人生は選ぶのではなく、切り開くもの。『右か左か人生コース』/のび太のちょっとイイ話④
これまで「のび太のちょっとイイ話」というお題で、文字通りのび太がちょっとイイことをするお話を3作品選び出した。下記がこれまでの記事である。
まだまだのび太のイイ話があると思われるかもしれないが、一般的に知名度の高い感動的(『のび太の結婚前夜』等)を除けば、のび太にとって後味良く終わる話は案外と少なく、とりあえず本稿で一度このテーマは一区切りとさせていただきたい。
最後に取り上げるのは、『右か左か人生コース』という1985年の「小学六年生」3月号に掲載された作品となる。
ちょっとしたドラえもんファンの間では有名な話だが、「小学六年生」3月号に掲載された作品は、来月から中学生となるのび太(および読者)を後押しする、とても勇気を貰えるエピソードが多いことで知られている。
すなわち、「小学六年生」3月号の作品は、小学生にとっての「最終回」としての役割を与えられおり、必然的に感動的なお話が多いという訳なのだ。
これまでに多くの記事に残してきているので、お時間あれば下記のリンクに飛んでみて欲しい。
「小学六年生」1975年3月号
「小学六年生」1976年3月号
「小学六年生」1977年3月号
「小学六年生」1978年3月号
「小学六年生」1983年3月号
「小学六年生」1984年3月号
「小学六年生」1986年3月号
人生において二者択一の選択を迫られることがある。
例えば、就職において、内定を二つゲットして、どちらかを選ぶ場面。転職の話を貰って、それに乗るか否かを決める場合。付き合っている彼女と結婚に踏み切るのかを決断する瞬間。
人生の節目に当たって複数の選択肢が目の前に提示され、いずれかを選ばなくてはならないことは、誰でも一度や二度はあるはずである。
また、複数の選択したの中から一方を選び人生を歩んでいた時に、ふと、もう一方を選んでいたらどうなっていたかを考えることもある。究極のタラレバなので、考えても無駄かもしれないが、選ばなかった未来の方が、自分にとって良かったのかも、と思うことはよくある話である。
そして我らが野比のび太も、目の前の選択肢に思いを巡らす時がやってくる・・・。
とあるテレビのインタビュー番組で、ボクシング世界チャンピオンのクラッシャー大岩が、自らの半生を振り返っている。半分グレていた若かりし頃、とある裏通りを歩いたことがきっかけでジムの会長と出会い、その先にボクサーの道が開けたという。
この話を熱心に聞いていたのび太は、実にためになる話だったと感心する。そして、
と、熱く語るのであった。
クラッシャー大岩はふたすじの分かれ道に迷ったとは言ってなかった気がするが、フラフラとこの先の人生を決めかねているのび太にとっては、何か響くものがあったのだろう。
そこでのび太はドラえもんに、分岐点で正しい道を教えてくれる機械を出して欲しいとお願いする。決断は自分で選んでこそ価値がありそうなものだが、のび太はここでは安易に機械に正しい道を示して欲しいと考えてしまう。
ドラえもんは「コースチェッカー」という小さな画面の付いた機械を出す。例えば、ドラえもんが歩き出す方向を右か左かで迷ったとする。そんな時に右側にコースチェッカーを立てると、右に進んだ場合の予想映像が映し出されるという仕掛けである。
ちなみにドラえもんは右に行くと窓から落ちると予想されていたが、窓の方向に進めばまあそうなる。
「コースチェッカー」は最大15分先しか予測できない道具で、人生の先々まで見通したかったのび太の思惑とはちょっと違うのだが、これはこれで使ってみることにする。
さっそく、一番良いコースを選んでしずちゃんの家に行くことに。まず、家を出て右の近道か左の遠回りかを選択する。近道に進んだ場合をチェックすると、どぶに落ちるのび太が映し出される。
この結果を踏まえて遠回りコースを選ぶべきだが、あらかじめ落ちるとわかっているので、道の真ん中を気を付けて進めば良いと言い出す。
