アンティークコインの世界 〜厳選古代ローマコイン〜
今回は厳選した7枚の古代ローマコインを年代順に紹介していく。共和政期から帝政期にかけて発行された貨幣を見ながら当時の政治的背景を読み解いていく。どのコインもローマ史上重要なものであり、サイズは小さいながらも大きな歴史背景を背負っており、またその重みもある。
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図柄表:ローマ女神
図柄裏:ロムルスとレムスを見守るローマ女神
発行地:ローマ共和国ローマ造幣所
発行年:前115〜前114年
額面:デナリウス
材質:銀
直径:18mm
重量:4.03g
発行者:不明
銘文表:-
銘文裏:-
共和政期のローマで前115~前114年に発行されたデナリウス銀貨。表面に都市ローマを擬人化したローマ女神、裏面にローマ女神がロムルスとレムス兄弟、養母の狼を見守る姿が描かれている。上空には2匹の鳩が飛翔している。鳩は愛と美の女神アフロディテを象徴するアトリビュートであり、すなわち双子の兄弟がアフロディテの血を引き、彼女の子であるトロイアの英雄アイネイアスの血をも引いていることを暗示している。
本貨はこの年代にしては珍しく、発行者の名が記されていない。通常、発行者たちは自らの名を刻むことで自身の存在感をアピールした。例外かつ発行者が不明という謎に包まれたコインだが、裏面のデザインが特に秀逸で目を惹く。ちなみに、本貨が発行されてから約200年近く経った後、ティトゥスがこのデザインを気に入ったのか、同デザインの金貨を発行している。
ティトゥスは善政を敷いた皇帝として評判が良かったが、ウェスウィウス火山の噴火等、国家の危機に直面し、心労からか即位してからわずか2年で他界した。その後、彼の弟ドミティアヌスが皇帝に即位したが、兄の死は弟の策略だったのではないかとも疑われている。真実は定かではないが、ドミティアヌスは暴君として知られており、そうした疑いを抱かれたのも仕方ないことだったのかもしれない。
図柄表:ウィクトリア
図柄裏:ローマ軍旗
発行地:ローマ共和国ローマ造幣所
発行年:前82年
額面:デナリウス
材質:銀
直径:18mm
重量:3.7g
発行者:ガイウス・ウァレリウス・フラックス
銘文表:A
銘文裏:C・VAL・FLA・IMPERAT・EX・S・C・H・P(最高司令官ガイウス・ウァレリウス・フラックス。元老院の法令と議員からの正式な承認を得て発行。ハスタティ、プリンキペス)
共和政期のローマで前82年に発行されたデナリウス銀貨。発行者はガイウス・ウァレリウス・フラックス。ガリアのマッシリア(現在のフランス・マルセイユ)で発行された。本貨はローマ本土ではなく、属州総督(プロコンスル)のフラックスが駐留地のマッシリアで発行したものである。
軍の兵士に対する給与支払いや物資調達等に利用された軍用貨で、本貨はローマで初めて個人の名で発行されたミリタリー・コインだった。フラックスは後に独裁官となるルキウス・コルネリウス・スッラと同時代に生きた優秀な軍司令官で、ガリアを制圧するための遠征を担当した。
表面に勝利の女神ウィクトリア、裏面にローマ軍の旗章を表している。さらに裏面には、「C・VAL・FLA・IMPERAT・EX・S・C・H・P(最高司令官ガイウス・ウァレリウス・フラックス。元老院の法令と議員からの正式な承認を得て発行。ハスタティ、プリンキペス)」という銘文が刻印されている。
この銘文の内容はフラックスが後のガイウス・ユリウス・カエサルのように勝手にコインを発行したのではなく、正式な手続きを得て軍のためにしたことを証明している。ちなみに、ハスタティは新兵で構成された第一列兵で、プリンキペスはベテランの20代後半〜30代前半で構成された第2列兵の意である。
本貨の裏面に描かれたローマ軍旗のデザインは、マルクス・アントニウスによりリバイバルされた。彼が前32〜前31年にアクティウムの海戦に向けて発行した軍用貨に同構図のものが描かれている。ローマ軍の強さと権力を象徴した鷲を象った軍旗で、実際の材質は銅に塗金したものだったと伝えられる。
図柄表:ウェスタ
図柄裏:投票する男性
発行地:ローマ共和国ローマ造幣所
発行年:前63年
額面:デナリウス
材質:銀
直径:18mm
重量:3.7g
発行者:ルキウス・カッシウス・ロンギヌス
銘文表:L(ルキウス )
銘文裏:LONGIN III V(ロンギヌス 貨幣発行三人委員)
前63年に共和政ローマで発行されたデナリウス銀貨。発行者はルキウス・カッシウス・ロンギヌス。彼はカエサル暗殺計画を企てたガイウス・カッシウス・ロンギヌスの弟である。兄弟ともにローマ世界で活躍するエリートだった。
