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アンティークコインの世界 〜哲人皇帝マルクス・アウレリスの叫び〜

ローマ帝国で発行された7枚のコインからマルクス・アウレリウスの胸の内に秘められた叫びに迫る。異民族の侵略に苦しみ、戦争に明け暮れた一人の皇帝の壮絶な人生。そこには、ギボンが提唱するところの輝かしい「五賢帝時代」とはかけ離れた真実があった。

『自省録』で著名な哲人皇帝マルクス・アウレリウス。人格者として知られ、当時でも現在でも高い人気を誇るローマ皇帝である。幼い頃からストア派に傾倒していた彼は、哲学によってあるべき皇帝の理想像に近づこうとした。だが、彼の時代は四方八方から異民族の襲撃を受け、帝国が苦しんだ壮絶な時代だった。そんな時代に生きた彼の人生は、戦争に明け暮れたものだった。コインの上に描かれたその肖像も、治世晩年はどこか疲れたような表情をしている。


140年にローマ市造幣所で発行されたデナリウス銀貨。アントニヌス・ピウスとマルクス・アウレリウスを刻む。マルクスが19歳の頃の副帝時代に発行されたもので、まだ少年のように幼い顔つきをしており、髭も蓄えていない。肖像からは品の良さが感じ取れる。彼は貴族階級の聡明な人物だったと伝えられるが、うなづける。時の皇帝ピウスはマルクスを共に刻むことで、彼が次期皇帝であることを宣伝した。


145年にローマ市造幣所で発行されたセステルティウス黄銅貨。マルクス・アウレリウスとミネルウァを刻む。マルクスが24歳の頃の肖像で、副帝時代に発行された。肖像からもわかるように非常に整った顔立ちで、ハンサムな青年だったことがうかがえる。髪の毛は巻毛だが、これは当時最も女性から評判の良い髪型だった。マルクスは美形だったと伝えられるが、どうやらコインの上に表された姿からもそれが確認できそうだ。美化して描いている可能性もあるが、当時のローマコインの肖像は時の君主が誰であるのかを明確に宣伝するため、本人の容姿にできるだけ忠実に再現された。したがって、マルクスの美麗な容姿も概ね忠実と思われる。


161〜169年にシリア属州ラオディケイアで発行されたAE23貨。すなわち、額面不詳。材質はおそらく銅か青銅だが、違う金属が混ざられている可能性もあり、実際はよくわからない。したがって、含有物が銅中心のこうした合金を総称してAE(アーエー)と便宜上呼ぶ。表裏にマルクス・アウレリウスと共同統治のルキウス・ウェルスをそれぞれ刻んでいる。属州のコインにこうした両面肖像のデザインが多い。ルキウスは、ハドリアヌスが当初皇帝候補として挙げていたケイオニウスの子。だが、ケイオニウスは即位前に病で死去。ハドリアヌスはまだルキウスが幼かったため、アントニヌス・ピウスを中継ぎとして挟み、ルキウスを養子として取らせ、将来的には即位させることを約束にピウスに皇帝の地位を継承した。その際、マルクスも共に次期皇帝にすることが条件とされた。


164年にローマ市造幣所で発行されたデナリウス銀貨。マルクス・アウレリウスと成功の女神フェリキタスを刻む。女神は豊穣の角コルヌコピアと笏を手に玉座に座す。本貨はアウレリウスの治世初期のもので、彼が43歳の頃の肖像。銘文ではアントニヌスと記されているが、ピウスとの混同を避けるため、便宜上アウレリウスと呼ばれることが多い。この時代になると、すでにギリシア哲学者ように顎髭を蓄えているs


170年にローマ市造幣所で発行されたデナリウス銀貨。マルクス・アウレリウスとウィクトリアを刻む。マルクスの治世中期のもので、彼が49歳の頃の肖像。銘文は表側に「M ANTONINVS AVG TR P XXIIII(マルクス・アントニヌス、皇帝、護民官特権保持通算24回)」裏側に「VICT AVG COS III(勝利の皇帝、執政官通算3回当選)」と刻印。表情がやや堅くなってきている。


172年にローマ市造幣所で発行されたセステルティウス青銅貨。マルクス・アウレリウスとローマ女神を刻む。彼の治世中期のもので、彼が51歳の頃の肖像。銘文は「M ANTONINVS AVG TR P XXV IMP VI COS III SC(マルクス・アントニヌス、皇帝、護民官特権保持25回、最高軍司令官6回、執政官3回、元老院決議承認の下)」と刻印。上記と同じく表情がやや堅くなってきているのに加え、目に疲れが現れている。


180年にローマ市内で発行されたデナリウス銀貨。マルクス・アウレリウスとユピテルの鷲を刻んでいる。マルクスが亡くなった年に彼の神格化を記念して発行された。死没した59歳の頃の肖像。銘文は表側に「DIVI M ANTONINVS PIVS(神たるマルクス・アントニヌス、敬虔なる者)」裏側に「CONSECRATIO(神聖)」と刻印されている。亡くなる直前の肖像だけに、老け込んだ様が表されている。現在では59歳と言えばまだまだ若いが、当時の平均寿命を考えるとだいぶ高齢だった。それでも彼は最後まで帝国を防衛するため、病に侵されながらも冬場の戦場でボロボロになりながら戦った。だが、ついに180年、現在のオーストラリア・ウィーン近郊で力尽きた。最後まで帝国のために捧げた人生だった。


優しげで品のある優美な美青年が険しく疲れた大人の表情になっていく様がコインの肖像からうかがえる。彼が遺した『自省録』を読んだならば、これらのコインの奥に隠れた彼の胸の内の叫びがもっと鮮明に聞こえてくることだろう。マルクスは、『自省録』を母国語のラテン語でなく、ギリシア語で書いている。書いた内容を周りの人間に見られたくないため、わざと外国語で書いていたのである。そうしたところに彼の本当の思いや願いが隠れているのではないか。私はどうしても、そんなふうに感じ取ってしまう。


Shelk 詩瑠久


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