見出し画像

アンティークコインの世界 〜アレクサンドロス大王追悼銀貨〜

エジプトのメンフィス造幣所で発行されたアレクサンドロス大王の肖像を刻んだ4ドラクマ銀貨。本貨は、エジプトのファラオだったプトレマイオス1世ソテルが前323年にアレクサンドロスの死を追悼して発行した。裏面にはマケドニア王家の守護者であるゼウスが刻まれている。アレクサンドロスは、マケドニアの王位継承権は最強の者にと遺言して亡くなった。プトレマイオスはアレクサンドロスの肖像をコインに刻むことで、自身こそが王位を継承する最強の者であることをアピールしている。実際、最期まで生き残り、戦死でなく老衰で亡くなったのは、プトレマイオスだけだった。彼こそがアレクサンドロスが言うところの後継者だったと言えるのかもしれない。また、プトレマイオスはアレクサンドロスが最も望んでいた東西折衷の意志を継いだ唯一の人物でもあった。プトレマイオスはエジプトを手中に収めると、東方のエジプト宗教の伝統に従い、ファラオとして君臨した。プトレマイオスが築いた王朝は以後、クレオパトラ7世の死によってローマに支配されるまで約275年間続いた。

画像1

クレオパトラ 7世の肖像
シリアのカルキスで発行された銅貨。ローマの将軍マルクス・アントニウスとの結婚を記念して発行した。クレオパトラのコインは残存数が少なく、状態が優れるものも僅かな状態となっている。にもかかわらず、そのネームバリューからコレクターたちの人気は熱い。

画像2

フィリッポス2世をモデルにしたゼウスの肖像
マケドニアではフィリッポス2世がゼウス、アレクサンドロスがヘラクレスに喩えられた。神話上の親子関係と一致させている。

画像3

騎乗するフィリッポス2世
彼は馬好きとして有名だった。図像ではカウシアと呼ばれるマケドニア貴族を象徴する帽子をフィリッポスがかぶっている。

アレクサンドロスの父は、フィリッポス2世だった。彼はマケドニアを弱小国家から一気に強国へと成長させた。アレクサンドロスの成功も父フィリッポスの基盤がなければ成り立たないものだったと言える。フィリッポスは軍事改革を行い、マケドニアを地中海世界最強の国家へと築き上げた。何よりマケドニア式ファランクスの導入が大きかった。この戦闘手法は、従来のファランクスの2メートル程度の槍を6メートルにまで延長したものだった。相当な訓練がいるものの、習得すればリーチがある分、遠くから安全に攻撃ができたわけである。フィリッポスはファランクスの技術をテーバイで人質にされていた少年時代に盗み学んだというのだから恐ろしい。凄まじい執念である。当初、マケドニアをど田舎の蛮族として鼻で笑っていたアテナイやテーバイなどのギリシア主要都市だが、フィリッポスの軍に敗れ、その冷ややかな笑いは恐怖の表情に変わった。マケドニアは地中海世界最強の国家であり、誰もその存在を嘲笑うことができなくなった。

画像4

プトレマイオス1世ソテルの肖像
ソテルは救済の意。プトレマイオス朝を開始し、エジプトを救済したことに因む。

画像5

ゼウス・アメン神
プトレマイオス1世はアレクサンドロスの東西折衷の意志を継ぎ、マケドニアの主神ゼウスとエジプトの主神アメンを習合させたゼウス・アメンを創造した。同一の神を信仰することでマケドニアとエジプトの融和を図る狙いがあった。

一方、プトレマイオス1世はラゴスの息子でマケドニアの超一流貴族の家系に生まれた。アレクサンドロスとは遠戚にあたり、共にアリストテレスのもとで学んだ学友でもある。幼少から英才を教育を受け、アレクサンドロスを守る七人の将軍の一人だった。だが、息子に悪影響を与えるとしてフィリッポスにより一時期王宮から追放されていた頃もあった。フィリッポスが亡くなると、アレクサンドロスはすぐにプトレマイオスを呼び戻した。プトレマイオスの方がアレクサンドロスより年長で、人生や政治方針についてアドバイスする兄貴分的立場にあった。アレクサンドロスもプトレマイオスを相当頼りにしており、そこには王と部下という関係性を超えた友としての堅い絆があったようだ。また、プトレマイオスはアレクサンドロスを守る優秀な将軍だったが、政治家としての腕にも長けていた。彼はアレクサンドロスの死によりマケドニアが分裂すると、すぐさま豊かなエジプトを押さえた。当時のエジプトは世界一裕福な国だった。何をするにも資金源は欠かせない。即座にエジプトを手中に収めたのは賢明だったと言える。また、エジプトは砂漠という自然の防壁のおかげで、攻め入るのが難しい国でもあった。これも戦術・政治上重要なもので、プトレマイオスは他のライバルより時間を稼ぐことができたわけである。