表にウェスタ女神、裏に投票箱に票を投じようとする男性が描かれている。ウェスタは古代ローマの家庭の女神だった。彼女に固有の神話はほとんどないが、ローマでは極めて重要な神として扱われていた。ローマの建国以前からウェスタの巫女と呼ばれる特別な女性たちが存在した。ローマの建国者ロムルスの母レア・シルウィアは、この女神に仕える巫女の一人だった。血縁や氏族を何よりも重んじる古代ローマにとって、家庭を守護する女神ウェスタは欠かせない存在だった。
ウェスタが処女神だったため、その巫女たちも30年間の任期が満了となるまで純潔を貫き、ウェスタに奉仕する定めとなっていた。在職中に結婚、交際、不倫などを行った場合は、神への冒涜罪として生き埋めの刑が執行された。こうした制約も多かったが、劇場では最前列が確保されるなど、いろいろな面で厚遇された。当時は男性社会だったため、女性でこれだけ権利が認められるのは珍しいケースだった。
本貨ウェスタの首元には儀礼用の酒器キュリックスと、発行者の名の一部である「L(LVCIVS)」の銘が刻まれている。ウェスタの図案は、発行者の祖父ルキウス・カッシウス・ロンギヌス・ラウィッラが前113年に三人のウェスタの巫女にかけられた裁判の解決に寄与した功績に由来する。
裏の投票者は、ローマ市民の男性の正装であるトガを着用している。彼の手にはラテン語で「投票」を意味する「VOTA」の省略文字「V」を示す投票札が握られている。共和政を採用していたローマらしい図案である。また、投票者の周囲には発行者と貨幣発行三人委員という役職の省略名称である「LONGIN III V」の文字も確認できる。
選挙の様子を示したコインは共和政期のみで、帝政期では一切発行されていない。共和政を採用していたローマを象徴する貴重な一枚といえよう。現在の選挙の原点を表した興味深いコインである。
図柄表:マルス
図柄裏:敵兵を蹴散らすローマ騎馬兵
発行地:ローマ共和国ローマ造幣所
発行年:前55年
額面:デナリウス
材質:銀
直径:18mm
重量:4.03g
発行者:プブリウス・フォンテイウス・カピト
銘文表:P FONTEIVS P F CAPITO III VIR(プブリウス・フォンテイウス・プブリウスの息子カピト、貨幣発行三人委員)
銘文裏:MN FONT TR MIL(マニウス・フォンテイウス、軍団指揮官)
ガリア戦争時に発行されたデナリウス銀貨。表面に戦勝トロフィーを背負うマルス、裏面にローマ軍の騎兵と敗北するガリア兵が表されている。発行地はローマで、ガリア戦争で戦うカエサルたちの活躍を伝えている。
当時、誰の手にも渡る貨幣はメディアだった。本貨はローマ市民にガリア戦争の様子を視覚的に伝えるプロパガンダとして用いられた。
発行者はプブリウス・フォンテイウス・カピト。フォンティウス家はローマの有力氏族のひとつで、度々この氏族に属す者たちが貨幣を発行している。
図柄表:ユピテル
図柄裏:戦象
発行地:ローマ共和国アフリカ属州ウティカ駐留基地
発行年:前47~前46年
額面:デナリウス
材質:銀
直径:18.7mm
重量:3.2g
発行者:クィントゥス・メテッルス・ピウス・スキピオ・ナシカ
銘文表:Q METEL PIVS(クィントゥス・メテッルス・ピウス)
銘文裏:SKIPIO IMP(スキピオ 最高司令官)
対カエサル戦時緊急発行貨。共和政末期の最高司令官メテッルス ・スキピオの名において発行されたデナリウス銀貨である。彼はカルタゴの名将ハンニバルを撃退したローマの英雄スキピオ・アフリカヌスの血を引く名門貴族の出身だった。内戦時は戦象を率いてカエサルに挑むも敗北。その栄光は終焉を迎えた。本貨は消え行くスキピオ家の最期を語る。
クィントゥス・カエキリウス・メテッルス・ピウス・スキピオ・ナシカ(生没:前100~前46年頃)は、カエサルとの戦いに備え、布陣していた北アフリカの基地内で本貨を前47~前46年に発行した。兵士の給与支払い、及び物資調達に利用された軍用貨だった。
スキピオは、かつてから多くの政界人を輩出してきた名門カエキリウス・メテッルス家の出身。彼自身、先祖同様にエリートコースを歩み、優秀な軍司令官として活躍した。それを示すかのように貨幣の上には「Q METEL PIVS(クィントゥス・メテッルス・ピウス)」、「SKIPIO IMP(スキピオ 最高司令官)」という銘文が打たれている。
表面にはローマの最高神で雷を司るユピテルの肖像、裏面にはカエキリウス・メテッルス家のシンボルである戦象の姿が刻まれている。彼の氏族は先祖がカルタゴの戦象を捕獲した功績から代々、象の姿を貨幣の上に描き続けてきた。
ガイウス・ユリウス・カエサルはガリア遠征を成功させ、巨万の富と軍からの支持を得ると、ローマの侵略計画を実行した。その際、スキピオはカエサルを倒すべく、ポンペイウス側についた。ポンペイウスを筆頭に結成された元老院派(共和派)で、スキピオは中心的人物として活躍する。
