ハエ男の悲哀に満ちた栄枯盛衰!一番恐ろしいのは人間の内面だ…「ザ・フライ」【ホラー映画を毎日観るナレーター】(636日目)
「ザ・フライ」(1986)
デヴィッド・クローネンバーグ監督
◆あらすじ
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科学者のセスは記者のベロニカに開発中の物質転送装置を公開する。生物の転送実験で失敗が続くが、やがてセスは自らの体を転送することに成功。しかもその後、彼の体には驚異的な活力が備わる。セスは、転送装置に一匹のハエが紛れ込んでいたこと、そしてそれが転送後にセスの体と遺伝子レベルで融合したことを知る。彼の肉体はみるみる変化し、ついには惨たらしい姿に……!(映画.comより引用)
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『自分の体を遺伝子レベルでハエと融合してしまった科学者の日々変化していく自分自身に対する怯えと悲哀、そして愛する者に対する恐ろしいまでの執念』を描いたSFホラーです。
私が敬愛するデヴィッド・クローネンバーグ監督の代表作の一つであり、1986年度の全米興行収入ランキングでは23位に入るなどの大ヒットを記録しています。
ジョルジュ・ランジュラン氏の小説「蝿」を映画化した「ハエ男の恐怖」(’58)という作品をリメイクしたものです。クローネンバーグ監督の作品は中々にクセが強く、まったく内容が理解できないものもしばしば見受けられますが、今作に関してはある程度下地があるものをリメイクしており、さらには商業映画を少し意識しているのか大衆向けに作られているように感じました。なもんで誰が見ても楽しめると思います。
『遺伝子レベルでハエと融合してしまった科学者のセスはみるみるうちに肉体がボロボロになり、頭髪や歯が抜け落ち、腐敗し、異形のモノと化していく』
という部分が公開当時、世界的にHIVが流行していたため、一部の批評家や視聴者からはHIVのメタファーなのではと非難の声が上がりました。たしかにそう言われるとそういう見方もできますが、個人的には少々難癖というか意地の悪い見方だなとも思います。
クローネンバーグ監督にもそういった意図はなく、あくまで癌や老化に対する寓話として描いたつもりだったと証言しています。そのため、今作とHIVの関連性ついて聞かれると毎回口論になり、「私は生と死に関する普遍的な視点を望んでいる」と語るそうです。
現在Disney+でのみ配信中のほか、アマゾンプライムでは199円、DMMTVでは220円でそれぞれレンタル視聴が可能です。私はまた例によって浜田山のTSUTAYAを利用させていただきました。
◇『隣り合う2つのポッドの片方に収めた物体を一度分子レベルにまで分解して、もう片方のポッドへ送った後に元の状態に再構築する』という仕組みの物質転送装置を開発した科学者のセス。しかし無機物なら転送に成功するも、生体実験は失敗続きで…
というところから物語が始まります。
もうここまでで映画一本作れるんじゃないかと思えるくらいの偉業を成しているセスはパーティー会場で知り合った記者のベロニカに一目惚れして、自身のこの秘密の研究をこっそり教え、次第に恋仲となっていきます。
この自然かつ無駄な説明やシーンを省いた始まり方は導入部としては完璧だと思いますし、クローネンバーグ監督らしさを感じました。
その後、ヒヒを転送した際は体表が裏返った惨たらしい肉塊と化し、またも生体実験は失敗。研究はそこで行き詰まっていたが、ベロニカの些細な一言でコンピューターに新鮮な肉のデータをプログラミングしたところ、ヒヒの転送に成功。そんな折、セスはベロニカが以前の交際相手のステイシスとよりを戻したのではと勘違いしたことからやけを起こし、自身の転送を実行してしまう。その時、セスの入ったポッドに一匹のハエが紛れ込んでいるとも知らずに…
という風に中盤へと差し掛かっていきます。
ここのセスがやけを起こす流れが非常に丁寧で、『ベロニカの上司で元恋人のステイシスは復縁を断られた腹いせに、またセスに対する嫉妬から、セスの研究のことを無断で記事にしようと企む。それに憤慨したベロニカは仕方なくステイシスのもとを訪れ、記事の掲載を止める』というわけなんですけども、元来奥手で、自身の研究をこっそり教えることでしか異性の気を引けない非モテ男性のセスからしたら、