画像6

聖牛アピス
アピスはプタハの化身として大切に扱われた雄牛。古代エジプトでは一定の特長を有した雄牛が選出され、神殿内で大切に飼育・信仰されていた。死者はこのアピスの背に乗って冥界に運ばれるという。

画像7

象皮の帽子をかぶるアレクサンドロス大王
このデザインはエジプトでしか発行されなかった。戦象が活躍していたため、当時最強の動物と言えば象だったからともプトレマイオス1世による偽造防止対策とも言われている。

本貨が発行されたエジプトのメンフィスとは、日本で言うところの京都のような都市で、重要な神殿が連なる宗教センターだった。メンフィスの主神は、プタハ(エジプト語の仮読みではぺテフ)だった。彼は創造の神で、職人の守護者とされた。彼が言葉を唱えると、それが形となりモノになったいう。エジプトという現在の呼称は、このプタハの名がもとになっていると考えられている。ギリシア人がエジプトのメンフィスに訪れた際、「ここは何という国なのか?」と訊ねたという。その際、現地のエジプト人は「ḥwt kȜ ptḥ(フウト・カァ・プタハ)」と答えた。この言葉は「プタハの魂の家」の意で、すなわち都市メンフィスを示していた。聞き間違えたのか訛ったのかは定かではないが、ギリシア人はこれを「アイギュプトス」と記した。その後、中世に入りアラビアからイスラーム勢力が入ってくると、彼らによってこの言葉が訛り、「ギプト」と呼ばれるようになった。さらにその後、現在の「エジプト」の名で呼称は定まった。

当初プトレマイオスは、このメンフィスの地にアレクサンドロスを埋葬しようと考えていた。マケドニアの風習では、前王の埋葬を行った者が次なる後継者とされていたからだ。狡猾なプトレマイオスはライバルのペルディッカスの部下を欺き、アレクサンドロスの遺骸を奪った。ペルディッカスはすぐに気づき、遺骸を積んだ馬車を追った。追いついて馬車を確認すると、ペルシア風の豪華な装いに身を包んだアレクサンドロスの遺骸があった。ひと目見て安心したペルディッカスは、よく確認せずに引き返した。だが、これがプトレマイオスの企みだった。実はプトレマイオスはもう一台馬車を用意していた。部下につくらせた人形に豪華な装いをさせ、本物の遺骸は貧相な装束を着せ替え、ペルディッカスを欺いていたのだ。本物の遺骸を乗せた方の馬車は、そのまま気づかれず、メンフィスに向かっていた。ペルディッカスはこれに気づいてプトレマイオスを再び追ったが、後の祭りだった。

画像8

アレクサンドリアの大灯台
プトレマイオス1世によって建設され、彼の息子プトレマイオス2世フィラデルフスの治世に完成した。都市アレクサンドリアのシンボルであり、船乗りたちの目印としての役割を果たした。しかし、中世に起こった二度の自身により倒壊した。

画像9

セラピスとイシス
共にエジプトを代表する大神で、アレクサンドリアの守護者。セラピスはプトレマイオス1世によってマケドニアとエジプトの融和を図るために創造された習合神。本貨はプトレマイオス4世の治世にラフィアの戦いに勝利したことを記念して発行された。

アレクサンドロスの遺骸を回収したプトレマイオスは、メンフィスに向かっていた。先に述べたように、メンフィスはエジプトの宗教センターであり、アレクサンドロスを埋葬するにはこの地が最もふさわしいとプトレマイオスは考えていた。だが、プトレマイオスがメンフィスに到着し、埋葬の準備を始めようとすると、意外にも現地の神官に要求を断られた。占いによれば、アレクサンドロスを埋葬すべきは、彼が建設した都市アレクサンドリアに他ならないとのことだった。結局、プトレマイオスは来た道を戻ることになった。プトレマイオスは、すぐさま北上するとアレクサンドリアで埋葬を行った。アレクサンドロスの棺は当初黄金製だったが、プトレマイオス4世の治世にエジプトは経済破綻しており、その棺を溶かして金貨に変えてしまった。以後、彼の棺はガラス製になったという。そして、これだけ有名なアレクサンドロスだが、実はその墓は見つかっていない。歴代のプトレマイオス王たちの墓もいまだひとつも見つかっていない。今も彼らはアレクサンドリアの市街地の地下のどこかに眠っているのである。 


*掲載コインは筆者私物を撮影

Shelk 詩瑠久


この記事が参加している募集

私のイチオシ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?