彼はカエキリウス・メテッルス家の象徴ともいえる戦象を用いた突進作戦でカエサルに挑んだ。象の皮は分厚く硬いため防御力に優れ、且つその突進は一瞬にして多くの兵をなぎ倒す威力を持った。このようにスキピオは類い稀な軍才を活かしてカエサル派の軍勢に対抗した。しかし、カエサルのほうが一枚上手であり、無念にもスキピオ敗北。カエサルは自軍の兵士に斧を持たせ、突進してきた象の足を一斉に切る作戦を命じた。これにより投入された戦象は次々に打ち倒され、主力兵器を失ったスキピオは敗走に追い込まれた。焦ったスキピオはスペインに逃れて味方と合流しようとしたが、敗走中にアルジェリアでカエサル派の軍勢に捕獲され処刑された。
図柄表:椰子の枝葉
図柄裏:ギリシア語銘文
発行地:ローマ帝国ユダヤ属州エルサレム造幣所
発行年:58~59年頃
額面:プルタ
材質:青銅
直径:16mm
重量:1.63g
銘文表:LE KAICAP OC(ネロの治世5年目)
銘文裏:NEPWNO(ネロ)
ユダヤ属州エルサレムで発行されたプルタ青銅貨。表面に椰子の枝葉、裏面に「ネロ」を意味する銘文が刻印されている。本貨は銘文が示しているようにネロの治世5年目に発行された。即位から5年間のネロの治世は、「黄金の5年間」と市民から賛美されるほど善政だった。だが、この後、若き皇帝はしだいに暴君として振る舞うようになる。解放奴隷の恋人アクテ との結婚を母アグリッピナに否定されたことが、人格崩壊のはじまりの要因だったと考えられている。
通常、ローマ帝国領の貨幣には皇帝の肖像が刻まれる。だが、ユダヤ属州で発行される貨幣は、偶像崇拝を忌むユダヤ教徒の慣例を配慮し、皇帝の肖像を表さなかった。下手に反感を買って一揆を起こされても困るため、ローマ人はユダヤ教徒たちの思想を尊重した。
本貨が発行された時代のユダヤ属州では、アグリッパ2世が地方自治を統括する王として即位していた。だが、これは名目上のものであって、ほとんど決定権はローマ皇帝の元にあった。
プルタ青銅貨は当時のユダヤ社会で最も額面が低い少額貨幣で、日常の買い物等に頻繁に利用された。新約聖書に登場する貧しい未亡人が神殿への賽銭として投げ入れたお金は、プルタ青銅貨と考えられている。
図柄表:プラウティラ
図柄裏:手を取り合うカラカラとプラウティラ
発行地:ローマ帝国ローマ造幣所
発行年:202年
額面:デナリウス
材質:銀
直径:19mm
重量:3.33g
銘文表:PLAVTILLAE AVGVSTAE(プラウティラ皇妃)
銘文裏:CONCORDIAE AETRNAE(永遠の融和)
表面に皇妃プラウティラ、裏面に手を取り合うカラカラとプラウティラが表されている。本貨は二人の結婚記念貨である。裏面には「CONCORDIAE AETERNAE(永遠の融和)」という銘文が記されている。貨幣に示された誓文とは異なり、実際二人は不仲でカラカラをプラウティラを愛さなかったと伝えられる。
今でも結婚は多くの人間とって重要なイベントだが、古代ローマにおいても同様だった。特に上流階級にとっては重要なもので、一家の命運がかかっていた。貴族女性が恋愛結婚することはほとんどなく、彼女たちは親が決めた相手と結婚した。
古代ローマの貴族女性には制約が多く、街を一人で自由に出歩くことも許されなかった。だが、『ディオニソスの秘儀』と呼ばれる宴会に参加し、日々のストレスを発散する者もいた。この宴会は悪しきものとして規制されたが、いくら取り締まっても人の心までは規制できない。宴は密かに開催され続けた。
ディオニソスはギリシアの解放と享楽の神で、ローマではバックスと呼ばれて崇拝されていた(英名はバッカス)。人々は宴席でこの神が司る分野の通り、自身を解放し享楽に耽った。秘儀なので具体的な内容は明らかにされてはいないが、不道徳なものだと当時の人々が認識していたことは確かである。
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以上、厳選した7点に古代ローマコインを紹介した。もちろん、この他にも重要なものは山ほどある。だが、ローマが何かの記念やプロパガンダで貨幣を発行していたことが少しは感じられただろうか。この世に意味のないものなど存在しない。それと同じで古代ローマ人も意味なく貨幣をデザインしたり、発行することはない。貨幣のデザインには、そのひとつひとつに深い意味があり、国家の思惑、時には発行者の思いまで込められている。ただ単に眺めていても美しい古代ローマコインだが、その裏側を知ると深みや理解が増す。その楽しさや驚きを少しでも共感できたら、これほど嬉しいことはない。
Shelk 詩瑠久 🦋
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