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ライブ『映画としての音楽』について

連続講座の第二回を終えてひと月後の2014年4月26日、私たちは『映画としての音楽』という名のライブを催しました。「音から作る映画」“1”と銘打ったように、これがその後に続く連作の最初の発表だったのですが、しかしその準備、作品制作はすでに2012年秋から断続的に進められていました。当時の広報記事や記録写真、フライヤーなどを見返すと、並々ならぬ決意と覚悟を持ってこの上演に臨んだことが思い出されます。
連続講座の企画も、そもそも「音から作る映画」という連作プロジェクトの構想の中で、自然と生まれたものでした。つまり、講義と演習がセットになっている(私にとっての)学習プログラムとでも言えばいいのでしょうか。よって、noteの次に掲載する第三回の講座「響きが光と溶け合うことで」は、この演習1(ライブ『映画としての音楽』)を受けて、サウンドトラックとデジタル化について考える会になります。
参考に以下、上演時の配布パンフに掲載した私の拙文と、当時の資料URLを記します。

【あいさつ文】

サウンドトラックとは、映されている映像と同じ時間の音の連なりです。
見えているものと聞こえてくるものが、実は分離しているのにシンクロしているから、人はある世界をそこに感じ、没入してしまう。
それが、映画の時間なのだと思います。
この面白さ、不思議さを噛みしめています。
おそらくサウンドトラックという発想は、芝居や踊りの伴奏から、ごく当たり前に生まれた方式なのでしょうが、それが生演奏や語りではなく、録音された音に置き換えられたことによって独特のものに変質したのです。
光も音も同じメディアに情報として記録されるようになった今、映像からサウンドトラックを意識的に引き離し、同期することを体感してみようというのが、このライブ「映画としての音楽」のコンセプトの一つです。
果たして、映画の時間は立ち現れるのでしょうか?

さて、「サロメ」。
この戯曲への関心がぼんやりながら高まってきたのは、三年ほど前。
時代の転換点を経験した後のことでした。
ヘロデ王の娘が母のために預言者ヨハネの首を求める、聖書に記されたエピソード。
それが、ワイルドの戯曲が成立する以前から19世紀後半の文学や美術の題材として(特にフランスで)もてはやされていたと知り、なぜだろうと思いました。
時代の気分――いわゆるデカダンスを象徴したがゆえと解説されていますが、ではそれはどういう時代だったのか考えてみれば、資本主義が西欧先進国に浸透して、写真やレコードといった複製文化が誕生したころ。
つまり、20世紀以降、現在に至るまでの社会や文化を準備した時代でした。
そんなことを、のんびりつらつら思い巡らせて一年ほど過ぎたころ、不覚にも初めて、日夏耿之介訳の「院曲撒羅米」を読んだのです。
衝撃的でした。
研ぎ澄まされた一語一語が喚起する、ただならぬ情感、情景。
文章から、リズムや旋律までもが感じられ、すでに音楽のようでした。
ああ、これだ!と思い、”音から作る映画”という構想が一気に浮かんだのです。

最後になりましたが、さまざまな謝辞を。
まずは、日夏先生の御遺族に。
三島由紀夫も「サロメ」演出(そのときのサロメ役は岸田今日子!)に用いた名訳を、こんな不束者の恐れを知らぬ試みに、快く許諾して下さった懐の深さに感謝いたします。
そして、何と言っても豪華な出演陣へ。
知る人が見れば、全員がソロを取れるという異様な布陣は、まさに贅沢の極みです。
この凄まじい声の膨大な録音源と格闘し、まとめ上げた池田拓実の手腕、剛腕にも脱帽します。
素晴らしい。
さらに、このライブ制作へのフィードバックとして催された連続講座は、アーツカウンシル東京(東京都歴史文化財団)の助成を受けることで実現に漕ぎ着けました。
ただそこに至るまで、そもそもこの企てを始められたのは、3人の友人の支援によります。
匿名を希望する慎ましさに敬意を表し、そのイニシャルを合わせたYYKを、映画の最後に記しました。
どうもありがとう。七里 圭

ライブの告知記事、出演者のプロフィールなど↓

ライブの記録写真など↓

ライブや講座第三回の記録動画の一部抜粋(7分)↓

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