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【エッセイ】時の経過は記憶の幻想でしかなく、記憶が鮮明であればあるほど生から死まで刹那である。

京都から北九州への転居に伴うバタバタもどうにか一息ついてきたので、現在の心境をnoteに書き残しておきます。

まず、京都での4年間を一言で表現すると「忍耐」だったと思う。

「休養」とも「療養」とも言えますが、自分の望むように心身が活動できずに我慢や諦めの連続だったので「忍耐」という表現が最もしっくりくる。

あらためて振り返ってみても京都での4年間は本当に一瞬で過ぎてしまったのだけど、同時期に夢と希望を胸に大学に入学した将来ある若者が、晴れて卒業して社会人になっているわけだから、色々と考えさせられます。

煌びやかな成功に憧れて、銀座と渋谷を拠点にビジネスに投資にプライベートに充実した日々を夢想した人生3度目の上京物語は、結局のところビジネスで裏切られて、投資で騙されて、プライベートは崩壊して、まるでコロナ渦のロックダウンが原因かのように東京から離れることになった。

奇しくも日本で1人目のコロナ陽性患者が田町駅で確認されたとの報道が駆け巡っていた頃で、東京から京都への新幹線の車両も京都市内の民泊もキャンセルによるもぬけの殻の貸切状態で、まるでミステリー映画のワンシーンに紛れ込んでしまったかのような異様な光景を忘れることはできません。

白状をしてしまうと、得体の知れない感染症の恐怖で全国がパニックに陥っている状況は、『大変なのは自分だけじゃないんだ...』といった救いでもあったのですが、それほどに打ちひしがれて京都に向かっていました。

自然豊かな片田舎に転居してからも、最初の1年間は心身の慢性疲労が酷くて「寝て、起きて、食べて、寝る」をこなすのが精一杯でしたが、京都での2度目の春の息吹を肌に感じる頃になると、自然と創作意欲が湧いてきてnoteを始めることになる。

自分自身が納得のできる内容の記事が投稿できたときは心身が充実感に満たされて嬉しいし、それほど期待をしていなかった有料記事が思いの外に売れたのなら当然にもっと嬉しい。

そうこうしているうちに至極順調に、検索エンジンからの読者さん、noteのビューではないPV、売上、フォロワーさんが増えていき、やがて「noteで誰もが知るTOP100のクリエイター」を目標に掲げるようになり、今に至る。

正直なところ、年齢や体調のこともあって、自分がイメージしている過去のような仕事のパフォーマンスは、いまさらどう足掻いてみても無理なことは薄々とわかったきた。

慢性疲労の原因については、国内でのありとあらゆる検査はもちろんのこと、海外に検体を送って解析する分子検査も多額な費用をかけて10種類くらい試してみたものの、原因すら特定できない残念な有様で終わっている。

慢性疲労と並行してブレインフォグにも悩んでいて、以前のように長時間の集中はまずできないし、疲れてくると例えば「取扱説明書」や「契約書」など、文字の羅列が目に入ってくるだけで、文章の意味が頭に入ってこない。

ベストパフォーマンスが発揮できずに残念でならないのだけど、これが今の自分が置かれている現実なので、過去の理想のイメージは捨て去って、今の自分でできる範囲のことを、自分を信じてやっていく他にありません。

そのひとつが京都から北九州への転居による生活環境の変化・向上だったのですが、その引越で多忙な真っ最中に『どうしていつもこうなるのか...』的な出来事が見事に重なり『もう嫌だ…』と転居を投げ出したくなりました。

もし、この世に神のような存在がいたとしたら、探し出して、捕まえて、胸ぐらを掴んで『マジでいい加減にしろ』と徹底抗議したい気分です。

と同時に、この世の全ての事象は自らが招いているものであり、それが運命であり、宿命であり、使命であり、天命であることも理解しています。

言ってしまえば、神とは自分自身のことに他ならず、自分が創作(創造)した人生物語に、自分で腹を立てて抗議しているので滑稽です。

{ビジネスで裏切られて、投資で騙されて、プライベートは崩壊して}などと大袈裟に書きましたが、なるようになっただけのことで、本来それらに何の意味も価値もないし、どのように解釈しようが個人の自由です。

どうせ苦悩するのであれば、自分の成長のために経験を糧にしたいと普通に思うのですが、『なぜ自己を成長させたいのか?』は不明だし、なんだかんだでこんな人生物語をどこかで楽しんでいる自分がいる気がしています。

そもそも20代を刹那的に生きて30才目前に海外から無一文で帰国、そこから10年足らずで2億円の収入を得たことが出来過ぎだったのかも知れません。

「忍耐」に終始した京都での4年間は、自分の能力の足りなさや至らなさ、そして無力さに直面しましたが、これまでもこれからも、例えどんな逆境に見舞われても、結局のところ前を向いて歩んでいく選択肢しかないのです。

新居への引越がやっと一息ついた昨晩は、人生1度目の上京で夢中になっていたバンド活動を思い出して、当時好んで聴いていた曲をYoutubeで視聴していたのですが、30年も経過したとは思えないほど鮮明に当時の記憶や感情が蘇ってきてグッと込み上げてくるものがありました。

機材のローン残債はあっても建築現場バイトの日銭しか持たない売れないバンドマンだったけれど、『どうにかなるだろうし別にどうなろうと構わない』と平然と生きていたし、バンドの練習やライブや打ち上げを純粋に楽しんで躍動していたあの頃がとても懐かしく美しい。

当時は30年後の自分なんて想像ができなかったし想像したくもなかったけれど、あれから30年後の自分が、今から30年前の自分をこうやって回想している現実が、不思議で不思議で堪らない。

現時点でわかっているのは、今日から30年後の自分が、今日の自分や60年前の自分を回想する現実が、まるで明日か明後日のことのようにやってくること。

(もちろん、それまで生きていたらの話)

時の経過は記憶の幻想でしかなく、記憶が鮮明であればあるほど生から死まで刹那である。

このエッセイの見出し画像には「Marukimasu(丸亀敏邦)」さんの素敵な作品を使用させていただきました。「Marukimasu(丸亀敏邦)」さんの作品につきましては{みんフォトプロジェクト - Marukimaru(丸亀敏邦)展 :「物書きが手元に置く愛すべき小物たち」}の記事にて好評展示中です。

以上 –【エッセイ】時の経過は記憶の幻想でしかなく、記憶が鮮明であればあるほど生から死まで刹那である。– でした。

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