「スタジオゼロ」の看板の付いた電信柱を横目に歩いていくと、なぜか道の真ん中なのに蜘蛛が目の前に降りてきて、ビックリしたのび太は思わず身を反らして、どぶへと落ちてしまう。まんまと予知通りの結果となってしまったようだ。
しばらく進むと、また別れ道へと差し掛かる。角を曲がった場合を「コースチェッカー」で確かめると、鈴木さんの家を探している老人と出くわし、道案内をさせられる映像が流れる。
それは面倒だと言うことで、その後の映像を打ち切って、道をまっすぐ進むことに。すると運悪く担任の先生とぶつかってしまい、宿題をやったか問い詰められて、ガミガミと叱られる羽目に。
そこでもし道案内の方を選んでいたらどうなるか、続きを見てみると、道案内を終えたところで担任と出会い、親切な少年だと言って褒められる未来が映し出される。
のび太はそこで慌てて引き返して先ほどの老人を探す。すると老人は見つけたが、ちょうど鈴木さんの家に辿り着いたところであった。そしてまたまた運悪く、そこでも担任とバッタリ。「まだウロウロしているのか」と怒鳴られるのであった。
ここまで「コースチェッカー」を全く使いこなせていないのび太。ドラえもんはしずちゃんの所へ行くのを諦めるよう進言する。しかしのび太は、約束したからと言って譲らない。
次の分かれ道で再びチェッカーを稼働させる。
一方を進むと飛んできた野球のボールが頭にぶつかり、狂暴そうな犬に嚙まれてしまう。別の道を見てみると、ジャイアンとスネ夫に遭遇して野球へと連れていかれてしまう。いずれの道もろくな目に遭わないのである。
確かに二者択一の選択肢があったとして、いずれかが正解であるとは言い切れない。いずれも甲乙つけがたい険しい道のりかもしれないし、どっちに転んでも酷い目に遭う運命かもしれない。
コースチェッカーは、15分内の未来を見ることができるが、その先が本当にそれで良かったのかも保証してくれるものではないのだ。
いずれの道もダメと知ってのび太は、「運命の神よ、どうして僕ばかり意地悪するの!」と号泣する。そして「どうしてもしずちゃんの家へ行けない・・」と頭を抱えるのであった。
いずれの道も障害がある。しかしドラえもんは言う、「行ける気になれば行ける、障害があるなら乗り越えればいい」と。
そしてドラえもんは、渾身のセリフでのび太を檄する。これはもちろん、藤子先生から、まもなく進学する読者へ向けたはなむけの言葉でもある。
そして冒頭に登場したボクシングの大岩選手を引き合いに、道一本選んだだけで世界チャンピオンになれたわけではない、血のにじむトレーニングで切り開いていったんだと、熱く語るのであった。
確かにクラッシャー大岩は、ある種の謙遜として、たまたまボクシングと出会ったというように語っていた。しかし、ボクサーの道を選ぶことになったのは偶然かもしれないが、その後自動的に世界チャンピオンになったわけではない。
険しい道に立ち塞がる困難を自ら突破していったのである。すなわち、「コースチェッカー」は単なる楽な最善ルートを見つける道具ではなかったのである。
ドラえもんの熱いセリフに感化されたのび太は、「何が何でもしずちゃんのところへ行く!!」と力強く宣言する。
そして、ボールにぶつかり、犬に噛まれるルートを選び、実際に被害に遭いながらも道を突き進んでいく。
たかがしずちゃんの家に行くくらいで・・・と思うとバカバカしく感じたりもするのだが、そんなのび太を見てドラえもんは、「のび太も少しはたくましくなってきたかな」と内心思うのであった。
道は選ぶものではなく、切り開くもの。これは漫画家という道なき道を選び突き進んだ藤子F先生の、本心ではないかと思う。
道に惑える時、僕はこのお話を読み返してきたし、今後も読み返すことだろう。どうか、皆さまにとっても、そんな一本となりますように。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?