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映画版『映画としての音楽』について

連続講座「映画以内、映画以後、映画辺境」第二期の初回となる、第四回のトークは、出来立てほやほやの映画版『映画としての音楽』初上映後に続けて行う催しとなりました。
そもそも『映画としての音楽』ライブの映画版制作は、あらかじめ予定していたことではありませんでした。良く言えば私のひらめき、傍から見れば暴走ゆえでしたが、これを敢行したことで、ライブ・パフォーマンスと映画製作の往還という「音から作る映画」プロジェクトの、この後のプロセスが明確になり。また、連作方針を「ツリーでなくリゾーム」と(当時チャーム・ポイントの副代表も務めてくれていた)池田拓実さんが掲げたコンセプトを実行する素地にもなったのでした。
この映画版のサウンドトラックは、実はライブで収録した音源ではありません。ライブのために2年かけて作曲・録音、構成した元のサウンドトラック。つまり、ライブはこのオリジナルの再現であり、それをライブ後に映画版の音源として再利用したのですが、その際に手を加えた点もいくつかあります。
一つは、ミックス。パフォーマーたちの声を精緻な整音で磨き上げてくれたのは、知る人ぞ知る傑出した音響作家の種子田郷さんでしたが、その一方で、逆にくぐもった響きというか、音像が不明瞭な部分もつくり。それは、リアルな反響で再録音するというローファイなテクを使ったのですが、そのためにわざわざ三浦半島の切通までスピーカーを運んで。深夜にあの怒号のようなコーラスを再生して、天然のエコーで録音するというかなり怪しい音ロケもしました。
また、ライブでは声のパフォーマンスで押し通したサウンドに、効果音を加えたのも映画版からでした。時間を感じさせる音、運命を意識する音など、曖昧で無茶な私の注文に、きらりと光るセンスと根性で向き合ってくれたのが、録音作業の始まりからアシスタントとして参加してくれた、当時はまだ美大生だった西村直晃くんでした。彼がこのとき録ってくれたフォーリーの数々は、その後の『サロメの娘』シリーズにも受け継がれ、音のスパイスとして影なる基調をなしていきます。
で、その中で最もこの映画版を象徴した音が、セミでした。「セミの鳴き声、しかも断末魔の金切り声が欲しい」という具体的だが迷惑なリクエストに、早朝から死にそうなセミを探して夏の終わりを駆けずり回ってくれた彼の成果は、しかし、今では幻です。というのは、映画版はその後インターナショナル版『Music as film』として更新され。その際に、イントロ部分を変更したのにともない、セミのフォーリーは全て外してしまったからです。
現在、『映画としての音楽』は、アマプラやU-Nextの観放題プログラムにも入っていて、比較的観て聴いてもらい易くはなりましたが、思い出深いオリジナル版の冒頭部分とセミの鳴き声も出来れば残しておきたく。今回YouTubeにupしましたので、どうぞご覧ください。以下、チラシやリンクも上げておきます。

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