続講座第二期閉幕から一気に進めた、朗読録音や映像撮影の怒涛の制作、眩暈の日々については枚挙に暇がないので、またの機会にしたいと思います。
最後に、なんとか漕ぎ着けた上演、その配布プログラムに載せた拙文、当時の資料を記して締めさせていただきます。

【あいさつ文】

どういうわけか、サロメのことを考え始めて、すでに4年近くが経ちます。
いや、正確に言えばサロメとヘロディア、つまりサロメの母との関係なのですが、母娘について、何かを作ろうと思い始めてからは、もう7、8年が経つのではないかとおぼろに記憶しています。
その何年かの間に、私たちの生きている世界は、この国は、何かが変わり始めたような、何も変わっていないような…。

「音から作る映画2」と言うからには、「1」があったわけで。
その前回、昨年4月のライブ(とその映画版)「映画としての音楽」では、あえて正面からは物語(ナラティブ)に踏み込まず、日夏耿之介訳 「院曲撒羅米」をテキストとして取り上げ、サロメに触れるに留めたのですが、今回ようやく、私(たち)が考えるサロメとヘロディアを素描してみたわけです。
ただし、前回もヨハネの言葉については創作して、飴屋さんに朗読していただいたのですが、その文言に暗喩されるような出来事が、この一年の間に実際起きているように思えるのは、ただ気のせいでしょうか。

で、馬なのです。
人はかつて、馬と暮らしていました。
最近ある方から教えられたのですが、この島国は大陸に(良質?な)馬を供給する放牧地として開発されたのだとか。
邪馬台国、ですしね。
人の営みは、馬やその他の動物たちとともにあった。
それなのにいつのまにか、人は、人だけで社会を作るようになった。
そのことが、もしかしたら、最もゆゆしきことなのかもしれない。
今日、みなさんにお見せしたような像、何かの痕跡や影だとさえもはや言えなくなったイメージとたわむれたり、存在から切り離されて膨大に集積されたデータにほんろうされたり。
そんなことは、馬はしない。
馬鹿じゃなかろうか、と。

「2」と銘打ったからには、「3」もあるかもしれない。
いや、生来の天邪鬼ですからどうなるかは分りませんが、もしまだ私が生きていて、この世界が平穏になんとか続くのならば、またいつか、スケッチの続きを披露したいなと思っています。
これからも、気長に御つき合いいただければ幸いです。
                              七里 圭

ライブの告知記事↓

記録写真、スタッフ等の記載↓

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