『ようやく恋仲になれた僕の彼女が元カレと会ってた』
となるわけですから、嫉妬心でやけを起こすのは当然の流れです。
自身の転送に成功したセスはなぜか転送前よりも強靭な肉体を手に入れる。本人が推測するに『細胞が分解と再構築をしたことで肉体が浄化された』とのこと。異常なまでに糖分を欲し、そして性欲がみなぎり、ベロニカとの性行為にふけるセス。どれだけ行為に及んでも満たされない彼はあろうことか音を上げたベロニカに対して転送装置に入ることを強要。その結果、二人の仲は険悪になっていく。
というこの中盤に関しては、強靭な肉体を手に入れたセスがベロニカの目の前で鉄棒の大技•大車輪を見せつけたり、相手のことなどお構いなしに性行為を求め続けるなど、空気感を壊さない程度にコミカルに描かれております。このあとは怒涛のおぞましい最悪な展開の数々が待ち受けているため、この中盤はいわば給水ポイントのようになっています。
奥手で恋愛ベタなセスが強靭な肉体を手に入れたことで、『人間の時には押し殺していた欲求』が大爆発し、とりわけ性的欲求に対してのコントロールが利かなくなるというのがこの先の展開のことを考えると非常に虚しくも見えてきます。そしてベロニカに転送実験を強要し、強い肉体を手に入れさせ、何時間にも渡る性行為に耐えさせようとするのがもうエゴでしかなく本当に情けないです。
これについて映画情報サイト「DECIDE」の評論家メーガン・オキーフは
と発言しており、これに対してセス役のゴールドブラム氏は2021年のとあるインタビューにおいて
とコメントを残しています。
そして、このセスが手に入れた強靭な力や肉体がいつまでも続くことはなく、徐々にハエのDNAに支配されていくセスの身体は細胞の癌化が起きたことで細胞が死に、肌の変色に始まり、皮膚が荒れ、いたるところから膿がこぼれ、歯や頭髪、耳や陰茎までもがこぼれ落ち、異形の姿へと変貌を遂げてしまう。
ハエのように天井を這い、身体中膿まみれの醜悪な見た目となり、白い消化酵素を吐き出して溶かさなければ食事を摂ることもできず、死に対する恐怖を吐露するセスを抱きしめたベロニカはどんな気持ちだったのでしょうか。
そしてそんな折、ベロニカはセスの子供を身籠ってしまい、激しい動揺から『巨大な蛆虫を出産する』という強烈な悪夢を見てしまう。そしてついには、元恋人のステイシスに相談して中絶を決意します。(ちなみにこの悪夢の出産シーンに登場する産婦人科医はクローネンバーグ監督です)
ベロニカが中絶することを知ったセスは激昂。病院から彼女を拉致し、子供を産んで欲しい迫る。ハエのDNAを減らすには人間のDNAを多くする必要があると踏んだセスは転送装置を用いて、ベロニカと胎児と融合することで完全な家族になろうとする。そしてそこへベロニカを救うためにステイシスがショットガンを持って駆けつける。
というクライマックスへと突入します。
もう本当に怒涛です。中盤の給水ポイントがあって本当に良かったです。
兎にも角にもクライマックスのセスは哀れなんですけども、最後の最後でベロニカに対して慈悲を求めるような行動を見る限り、僅かに人間の心が残っていたのでしょう。
セスが異形のモノへと姿を変えていく過程にももちろん恐怖を感じるんですけども、個人的には『自分の内面(身体)がDNAレベルで書き換えられてしまう』という部分に非常に恐怖を抱きました。ハエが身体に吸収されずに遺伝子レベルで融合した日から、その後の運命から逃れることはできず、日々朽ちていき、ハエになっていくセスの気持ちは想像に絶します。
こんなにも恐ろしく、そして儚く美しいこの映画は、やはりクローネンバーグ監督だからこそ撮れたものではないでしょうか。「発見や驚きこそが映画製作の醍醐味だよ」という監督の御言葉にはただただ感服する限りです。
ホラー好きのみならず、映画好きならば必ず見ておくべき傑作だと思います。素晴らしかったです!
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